2.バルセロナのガウディ(2003.1.19)
2.バルセロナのガウディ(2003.1.19)
1月19日(日)朝7時モーニングコール。時差の関係で6時には目を覚ましていた。7時半妻と私のスーツケース二つ扉の前に出す。風邪を引いている妻は、部屋でおかゆを食べ、私はミニカップラーメンを軽く食べバイキング式の朝食を早々に切り上げた。
8時半にそれぞれディバッグを持ってホテルを出発。今日はバルセロナ観光だ。
バルセロナのあるスペイン東北部に位置するカタルーニャは、北はフランスと国境を接し、地中海に沿って南へと広がる地域。
古くから独自の文化や言語を持ち、そこに住む人々は独立精神・民族意識が強い。
明日行く予定のバレンシアのあるレバンテ地方とともに、地中海に面しており、スペインの明るいイメージ通り、雨が少なく1年中温暖な地中海性気候。

バルセロナは人口約170万人。スペイン第二の都市。寒かった日本から来たからか、余計に暖かい感じだった。
バルセロナの名前は1992年にオリンピックが開催されたから知ってはいた。
しかしここバルセロナは、スペインが世界に誇る建築家アントニオ・ガウディの作品や美術館・博物館で有名だ。

バスはまずガウディの未完の大作・バルセロナのシンボル「サグラダ・ファミリア教会」(聖家族教会)へ。
目の前に聳える作業中の巨大な塔を見たときは、正直言って度肝を抜かれた。
教会のイメージとはかけ離れた何か怪獣のような生き物だった。

ガウディの完成図ではキリストに捧げる中央塔の周りに三つのファサード「キリストの生誕」・「キリストの受難」・「キリストの栄光」。各ファサードには4本の鐘塔。計12本は「十二使徒」を表しているらしい。
現在は生誕と受難の8本の鐘塔が見られるが、ガウディ本人が見たのは生誕の1本だけだったらしい。完成するまで後200年とも100年とも言われている。今日の現地ガイドの話では早ければ30年程かと言っていた。

「サグラダ・ファミリア聖堂の建設はゆっくりしている。なぜなら、この作品のご主人(神)が急がないから」。ガウディが語ったとおり、完成が何時になるかは神のみぞ知る。

私達夫婦は見学用エレベーターで上に上がった。生誕のファサードは自然主義的な彫刻や彫像で飾られていた。

グエル氏がスポンサーで作られたガウディ作の「グエル公園」(世界遺産−1)。60戸の分譲地として造られたが売れたのは1軒だけ。
階段にあった蛙の像が面白かった。色々奇抜なガウディ発想の仕掛け。破砕タイルを使用したテラス。

市内のガウディ作の住宅。今でも人が住み、生活しているのは驚きだった。
免税店に連れていかれたが、私達は何時ものように直ぐに外に出て散策。直ぐ傍にカテドラルがあった。
その前の広場で数人が輪になって踊りだした。荷物を真ん中に置いて皆手を繋いで踊る。幼稚園で踊った遊戯みたいだ。輪がたちまち大きくなる。そのような輪が彼方此方で発生。

これこそ民族舞踊サルダーナーではないか。今日は日曜の正午。土曜の夕方と2回踊るそうだ。偶然見られて大満足。

昼食は魚料理。昼からは366km離れたバレンシアへ。
妻は旅行3日前から発熱して風邪のまま旅に出たので、妻が横になれるよう最後尾の席に座る。バスは満席。毎日一つずつ後ろに下がっていく席。
バスから眺めるスペインのカタルーニャ・レバンテ地方は赤茶けた大地。そこに植えられたオリーブの木。
トルコで見たオリーブ畑より広大でどこまでも続いていた。途中のバル(カフェ・食堂・居酒屋・社交場・雑貨屋・公衆トイレ)で味見したオリーブの酢漬けした実は大変美味しかった。
西洋においてオリーブは特別な意味を持つ木らしい。我々は小豆島に生えるオリーブ油を採る木としてしか認識していないが。
ノアの箱舟伝説において、周りが洪水で陸地が無かった時、偵察に放った鳩が咥えて帰ってきたのがオリーブの枝だった。
5時間ほど掛かったが、私は半分は横になって(最後尾だから出来たが)寝ていた。風邪気味の妻は横でマスクをかけてずっと寝たまま。

夕方やっとバレンシアに着いた。夕食は本場のバエリア。ビールで乾杯。
ホテルは「ホリディ イン エキスプレス バレンシア サン ルイ」。
(記述日:2003.1.31)
(掲載日:2003.1.31)
続く
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