エフェソス(2002.12.16)
5.エーゲ海最大の遺跡群が眠る古代都市エフェソス

12月16日クシャダスより直ぐのエフェソスに行く。
ガリア人の集落だったこの土地に、紀元前11世紀頃からイオニア人によってアルテメス神殿を中心とした都市が建設された。

聖母マリアは昔このエフェソスに住んでいたが、迫害され遺跡から7km離れたブルブル山に移ったという。この家で64歳で亡くなったとも言われている。

この聖母マリアの終焉の地は、今は教会となっており、ローマ法王が度々訪れているという。
小さな簡素な家だった。

庭には病気に良く効くという聖水が湧いていた。
この聖水の場所に、日本と同じようにおみくじに似た白い紙が貼り付けられていた。結婚の願いをマリアさんが聞いてくれるらしい。

このマリアの家から、妻は子供たちに絵葉書を送った。切手は70万TLだったという。私は彼女が郵便局に行っている間に、土産物屋で2本のトルコ短剣を買った。2本で35米ドルまで値切った。

このエフェソスは港町で、シルクロードの西の端とも言われている。ここから船でローマやヨーロッパ各地に行ったと思われる。
勿論カッパドキアからアンカラを通ってイスタンプールに行き、ボスポラス海峡を渡って陸路ベネチアへ行くルートもあったに違いない。

エフェソスの町は共和国以来、セルチュクと言われている。セルチュク駅の側に豊穣の神アルテミスの像があった。

エフェソス遺跡はエーゲ海最大の遺跡と言われるだけあって、とてつもなく大きく、全てを見ることはとても出来なかった。

豊穣の神アルテミス神殿は、紀元前7世紀頃から建立され始めた。建築期間約120年、高さ19m、直径1.2mの円柱を127本持つこの神殿の壮大さは、世界七不思議の一つだった。今は1本の円柱のみなのが侘しい。

体育場・競技場・大劇場等があった。大劇場から図書館までの大理石の道を「マーブル通り」という。
この通りに面して「ケルスス図書館」がある。正面には知恵・運命・学問・美徳の四つの意味をもつ女性像があった。
当時この図書館はエジプトのアレキサンドリア図書館、ベルガマの図書館に次ぐ規模で12万冊の図書があったという。

この図書館の反対側には「娼婦の館」があり、マーブル通りの下には地下道があったという。
男たちは妻に図書館へ行くといって家を出て、図書館から地下道を通って「娼婦の館」に通ったらしい。この館の広告が路面に彫られていた。

その他にもヘラクレスの門・公衆トイレ・ハドリアヌス神殿・メミウスの碑等等。
トルコが歴史の宝庫であることは良く分かったが、遺跡見学に少々疲れた。
(2003.1.4)
続く
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