関西に住んで50年、これまで多武峰に行ったことが無かった。
いつでも行けると言う気持ちが、これまでこの方面に近づかなかったのかも知れない。
東京に単身赴任して約1年、東京から関西を眺めれば、北海道や九州と同じように一地方と言う客観的な見方も生まれて来たが、やはり文化の発祥の地としての憧れがある。
特に京都と奈良には、関東には逆立ちしても無い歴史の重みがある。
大阪に生まれ育ち、京阪奈丘陵に住む私にとって、万葉の地(やまと)は他の地とは比較出来ない特別な意味合いがある。
平成8年1月20日、昼から家を車で出発、友と会う妻を桜井で降ろし、2時過ぎに多武峰の談山神社に着いた。
藤原鎌足をまつる談山神社は日光の東照宮の様だった。紅葉で有名な境内は、華やかさこそ無かったが、カシやシイの老木に囲まれ、本殿他幾つかの屋根が真っ白な雪で覆われている様は、静けさの中の荘厳さが漂っていた。
折角来たので、裏山の談山(かたらいやま)に登る。
かなり急な木の階段を一歩一歩登る。誰一人通らない道を歩く。時々回りの木の頂きから雪がバサツと落ちて来る。
10分程で談山の頂上に着く。ここは中大兄王子が蘇我入鹿の暴虐を憎み殺すべく、藤原鎌足と相談した所である。
ここは談所の森とも言われ、多武峰の語源ともなっている。
ここから645年の大化の改新が始まったことを思えば、何となく身が引き締まった。
談山から尾根伝いに500mほど行った所に、鎌足の遺骸を埋葬したと言われる、標高630mの御破裂山(ごはれつざん)があった。ここは多武峰の最高点でもある。頂上は鳥居と垣に囲まれた円墳であった。頂上からの大和平野の展望は良く、畝傍・香具山・耳成の大和三山が良く見えた。
天下に事変の起こる前は、本殿の神像が破裂し、山上大いに鳴動するという。
帰り道、『不動滝前』の大きな杉の根元に花崗岩があり、『破れ不動』として知られている。この巨岩の中央部に真っすぐな亀裂があるが、これは慶長12年御破裂山が鳴動したとき破れたのだと言われている。
若桜神社と安倍の文珠を覗いて、5時過ぎに妻と待ち合わせて、高山の家に帰った。
今後、奈良に帰った時は、妻と2人で万葉や明日香を散策したいものだ。
終わり
(記述日:1996.1.26)
(掲載日:2002.11.5)