ejiputogirisia
 エジプト・ギリシャ・エーゲ海クルーズ(2005.3.19〜3.26)








エジプト・ギリシャは世界遺産に興味ある私達夫婦にとって、憧れの国だった。又、エーゲ海クルーズは一度は行って見たかった。
昨年も申し込んではいたが、参加者の関係で中止になった。今年も阪急トラピックスに申し込んではいたが余り期待していなかった。
妻が4年前に会社を退職し、会社時代の友達と卒業旅行としてエジプトに行っていたので、私ほど今回の旅に熱心でなかった。
阪急トラピックスから「エジプト・ギリシャ・エーゲ海クルーズ8日間」が14名の参加で催行となった旨の連絡があった。
旅行の準備は前日だった。妻は風邪を引いていたが何とか行けそうとのこと。


3月19日(土)、関西国際空港13:55発のエジプト航空でカイロに向かった。
空港でエジプトポンドは無くUSドル、ギリシャはユーローなのでそれぞれ両替する。
時差は7時間でカイロに現地時間20:55に着く。
私は初めてアフリカ大陸の地を踏んだことになる
食事は機内食で、カイロ滞在中に三連泊するホテル「ジュセル パートナー ホテル」に夜遅く到着。疲れているため風呂に浸かって直ぐに寝る。


3月20日(日)、今日はピラミッド見学だ。朝は何時ものようにバイキングの朝食。
最近殆どのホテルは、このビュッフェ方式のバイキングで、私は余り好きではない。
カウラー王のピラミッドと駱駝











9時出発でバスに乗ったら直ぐにピラミッドが見えてきた。
私はピラミッドは郊外の砂漠の真ん中にあると思い込んでいたのでびっくり。
目の前に一番大きな第一のピラミッド(クフ王の墓)











まず、ギザの3大ピラミッドの見学。紀元前2551〜2528年のクフ王のピラミッドが一番大きかった。
ギリシャの史家ヘロドトスの記述によれば、ピラミッドの建造は20年以上にわたり、3ヶ月交代で10万人が従事したそうな。
高さは146.59mで頂上の一部が崩れている。頂上に避雷針を立てて頂上を示していた。
クフ王の墓の入り口











クフ王のピラミッド(頂上が滑落している)











底辺は230.5m内外で、4つの辺の誤差は20cmで千分の一の誤差だった。4500年前によくもこのように正確に作ったものだ。
一個が平均2.5トンの石を250万個積み上げているとのこと。
現在、外観は階段状だが、これは表面を覆っていたトゥーラ産の白い石灰岩をアラブ人支配期に剥ぎ取られてしまったからで、それ以前は日差しを浴びて燃えるように輝いていたとのこと。
第一ピラミッドを後ろに第二ピラミッドを撮影











入り口付近まで登ったが、それ以上は登山禁止だった。昔は誰でも登れたが、墜落事故があってそれ以降は禁止になったみたいだ。
クフ王のピラミッドの横にスフィンクスを従えたクフ王の息子カウラー王のピラミッドがあった。
カフラー王のピラミッドはクフ王のピラミッドより少し小さくしてある(底辺215m*215m、高さ143.5m)。
しかし少し高い場所に立っており、頂上ふきんの表面に覆いが残っているので強い印象があった。
なおかつ墓を守るかのように大きなスフィンクスがあるではないか。
第二ピラミッド(カウラー王)の前で守るポリスと一緒に











左から第一、第二、第三(メンカウラー王)ピラミッド











ピラミッドの中に入った。細い路を背を屈めて歩く。天井に石灰岩の板をはめ込んだ玄室があった。
駱駝に乗ったポリスと一緒に写真を撮って貰った。
カウラー王のピラミッドと墓を守るスフィンクス











カウラー王の墓を守るスフィンクスを見に行った。ピラミッドを後ろに控えたスフィンクスは堂々としていた。
スフィンクス











第一ピラミッド(クフ王)とスフィンクス











昔はスフィンクスは砂に埋もれていたが、神のお告げで掘り起こした者がいた。彼はその功績によって王となったらしい。
スフィンクスの横から











スフィンクスの回りを見学。クフ王やカウラー王を背後に砂漠に蹲るライオン。
右クフ王、左カウラー王の前がスフィンクス











三つ目の一番小さいピラミッドが、カウラー王の息子のメンカウラー王のピラミッドだった。
駱駝い乗って10分程度砂漠を散歩











三つのピラミッドが良く見える丘に登った。
ここでピラミッドを背景に記念写真を撮ってもらった。
そこで駱駝に乗って10分間ほど散歩した。私達は昨年中国のシルクロードで駱駝は経験していたが、初体験のツアー仲間のおじさんが怖がっていた。
ツアーの記念写真











駱駝は降りる時に前足を急に曲げるので前のめりに落ちそうになる。相変わらず妻もビビッていた。私は楽しかった。
昼食は名物のハト料理(美味しかった)











ピラミッドを堪能して昼食はカイロ市内で名物の「ハト料理」となった。
案外小さく美味しかった。あのハトがこんなに美味しいとは知らなかった。
ビールを飲む。海外旅行の場合、昼からお酒を飲むので、午後の観光は多少キツイ。しかしそれが楽しみだから仕方が無い。
普通は飲みすぎたら私を睨む妻も、海外旅行中は少し甘くなる。

カイロ市内モハメッドアリモスク











午後はムハンマド・アリ・モスクを見学。1957年、イスラム地区シタデルの高台に完成したエジプトを代表するモスク。
高さ82m、2本の八角形のミナレットと大小のドームを持つ壮麗な外観。トルコのブルーモスクと良く似た感じだった。
パピルスのお店を覗き、エジプト考古学博物館を見学。2回にあったツタンカーメンの黄金のマスクが圧巻だった。
特別に見学料を払って10数体のミイラを見た。ウルムチで見た楼蘭のミイラと違って、布でぐるぐる巻きにしてある。エジプトのミイラは内臓を取って側の壷に収めてあった。

ハーン・アル・ハリーリはエジプト最大の市場だった。市場の歴史は古く、中世にはすでに1万2000軒もの商店があったとのこと。
ここで自由時間があったので私達は探検に出かけた。妻はクリスタルの香水入れの店で沈没。私は一人で何時ものように短剣を物色。
現代のチャチナ短剣は売っていたが、アンティックな物はない。ある店で尋ねたところ、違う店を紹介してくれて、人相の良くないアラブ系人物が品物はこちらと案内する。路地を彼方此方歩き、最後は階段を登ってある扉の前で入れという。
中は真っ黒。私は本能的に危険を感じ、いやだと言う。無理やり押し込まれないように扉から離れ、「時間がないのでこれまで」と言って、男を振り切った。
ハーンハリーリ市場















帰るべき路がよく分らなかった。やっと見覚えのある通りに出て、待ち合わせ場所に行くと、妻が心配そうに立っていた。
心配して待っていたと言う妻に近くの喫茶店でコーヒーを奢った。ここはさすがにエジプト一番の繁華街の為、人また人のオンパレードだ。しかし物騒なところだった。






カイロ市内の住宅















カイロ市内で夕飯を食べ、カイロ三連泊の「ジュセル パートナー ホテル」に帰る。 カイロ三連泊の「ジュセル パートナー ホテル」















3月21日(月)、今日はカイロ郊外のダハシュール・サッカラ・メンフィス観光だ。
途中の景色











果物を売る街角











まずカイロから一番遠いダハシュールへ行く。ここはサッカラの南に位置し、古王国第4王朝を開いたスネフル王のピラミッドが二つ残されていた。その内の一つが「赤のピラミッド」で、基底部の一辺が220m、高さ99m、傾斜角43度。使われた石材が赤みを帯びていたことからこの呼び名がある。
ここの内部のトンネルはかなりきついらしく、私を含めて数名が中に入った。急な通路を屈みこみながら底まで下り、又狭い通路を登り玄室にやっと辿り着く。往復20分余りの歩行だったが、参加者全員が足を攣った。直るのに2〜3日かかった。
バスの中からもう一つの「屈折ピラミッド」を見た。傾斜角度は下部が52度、上部が43度。屈折の理由は王の死期が早まったため完成を急いだなどの説があるが、真実は分らないそうだ。
サッカラの階段ピラミッド(クフ王の父の墓)











サッカラの神殿跡











サッカラは、初期王朝時代から3000年も続いた広大な墓地。世界最古の石造建造物として知られる古王国代王朝ジェセル王の「階段ピラミッド」はここサッカラにあった。
メンフィス、ラムセスU世像が大きかった











次に行ったメンフィスは、メネス王によって開かれたエジプト最初の都と言われている。後年に神殿を増改築したラムセスU世の巨大な像が残されていた。体長15mの巨大な像が建物の中に横たえたまま保存されていた。その建物の前に女王のスフィンクスがあった。土産店がずらりと並んでおり、私は小さな短剣と王の像を求めた。
女王のスフィンクス











オールドカイロ地区を見学し、途中に絨毯工場を見てホテルに帰った。
ナイル河クルーズで











夜はナイル川ディナークルーズで、船から眺めたカイロは幻想的だった。
ペリーダンスもあったが、サマルカンドで見たそれと比較して少し物足りなかった。明日はギリシャのアテネ。


絨毯工場











3月22日(火)、今日はカイロを後にして、エジプト航空9時50分発でアテネに飛んだ。アテネに12:00に着いた。昼食はラザニアのような味のムスカを食べた。
アテネ、昼食はムサカ(ラザニアのような味)











今日は世界遺産のアクロポリスの見学だ。あのパルテノン神殿がもう直ぐ見えると思うと胸がドキドキした。
ギリシア古代遺跡のハイライト、人類文明の遺産。アクロポリスとは「高い丘の上の都市」と言う意味。
ブロプレア前門











バスからアクロポリスの丘が見えたときは感動した。やっと来れたと言う感じ。ブーレの門を過ぎ、右側に小さな神殿があったがこれがアテナ・ニケ神殿(翼なき勝利の女神)だった。
プロピレア(前門)を過ぎると目の前にあのパルテノン神殿があった。工事中ではあったが、ドリア式の石柱に囲まれ、雄大な姿を見せて建っていた。
アクロポリスの丘のパルテノン神殿











パルテノン神殿











  この神殿は紀元前438年に完成した。アテネの守護神アテナを祀ったパルテノン神殿は、巨大な列柱とその数に圧倒された。
建物の周囲160mに46本の柱が立っていた。1本の柱は10mで下部の直径は2mもあった。
パルテノン神殿を背景に











エレクティオンの美しい少女像











パルテノン神殿の西側に6人の少女像を柱としたエレクティオンが建っていた。
アクロポリスの丘から見るアテネの街並み、ゼウス神殿











展望台からアテネ市外とゼウス神殿が良く見えた。隣にある「アクロポリス博物館」は古代ギリシアの彫刻のパレードだった。
アクロポリスの丘から真下に「イロド・アティコス音楽堂」と「ディオニソス劇場」が見えた。音楽堂は今でも現役らしい。一方劇場は遺跡として残されていた。

アクロポリスの古代劇場











アクロポリスの丘より高いリカベストの丘











パルテノン神殿と私











アクロポリスの丘から











アクロポリスを後にして、アテネ市街観光となった。アテネは桜が満開だった。
桜が満開











オリンピックのスタジアム、1896年第一回、2004年もここでマラソンが











1896年に第1回オリンピックが開催されたオリンピック・スタジアム。昨年もここで女子マラソンが行われ野口がゴールを切った所だ。
大統領官邸では衛兵が立っており、妻は一緒に写真に納まって満足顔。
大統領官邸前の衛兵











国会議事堂(ここにも衛兵が)











アテネの中心であるシンタグマ広場には国会議事堂があった。ここでも衛兵が四六時中立っていた。
アテネ三連泊の「エスペリア パレス ホテル」のすぐ近所に、19C建築のアカデミーがあった。右の像がプラトン、左がソクラテス。
19C建築のアカデミー、右がプラトン、左がソクラテス











夕食はタベルナで食べた。夜ホテルから歩いてシンタグマ広場まで散歩した。


アテネ三連泊の「エスペリア パレス ホテル」
















3月23日(水)、いよいよ今日はエーゲ海クルーズの日だ。天気は最高に良い。コバルト色に輝くエーゲ海。一般に「エーゲ海1日クルーズ」とは、サロニコス湾に浮かぶ、エギナ島、ポロス島、イドラ島の3島を1日で周遊するクルーズのことを言う。
いよいよエーゲ海のクルーズへ











エーゲ海











今回はまず最初にポロス島に上陸した。白壁に青い窓。彼方此方に花が咲いている。港にはヨットが停泊。岸壁の通りには土産物屋。
彼方此方に花が











ポロス島、白壁に青い窓











青い空とコバルト色のエーゲ海。時計台に登った。対岸のペロポネソス半島も見え、ポロス島の全景も一望出来た。約1時間の散策だった。
ボロス島の港で











船の中では4人座席のテーブル。船内販売でビールを注文。時々デッキへ上がってエーゲ海を堪能する。
イドラ島の街並み











イドラ島の街並み











イドラ島に到着、2時には乗船のこと











次はイドラ島。ここでの自由時間は2時間半。迷路のような街で、かってのイドラ商人達の豪邸の建つ街並みを散歩する。
イドラ島の街並み











イドラ島のTAXIはロバ











建物が美しいイドラ島











イドラ島は車の乗り入れが禁止されており、バスはロバだった。ロバはタクシーにもトラックにも使われていた。
のんびりとエーゲ海で昼寝











エメラルドグリーン











若者が泳いでいる











彼方此方歩き回り、疲れたので瞬時の昼寝を楽しむ。
イドラ島の街並み











入り江のビーチで泳いでいる人もいた。エーゲ海が美しい。体と心の洗濯されているような、気持ちの良い散策だった。

最後はエギナ島。3島の中で一番人口が多く、活気ある島だった。
オプショナルツアーでアフェア神殿を見る。説明は日本人の「ヨウコ」さん。
彼女は20年以上もこの仕事をしており大ベテランだ。話しぶりがおかしく皆の人気者だった。
エギナ島のアフェア神殿











アフェア神殿は紀元前7世紀











紀元前6世紀末から紀元前5世紀にかけて建てられたアフェア神殿。美しい姿を今日に残している素晴らしい建造物だった。
島にはペスタッチオの木が沢山あった。「ヨウコ」さん紹介の売店でピスタッチオを買う。
ぽりぽり食べると美味しく止められない。
この売店で古いアンティックな短剣を2本買った。彼女の顔でかなり安く買え、私は満足した。
教会を見学し、船着場に戻ったが、少し時間があったので、名物のギリシアの地酒であるウゾを飲む。
エギナのタコは名物。炭焼きの塩味のタコにレモンを絞ってウゾのツマミに。
エギナ島のペスタッチオの木











添乗員の杉崎さん(英語の堪能な若き美女)にもウゾとタコを賞味してもらった。このタコをつまみにしたウゾは口当たりがよく、友人の土産に何本か買った。


ここで蛸をツマミにウゾを飲む











エーゲ海の空も青い











夕食はギリシア名物のスブラキを食べた。


3月24日(木)、今日は一日アテネで自由時間だ。一日のんびりアテネを散策するのもいいが、折角ここまで来たので古代文明の故郷にしてギリシアの偉大なるいなか「ペロポネソス半島」に旅した。
ペロポリス半島へは運河を渡る











アテネから西約80km。半島のつけねにある「コリントス運河」を渡る。約80mを掘って、サロニコス湾からコリンティアコス湾を抜け、イオニア海へ通じている。高さ80m、幅24m。切り立った崖が両側から迫り、はるか下方に緑色の細い水面が広がる風景は非常に印象的だった。

コリントスはペロポネソス半島の玄関口だ。古代コリントスが最も隆盛を極めたのは紀元前7世紀。
紀元前3世紀にアレクサンダー大王の時代に、ギリシア都市国家「コリントス同盟」の長として君臨していたこともある。
ローマの植民地時代は、ローマン・ギリシアの首都であった。
紀元前7世紀のコリントスの店舗跡











コリントスのアポロ神殿











旧コリントス遺跡を見学する。商店街やピレーネの泉。中でも遺跡の頂上にある紀元前6世紀に建てられた「アポロン神殿」。
コリントス遺跡











コリントス遺跡











コリントス遺跡











コリントス遺跡











コリントス遺跡











コリントス遺跡博物館には、新石器時代からローマ時代までの、この遺跡とこの地方一帯で出土した品が展示されていた。
コリントスの博物館











コリントスから発掘されたもの











コリントスから南へ約30kmにミケーネがあった。イリアス山とザラ山の麓の小高い丘に、かってホメロスが「黄金に富むミケーネ」とうたったミケーネ文明の遺跡があった。
ミケーネ遺跡











ミケーネ遺跡











ミケーネ遺跡











ミケーネの円形墓地











紀元前16世紀〜紀元前12世紀、バルカン半島を南下し住み着いたギリシア人は、クレタ(ミノア)文明を引き継いで独自の文明を作り上げた。これがミケ0ネ文明である。ミケーネの城砦はアクロポリスの原型とも言われている。
「獅子の門」・「円形墓地」・「宮殿跡」を見学した。圧倒されたミケーネ遺跡。エジプトのピラミッドのような「アトレウスの宝庫」。
3000年前の陸墓、アトレウスの宝庫











ミケーネ遺跡に咲く小さな花











ミケーネで











ミケーネの獅子の門











このペロポネソス半島でコリントスやミケーネの遺跡を見れたことは良かった。
ミケーネ遺跡











ミケーネ遺跡











ミケーネの円形墓地











帰りはオモニア広場でバスを降り、ホテルまで歩いて帰った。
ホテルで少し休憩し、ホテルから歩いて「リカウェトスの丘」へ出かけた。標高273m、シンタグマ東部にそびえる、アクロポリスと並ぶアテネのランドマーク。
アテネを見下ろすリカベストの丘の教会で











明日は帰国のフライト、リカベストの丘で











1時間ほどでケーブルカーの駅に着いた。途中見つけた公衆電話で、キヨスクで4ユーロで買ったテレホンカードで息子に電話した。旨くいった。
ゼウス神殿前のアドリアヌス門からアクロポリスの丘が











頂上からはアテネ市街がすべて見下ろせた。アクロポリスの丘もはっきりと。夕陽が幻想的で美しかった。
帰りは駅からタクシーに乗ってホテルまで帰った。夕食は日本から持っていった「狐うどん」や「ご飯」を携帯用の「湯沸かし器」で食べた。ビールを飲んで寝た。


3月25日(金)、今日は帰国日だ。10時出発まで時間があるので、早起きして7時過ぎにはホテルを出発し、二人だけで行動する。
シンタグマ広場からゼウス神殿まで行く。
アドリアヌスの門を眺め、アクロポリスの麓を通って、アゴラ地域の遺跡を見学した。
アゴラのアドリアヌス図書館や風の神の塔。途中に「タベルナ」という食堂とレストランの間の庶民的な居酒屋風レストランが沢山あった。
[タベルナ]と言うのが食堂とレストランの間の庶民的な居酒屋風











時間が気になったので、プラカ地区のモナスティラキ広場の駅からシンタグマ駅まで地下鉄に乗った。
とても綺麗な地下鉄だった。
アゴラ地域の遺跡











アゴラのアドリアヌス図書館











シンタグマ広場でギリシアで有名なファーストフードチェーン店である「エベレスト」でコーヒーを飲んで休憩し、のんびり過ごした。
ホテルに9時半ごろ戻ると仲間が誰もいない。見知らぬ女性が近寄って「溝川さんですか」と聞くではないか。
実は今日はシンタグマ広場で軍事パレードがあり、バスはこのホテルまで入れないので、皆は1時間前に移動したとのこと。
私たちは彼女について又地下鉄に乗って皆と合流した。
アテネの繁華街、シンタグマ広場の「エレベスト」と言う喫茶店でコーヒーを











アテネから又カイロに戻り日本の関西空港には3月26日(土)昼に着いた。
関空に降り立った時、日本は寒くぶるっときた。エジプトやギリシアは暑く、日本の寒さに妻は又風邪をぶり返した。
ピラミッドやスフィンクス、アクロポリスやパルテノン神殿、エーゲ海クルーズそしてコリントスやミケーネと私達夫婦にとって満足のいく旅だった。



(2005.4.9)












                                  終わり 




「海外旅行」ページに戻る