憧れのアンコールワット








アンコールワットへの憧れが芽生えたのは、一体何時頃だったろうか。
サマルカンドやブハラというシルクロードへの興味が中学時代とするなら、多分その前後だと思う。ジャングルの中に眠っていた輝ける都。タイのアユタヤ遺跡のような石造建造物。
アンコールは12世紀前後の東南アジアに生まれた大帝国で、ベトナムからタイ・マレーシアに到る領土を有し、アユタヤ王朝に滅ぼされるまでクメール文化の担い手として君臨していたとは知らなかった。
当時東南アジアの道は全てアンコールに繋がっていたらしい。
江戸時代の初期において、アンコールこそインドの「祇園精舎」そのものとして、巡礼していた日本人が居たとのこと。

ホーチミン市(旧サイゴン)の雑踏

温和なカンボジア人はベトナムやタイから攻められ、フランスの植民地とされたり、又内戦で国土が荒廃し国中に地雷が残っているということから、アンコールワットにはなかなか行けなかった。
2002年の今年でも、昨年のアメリカにおける同時テロの影響で「そんな危ない所へよく行くなぁ」と友から忠告されている。
昨年9月の同時テロはマッターホルン麓のツェルマットで聞いたが、私たち夫婦はそれ以降もニュージランド・桂林・新羅・ロシアと世界を旅している。私は行ける時に行く主義だ。物理的に行けない時こそ、それは仕方が無く諦める。

今回は阪急交通社trapicsから「世界遺産アンコールワットとベトナム感動紀行」というツアーが企画され申し込んだ。

10月28日(月)、朝11時15分関西国際空港からベトナム航空VN-941 便でベトナムのホーチミン市(旧サイゴン)へ向かった。
カンボジアへは直接便が無く、タイやベトナムからしか入国出来ない。日本との時差は2時間。ホーチミン市へは約6時間かかった。
添乗員は女性の牛田さん。参加者は17名。5組の夫婦と3組の男性・女性・母娘と単身女性。独身は20台の娘さん一人で他は全て既婚者だった。私達と同年輩の人が多く、皆ルールを良く守り気持ちの良い旅仲間だった。

やはりこの時期ベトナムやカンボジアへ行く人は少なく、機内はガラガラ。機内食の昼食を食べた後、三つの席を独占してごろりと横になって眠らせて貰った。お陰で睡眠は十分。

白いアオザイ姿(制服)の女高生

タン・ソン・ニャット国際空港(ホーチミン)に着いたのは、現地時間で午後3時過ぎだった。
とにかく暑い。10月末はまだ雨季で日本の気候で言えば夏だ。
今夜の宿泊ホテルは「アマラ サイゴン ホテル」だ。道中は喧騒とした雰囲気。バイクと人の洪水。活気はあるが落ち着いた感じが全然ない。

ここは日本と違い旧宗主国フランスのルールに従って右側通行。突然のスコール。我我はバスの中。逃げ惑う人々。短時間で雨は止み、街中はまたまた人の波。高校の前では女学生の白いアオザイ姿。新鮮なはつらつとした感じだ。
白いアオザイはアメリカ軍と戦うベトナム女性の民族の誇りと心意気だったらしい。

ベトナム風海鮮料理

ホテルで小休憩の後、夕食前に民芸店に行く。妻も含めた女性陣がアオザイを誂えたく、カンボジア旅行中に出来上がるのを期待して早々の買い物となった。

夕食は有名レストラン「ソン・グー」にてベトナム風海鮮料理。ビールは地元の「3・3・3」。料理・酒ともども美味しかった。
ホテルの設備は最高。気持ちよくぐっすりと眠れた。


胡弓

10月29日(火)、朝ホテルでベトナム料理のバイキングを楽しむ。食堂の一角で弦楽器を演奏。音楽好きの息子に小さな胡弓を買う。
9時半頃ホテル出発。プロペラのベトナム航空でカンボジアのシェムリアップへ向かう。プロペラ機に乗るのは数年前のカトマンズからエベレスト街道のルクラへの向かった時以来だ。
手荷物にアーミーナイフをうっかり入れており、空港の検査で引っかかり取り上げられるが、シェムリアップ空港でサインして直ぐに返して貰った。

カンボジアのシェムリアップ空港付近の田園

1時間一寸でカンボジアのシェムリアップ空港に着く。
琵琶湖の数倍はある海のようなトンレサップ湖の上を通り、着陸寸前に見えた長方形の湖はアンコールの西バライではないか。
いよいよ長年の夢だったアンコールにやってきたのだ。期待と興奮で胸が高鳴る。

ホテル「アンコールリーチ」

2連泊するホテル「アンコール リーチ」にチェックインする。ホテルのレストランで中華料理の昼食を食べ、午後3時までゆっくりと休憩する。
ホテル前を水牛が散歩

カンボジアでは昼食後、暑いさなか動き回ることを嫌って昼寝の習慣があるみたいだ。
早くアンコールワットに行きたいが、「郷に入れば郷に従え」で私も1時間一寸昼寝をする。

アンコールワット前で

アンコールは9世紀から15世紀にかけてインドシナ一帯を支配したクメール王朝の首都跡。都は城壁に囲まれたアンコール・トムだ。その南にこれから訪れるアンコール・ワットがある。
日本ではアンコール・ワットのみが有名だが、アンコールにはそれ以外のアンコール・トムやバイヨンそしてタ・ブローム等沢山の遺跡がある。

アンコール遺跡

ホテルからアンコールへの道筋は、素朴な昔の日本の里山のような田園地帯だ。ベトナムのホーチミンとは違い、人の数が極端に少ない。ジャングルの中に開墾された水田。水牛や豚・鶏がゆうゆうと餌を啄ばんでいる。カンボジアでは稲は上部の穂のみを刈る。下側の藁の部分は家畜の餌として残してある。家畜の糞尿は当然肥料となる。高床式の木造の家では数人の男女が座っている。高床式なのは亜熱帯の雨季があるということもあるが、ジャングルの虎や大蛇から身を守る為でもあるらしい。
子供たちが裸で走り回っている。男たちは高い床に吊るしたハンモックで昼寝。女達は数軒に一つの井戸で水汲みしながら井戸端会議。
彫刻

家の周りには椰子やバナナの木。青いバナナや椰子の実が一杯ある。
これだけ自然の食べ物がどこでも身近にあるので、カンボジアでは飢え死は無いだろうと推定する。
しかし電気はなく、医者も病院もなく、完全自給自足する彼らの平均寿命は50歳ぐらいらしい。水が悪いのか。薬が薬草のみで、それでも治らない時は祈祷師に頼むそうな。

不完全自給自足しか望めない私は、循環性の完全自給自足の彼らの生活知恵を学ぶ為、ここアンコールにロングステイを考えても良いのではと思った。

バスはアンコール・ワットの西参道正面に着いた。そこには夢にまで見たアンコール・ワットの遺跡群が見えるではないか。
バスを降りると小さな子供たちがわっと押しかけて来た。手に絵葉書やガイドブック・布切れや土産物を持って「ワンダラー・ワンダラー」と叫んでいる。2 〜3才の裸足の小さな子供もいる。
カンボジアの平均月収は30ドルぐらいなので、1ドルは大金だ。平均家族数は7人で、義務教育もない子供たちは家計を助ける戦力なのだろう。つい最近まで戦火に見舞われ、遅れた地域の現実に可哀想な気持ちがしたが、子供たちの明るい表情に少しは救われた。

女神デバダー

アンコール・ワットは12世紀前半にスールヤヴァルマン2世が建立したヒンズー教寺院。後に仏教施設に宗旨替えした。クメール王朝は元々はヒンズー教であったが、隣国アユタヤ(後のタイ)の影響で仏教も取り入れたらしい。

急な階段を下りる私

24歳の青年現地ガイドから説明を聞きながら、第一回廊から第三回廊を回る。クメール軍や天女アブサラを描いた精緻なレリーフが絵巻のようにびっしりと刻みこまれている。
女神デバターの様々のポーズ・表情。薄着をまとったセクシーな姿。歯を見せて笑う愛嬌あるデバター。それらの表情はインドで見た ガンダーラーの影響もあるようだ。第一回廊の西面南側にはインド古代の叙事詩「マハーバーラタ」が、西面北側には「ラーマヤナー」のレリーフがあることからも推定できそうだ。
彫刻

第一回廊の南面東側には「天国と地獄」のレリーフ。地獄では舌抜き・火責め・針責め・ムチ打ちの様子。東面にはヒンズー教の天地創造神話の「乳海攪拌」。
あまりにも多すぎてゆっくりと理解しながら見れない。やはりもう一度時間をかけて見なければと思い、回りの風景や皆の表情、子供たちの遊び戯れる姿を追う。
汗がびっしょりと肌着をぬらす。とにかく暑い。

夕方のアンコール遺跡

中央祠堂東側の急勾配の階段。踏み面が狭く蹴上が高い。見上げるような急勾配だ。私は山登りで鍛えた足。なんなく登ったら妻が降りてこいと言う。皆は登って来ない。直ぐに降りると別な場所から登ると言う。
南側の階段には手すりが付いていた。皆は手すりを持ってこわごわ登る。私は又中央をさっさと登る。妻は下で待つと言う。
頂上の第三回廊からの展望は良かった。まさしくアンコール・ワットはジャングルの中に建造されていることが実感できた。
結局私は2回登り降りしたことになるが、1回は妻の分と思うことにした。

アンコールの御来光

サンセットを見る為に、ブノン・バケンに登った。ブノン・バケン山はアンコール三聖山の一つ。高さ60mの自然の丘陵を利用した急勾配の参道を登る。頂上から樹海に浮かぶアンコール・ワットが望まれた。
西側には眼下に広がる西バライ。11世紀に作られた東西8km,南北2kmの広大な貯水池。今は西半分しか水が溜まっていないがそれでもとてつもなく大きい。飛行機から見えたのはこれだ。
夕日は雲の為はっきりとは見えなかった。
降りるのは、妻の膝も考え、(若い頃スキーとバレーの回転レシーブのし過ぎで膝に水が溜まる)ゆるやかな勾配の象が歩く道を下った。象に乗って登り降りするには35ドルかかり、誰も乗らなかった。
午後6時頃は既に薄暗く、参道の所々には地雷で足の無い人や、障害者が座ってお金を無心していた。
小さな赤ちゃんを抱いた14〜15才の若き母親の姿は、痛々しく見ていられなかった。

ホテルに着くやシャワーを浴びる。夕食はカンボジア料理。中国・ベトナム・タイ・インドと名だたるグルメ大国からやってきた味が溶け込んで、カンボジア料理は穏やかな味だ。私はこのような味が好きだ。ボトルのアンコール・ビールを飲む。一本3ドルだった。
明日早朝4時半起床で、御来光を見にアンコール・ワットへ行く為早く寝る。


南大門

10月30日(水)早朝4時半起床。未だ暗い5時出発。ホテルから車で20分ぐらいのアンコール・ワットに着く。外は未だ暗い。小さなペンシュル型の懐中電灯で妻の足元を照らす。西参道から眺める為待機する。薄ぼんやりとアンコール・ワットが浮かび上がっている。
中央祠堂上の空がうっすらと赤く色ずく。だんだんとシルエットがはっきりとしだす。6時過ぎ空が赤くなり、回り全体がかなり明るくなったが、朝日は雲の為出てこなかった。

南大門

ホテルに帰ってバイキングの朝食。9時出発の為、部屋で寛ぐ。
アンコール・トム(大きな町)は高さ8mのラテライトの城壁に囲まれていた。 ゴミを集める少女

周囲12kmの城壁内には十字に主要道路が配置され、その中央にバイヨン寺院があった。12世紀末に建設された穏やかな微笑をたたえた観世音菩薩のモチーフで有名な寺である。少し離れた場所から見た菩薩は何とも言いがたい微笑を浮かべていた。

バイヨン寺院

午前中に車で1時間ほどの場所にある「バンテアイ・スレイ」に行くことになった。ここはつい最近まで治安状態が悪く見学出来なかったらしい。スコールが襲ってきた。傘をさして見学。
祠堂の壁面に小さな女神像がある。しなやかでやわらかい体の線・表情に魅せられた作家のアンドレー・マルローはそのデバターを盗掘しょうとして逮捕されたらしい。それが「東洋のモナリザ」と言われる優雅なレリーフである。
遺跡保護の為ロープが張られ、近づいて見ることができなかった。遠くから雨に濡れながらの鑑賞のため「東洋のモナリザ」とは再確認出来なかった。

バイヨンの四面仏

雨に打たれながらも商売熱心な子供達は寄ってきた。
ホテルに戻り、シャワーを浴び、服を着替えてクメール料理の昼食を食べる。
何時ものように昼寝して午後3時出発。

回廊

昼からはアンコール・トム付近の遺跡見学だ。アンコール・ワットの横を通り、トムの南大門を見学。大門の前面には通路の両側に巨人の石像が左右それぞれ54体づつ、一列に並べられている。右側の巨人達は、目が丸く、髪がちじれ、恐ろしげな中にやや滑稽味を帯びた顔をしているが、左側の巨人は、鼻筋が通り整った容貌をしている。前者は阿修羅で後者は神々である。
阿修羅や神々は、綱引きをするような格好で7つ頭の大蛇ナーガを抱きかかえている。これは天地創造神話の「乳海攪拌」と同じモチーフであるらしい。

カンボジア人は蛇神ナーガを崇めている。天女アブサラの踊りは、コプラの化身であるナーガの動きが基本と言われている。 裸足の女の子

王族達が閲兵を行った王宮前の「象のテラス」・火葬の儀式が行われていたという「プレ・ループ」を見学。次に2匹の大蛇によって墳墓を取り巻かれた祠堂が池の中央にある「ニャック・ポアン」見学。
少々遺跡見学に疲れた。妻と二人途中で見学を止め、広場の土産物屋を冷やかす。妻はティーシャツを数枚、私は民芸品を安く値切って購入。このような素人くさい民芸品を安く交渉して買うのは楽しい。私の部屋には各地のそれらが所狭しと飾ってあるが、私の個人的な思い出の品として大事なものだ。お宝として鑑定してもらう訳ではないのでこれで十分だ。

バンテアイ・スレイ

最後に行った「タ・プローム」の遺跡。ジャングルの中に取り残された仏教遺跡であったが、巨大に成長したスボアン(カジュマル)に圧しつぶされながらもかろうじて寺院の体裁を保っている。自然の脅威を目の前にして、心が強く打たれた。この遺跡はそのような状態を保存している。

タ・ブローム

夕食は西洋料理。明日荷物を預ければ、関西国際空港まで行ってしまうので、ホーチミン観光に必要な荷物を手荷物にする。

湖畔で

10月31日(木)朝食はホテルで食べ、トンレサップ湖観光に出る。シェムリアップの市街を通り、シアヌーク殿下の別荘を横目で確認し、河の中に建てられた高床式の家とそこで生活している人々の暮らしをバス中から眺め、湖に向かった。
湖畔の小山に登り、湖や平野・ジャングルを眺める。カンボジア庶民の生活が覗かれたツアーだった。
昼食は市街のレストランで郷土料理を食べ、連れて行かれた民芸品店は素通りし、2Fのスーパーでチョコレートや缶ビールを安く買った。

シェムリアップ空港を13時25分出発。1時間ちょっとで再びホーチミンに到着。
早速市内観光。まず統一会堂(旧大統領官邸)見学。ここは今から27年前、アメリカと傀儡政権を追い出したベトナム解放軍が門を突き破って2台の戦車で突入し、官邸の正面に解放旗を翻した場所だ。その戦車が2台庭に飾ってあった。
旧官邸の中を女性ガイドが長々と説明。うんざりとする。

サイゴン大教会と中央郵便局を見学。郵便局正面にはホーチミン叔父さんの肖像画が飾ってあった。
ホーチミン市はベトナムで最も大きな町。首都のハノイより人口も多い。人口約800万。バイクの数は約250万台。町中がバイクだらけだ。
繁華街のドン・コイ通りを散策する。夕食は「スカイ・ビュー」にて本場のベトナム料理。
湖の中の民家




皆で食事する夕食はこれが最後なので賑やかな晩餐会となる。私はアンコール・ワットの缶を5本も飲んでしまった。
ベトナムから日本への飛行機が2時間ばかり遅れるとのこと。屋上レストランで時間をつぶす。

郵便局のホーチミン叔父さん

帰りの飛行機もガラガラだった。私はお酒の飲みすぎで、機内食も食べず、来るときと同じく3席を独占して寝てしまった。
11月1日(金)朝9時ごろ関西国際空港に着いた。

ホーチミンの街角




短い旅だったが楽しく有意義だった。もう一度カンボジアを訪問し、心行くまでアンコール・ワットを見て回りたい。その素朴な人々と交流し、人間の生活の原点であった自給自足の真髄を学びたい。

旧大統領官邸での戦車




タイのアユタヤには行ったことがあるが、北部のスコタイはまだ知らない。その郊外にスワンカロークと言う場所がある。そこでは12世紀頃素朴な焼き物を作っていた。鶯色の陶器だ。日本の戦国時代に大名が茶器として欲しがった「宋胡録」だ。
私はバンコックで「宋胡録」という茶碗を買ったが、本物か贋物か知らない。しかし私はその鶯色の素朴な茶碗を気にいっている。

旧大統領官邸

タイのスコタイかカンボジアのシェムリアップでロングステイしながら、これらの地域を時間をかけて巡りたいと思う。





若き兵士の像







(2002.11.3)







                                     終わり 








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