大連・旅順の旧満州旅行(2006.9.26〜9.28)




中国は興味の尽きない国である。
私たち夫婦にとっての最初の中国は北京・上海だった。文化大革命後の混沌とした中国だった。2回目は家族で行った香港・マカオ。
当時はまだ中国に返還されていなかった。3回目は桂林だった。地方都市広州の復興が目を見張った。
4回目は一昨年の西安から敦煌・トルファン・ウルムチのシルクロードの旅。憧れのシルクロードを満喫した。
しかし西域ウルムチの超高層群には驚かされた。テント生活の牧歌的な風景を想像していたからかも知れない。
この違和感はアマゾンのジャングルのど真ん中のマナウスでも感じたものだった。
幼児に空襲の戦時体験のある私にとって、中国の東北地方(日本の傀儡国家「満州」)は一度は訪れたい土地だった。
今回の大連は満州の中心都市でもあり、旅順は日露戦争の有名な激戦地だった。
阪急トラピックスの「びっくり大連・3日間」が短期間でもあり旅行代金も安かったため、申し込んだ。

9月26日(火)、午前8時半に関西国際空港に集まったのは、25名だった。添乗員は居なく、大連での現地ガイドのみということ。
何時ものように「金剛」でお茶を飲み、10:35発のJL799便で大連に飛んだ。
機内でビールと軽食を頂き、2時間で大連に着いた。
現地ガイドは6歳の子供さんの居る女性ベテランガイドの「羅さん」だった。
高層街 大型バスでゆったりとした席で大連市内観光となった。市内は超高層街だった。
私たちのバス















中山広場







まず最初に市内の中心地であり大連のシンボルである「中山広場」に行った。この広場から放射線状に中山路、上海路、人民路、延安路、魯迅路など10本の道が走り、広場周りには大連賓館(1905年にオープンした旧「ヤマトホテル」)や中国銀行などいくつかの洋風建築物が建ち並び、エキゾチックな雰囲気が漂っていた。
満州時代の「旧ヤマトホテル」







対外貿易局







次に日本の満州国支配の拠点となった「満鉄本社」を見学した。
旧満鉄本社







唯一残っている満鉄のマンホル蓋















旧日本人街は次々に撤去され、超高層ビルが建て替えられていた。日本人街の通りに建てられていた高級邸宅は坪当たり100万円で売れ残っているそうな。感じで言えば、日本の住宅より高い気がした。中国の土地はすべて国のものであくまで家屋の値段だ。
日本人街通り







日本人街







結婚式用のオープンカー







観光地の「老虎灘」見学の後、市内の唯一の結婚式場のある「北大橋」で花婿と花嫁を見た。真っ赤なオープンカーが新しい中国を感じさせた。
風車







北大橋の花婿と花嫁







老虎灘







ガイドの「羅さん」にどこかバザールのような所に案内して欲しいと頼んだら、「市場」に案内された。
庶民のエネルギーが充満しており、楽しかった。10元(約150円)でナツメの実を一杯買い、1本1元のトウモロコシをかじった。
市場







パン屋







海産物屋







トウモロコシ(一本一元)







コンビニ







ホテルに着く前にコンビニでビールを買った。350mlの1缶で5元ぐらいだ。
ホテルは連泊で「万達国際飯店」だった。設備は良く、四つ星だった。
夕食の「東北料理」は美味しく満足した。ビールは大ビンで10元だった。アルコール濃度は3%ぐらいか。 夕食後部屋に足裏マッサージを呼んでもらった。
一人100元は日本に比べればかなり安いみたいだ。
二人の若い男女が現れ約1時間揉んでもらった。私は青年にしてもらったが痛かった。しかし終わった後は足が軽く感じた。

美味しかった東北料理







9月27日(水)、朝食はホテルでのバイキング。今日も午前中は大連市内の観光だ。
まず最初は「星海公園」、ここは大連最大の海浜公園。その前身は、日本による植民地時代の1909年に創建された「星ヶ浦公園」。 太極拳や気功そして老人合唱等があった。
オリンピック広場







大連市長が建てた記念碑(北京のそれより高く当時の江沢民に叱られた)







星海公園での太極拳







老人合唱







海水浴場







母と子







大連市街







大連市街







踊りの練習







次に訪れた「大連自然博物館」は化石や恐竜の展示で面白かった。3年前に発見された恐竜の赤ちゃんの化石は見ごたえがあった。
大連自然博物館(アフリカ象)







化石







恐竜







小さな恐竜







恐竜の赤ちゃん







恐竜の頭蓋骨







労働公園







「労働公園」からの大連市街は超高層の連立だった。
大連市は、東北地方の表玄関、北方改革解放の窓口として、中国において最も開放された都市であることが実感した。
労働公園からの大連市街







労働公園からの大連市街







昼食は「大清花」での「ギョウザ料理」でこれも美味しかった。次から次へといろいろなギョウザが出されて食べ切れなかった。
昼からはオプションでの「旅順観光」。
中国と日本の近代史と関りを持つ日清戦争と日露戦争がここで発生した。
まず最初に訪れたのはロシア軍の「東鶏冠山北砦」。あちこちの日本軍の弾痕。この陣地を造った中国人は秘密保持のため全員殺されたそうな。
旅順のロシア陣地跡







旅順のロシア陣地跡







壁の穴は鉄砲の弾痕







旅順のロシア陣地跡







300人の兵舎







旅順のロシア陣地跡







旅順のロシア陣地跡







ゴミ箱







近くにある「水師営会見所」は日露両軍の終戦のための会見しら場所。
乃木将軍と露軍のシュッテルン将軍の会見写真等があり、当時の机も残っていた。
日清・日露の戦いで旅順の中国人が無残に虐殺されている写真も展示されており、加害者の国民として申し訳ない気持ちで一杯になった。 二度とこのような侵略戦争を起こしてはならず、その為には今日本で問題になっている教育基本法の改悪や平和憲法の武力放棄をうたった憲法9条を改悪させてはならないとの思いを強く持った。
旅順の降伏会見所







露軍委員の控え室







当時の机







二〇三高地は日露の戦いの激戦地。頂上から旅順港が良く見えた。
与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」という詩は昔よく口ずさんだものだ。
私達は標高203mの小山を歩いて登ったが、往復100元の「カゴかき」がしつこく「乗れ乗れ」と煩かった。乗った人の話によると、チップまで請求されたそうだ。
二〇三高地







記念碑







記念碑







二〇三高地頂上の大砲







二〇三高地記念碑(乃木将軍の建立)







二〇三高地から見た旅順港







大砲







カゴ屋さん(往復100元)







乃木将軍の息子の戦死場所







つきものの工芸品店でのショッピングは退屈だった。
時間があったので「鏡池」を散策した。
夕食は「天天漁港」での海鮮中華だった。この料理も美味しく、今回の旅ではどの料理も満足いくものだった。

9月28日(木)、今日はもう帰る日だ。午前はロシア人街を散策し、土産物屋をひやかし、免税店でチョコレートや飴の土産を買って空港に向かった。
鏡池からの大連市街







連泊した「万達国際飯店」







玄関







大連市街







大連市街







ロシア人街







ロシア人街の通り







ロシア人街での私







子供







今回の旅は、旧満州に行き、大連を見物し、旅順で日清・日露の戦跡を訪ねたということか。
中国は広く次は新疆のカシュガル等のシルクロードか、満州のハルピン方面か。
二人とも元気なうちにシルクロードや世界遺産を的に世界を歩きたいものだ。



(記述日2006.10.4)

(掲載日2006.10.4)



  終わり 









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