4.アルハンブラ宮殿があるグラナダ(2003.1.21)
4.アルハンブラ宮殿があるグラナダ(2003.1.21)
今日1月21日(火)はアルハンブラ宮殿(世界遺産ー2)とヘネラリーフェ庭園のあるグラナダとメスキータ(世界遺産ー3)のコルドバそしてセビリアで本場のフラメンコディナーショーの予定だ。

これらの地域はアンダルシア地方の内陸部にある。夏になると昼間は猛烈に暑く「アンダルシアのフライパン」と呼ばれている。
アンダルシア地方はイベリア半島の南部に位置し、ジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸と向き合っている。

古代にはローマ人、ついでゲルマン系の西ゴート人、さらには711年にイスラム教徒が侵入・定住したアンダルシアは、多様な歴史と文化が混じり合う土地だ。

グラナダは紀元前5世紀頃、ローマ帝国支配化の都市として始めて歴史に登場。やがて13世紀ナスル朝グラナダ王国の建国によってその繁栄は絶頂期を迎える。

今回の旅で私が最も見たかったイスラムの「アルハンブラ宮殿」が建築されだしたのもこの頃だ。

イスラムに支配された土地をキリスト教徒が奪回していく運動を「レコンキスタ」というが、1212年にコルドバがキリスト教徒の手に落ちた後も、グラナダは繁栄し続け、1492年ポルトガルのコロンブスによるアメリカ大陸発見の年に滅ぼされた。

前日遅く暗くなってからグラナダに着いた私達は、バスの停まった「ヌエバ広場」から希望者のみ「カテドラル(大寺院)」を見に行ったが確認出来なかった。

今日はホテルから歩いてアルハンブラ地域へ行く。現地案内人は冗談好きのスペイン人。
まず最初に「カルロス5世宮殿」見学。16世紀カール5世が王宮の南側に隣接して建てさせたルネッサンス様式の宮殿。正方形のどっしりとした建物に真円形の中庭を配した変わった造りだ。



待望のアルハンブラ宮殿を廻る。アルカサバ(城塞)は最盛期には24もの塔や兵舎、倉庫、空堀に浴場まで備えた堅固な城塞であったという。

宮殿は14世紀に建設されたイスラム文化の精華ともいうべき傑作建築だった。何回も増改築された複合型の宮殿だ。王が政務を執り行ったメスアルの間。壁画や天井を飾るアラビア模様の絵タイルや漆喰細工の美しさ。水面にコマレスの塔を映すアラヤネスの中庭。



王のハーレムであった部屋や施設の真ん中の「ライオンの中庭」。12頭のライオンに支えられた大きな円形の噴水。天井に10人の王の姿が描かれた「王の間」。
これらはイスラム文化の影響か、噴水や水の流れと緑を配した住みたくなるような宮殿だった。

グラナダ王の夏の宮殿であった「ヘネラリーフェ」。水をふんだんに利用した庭園は幾何学模様のヨーロッパ的庭園だった。きれいに刈り込まれた庭園樹。

柘榴を意味する言葉は「グラナダ」。グラナダにとってザクロはどのよう意味を持っていたのだろうか。
私が家の庭に大きな柘榴の木があり、毎年実をつける。時々食するが種が多くさほど旨いとも思わない。最近美容にいいとか珍重され出したみたいだが、妻はまだ活用していない。する必要が無いのか、利用の仕方が分からないのか、その辺の事情は男の私にはとんと分からない。

(記述日:2003.2.2)
(掲載日:2003.2.2)
続く
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