アンカラ市内観光(2002.12.19)
9.アンカラ市内観光
12月19日(木)今日は午前中にトルコの首都アンカラの市内観光、昼からイスタンプールに向かう。

アンカラはアナトリア高原の西側にある、人口約370万人のトルコ共和国の首都。初代大統領ケマルは1923年に人口僅か6万人のこの地方都市を首都の定めた。以来アンカラは都市計画のもとに急速に近代都市のモデルとして発達した。

今イスラム教が注目されている。昨年の同時テロ以来主として悪い面で言われる方が多いようである。
ここトルコの殆どの人々はイスラム信者(97%)である。
しかしケマルは共和国建国以来「政教分離」を厳格に推し進めた。その為この国はイスラムの多い中東において、政治にイスラム教を持ち込まない国として発達した。イランやイラクとは根本的に国の成り立ち方が違う。
ここに来てやっとこのような事が分かった。自分の目で耳でありのままの姿を知ることはいいことだ。

アンカラの歴史は古い。近くに初めて鉄器を使用した人類として有名なヒッタイトの遺跡がある。エジプトと互角に戦ったヒッタイト。ローマ時代にはアンキラと呼ばれて繁栄していた。アンキラという名は、アンキュラ(谷底)と言う言葉に由来しており、昔から地下水が豊富なことが分かる。
オスマン朝時代にはアンゴラと呼ばれ、1402年にはこの近くでティムール軍とオスマン軍が戦っている。

まずケマルの霊廟「アタチュルク廟」に連れて行かれた。
トルコの歴史というより人類の歴史に関わる遺跡を見て回った後なので、つい最近の他国の大統領のお墓見学はあまり気乗りがしなかった。観光コースでここが一番人気ということは、いかにケマルがトルコ人に敬愛されているか分かると言うもんだ。
小学生の団体が数多く訪れていた。愛国教育か。

かって文字も知らなく、各部族の民族語を話していたトルコ人に、新しくラテン語を基にしたトルコ語を作り教育したトルコ。今では殆どの人がトルコ語を話している。
英会話の出来ない自分を棚に上げて、このようなことを言うのはおかしいが、日本もこのトルコの教育方針をまねて英語教育すればどうだろうか。

第一次世界大戦でドイツに組し負けたオスマントルコ。1923年に新生トルコとして共和国を発足させた。急速な近代化政策。
明治維新によって鎖国時代の日本から近代化を果たした日本。ロシアと絶えず戦ってきたトルコ。そのロシアを打ち破った小国日本。
相通じるものを持つ国として、トルコ人は日本に親近感をいだいている。

次に「考古学博物館」見学。ヒッタイトを初めトルコの歴史が良く分かった。

午後アンカラからイスタンプールまで約450km。またまた長距離バス旅行。夕方イスタンプールにたどり着く。
ここの宿はかの有名なリッツカールトン。2連泊するということで妻はおおはしゃぎ。
私は宿は寝さえすれば良いと言う主義だが、妻(女性?)は違う。これは男と女の感性の違いか。それとも私が鈍感なのか。
(2003.1.6)
続く
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