igirisu
美しき英国周遊(2005.5.21〜5.30)
20年以上海外旅行を楽しみ、30カ国以上の国々を訪れたが、どういうわけか世界に冠たる大英帝国イギリスは行っていなかった。
いつかのヨーロッパ旅行の際、中継点としてロンドンのヒースロー空港に降り、売店でスコッチを買ったぐらいか。
何時でも行けると思っていたことが、なかなか気持ちが向かなかったかもしれない。
世界遺産を好んで廻る我々夫婦にとって、行く先々の旅先で、貴重な遺産を守るためと言う口実で略奪していた大英帝国の行動を「どろぼう!」と強く批判していた現地ガイドの話に共感を覚えていた為かも知れない。
勿論大日本帝国も同じく加害者であったことは言うまでもないが。
会社を辞め、自由人となって土に親しみ、自然と接する機会が多くなるに従ってイギリス人の自然に対する態度に親しみを感じ始めていた。
尊敬するC・W・ニコルがウェールズ出身のイギリス人であったことが理由かも。
イギリスの正式名称が長ったらしい「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」と言うのもつい最近のクイズ番組で知った。
イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズを含むグレート・ブリテンと北アイルランドからなる。
13世紀にウェールズ、18世紀にスコットランドが統合されて大ブリテン王国を形成。さらにその後アイルランドの統合、分離、独立を経て1921年、現在の形になったものだ。
ウェールズ人であるC・W・ニコルのイングランドに対する敵対心を見ていた私は多少は知っていたが、各地方の民族的な独立心は大変凄い。
今でもアイルランド問題はイギリスが頭を抱えている問題だ。
緯度的には日本の北海道より北にあるが、沿岸を流れるメキシコ湾流の影響で各地方とも比較的温暖だ。
阪急トラピックスの「美しき英国周遊10日間」に参加した。
5月21日(土)、関西空港に集合したのは総勢39名、男性9名女性30名。添乗員は若き女性の辻岡さん。
7組が夫婦で一組は新婚さん。
11:50にJL−421便でロンドンに向けて飛び立った。時差は8時間。ロンドンに現地時間16:15に到着。
ロンドンからBA−1462便(ブリティッシュエアウェイズ)にてエジンバラへ。
エジンバラに20:45到着。まだ薄っすらと明るかった。そこからバスで本日の宿泊地グラスゴーへ向かった。
グラスゴーはスコットランドで最大の産業都市。何故エジンバラでホテルを見つけないのか不思議だったが、当日エジンバラでラグビーの試合がありその影響とは後で分った話。



ホテルはクライス川沿いの「モートハウス」。グラスゴーは建築家マッキントッシュの活躍した場所だが、一切の見学無しに次の朝エジンバラに向かった。
5月22日(日)、「斜面に立つ城砦」と言う意味のエジンバラは1707年に連合王国の一員になるまで独立した王国だったスコットランドの首都だった。
現地ガイドはエジンバラに住む明るい「玲子さん」。
まず最初に英国女王がスコットランドを訪問した時に泊まる「ホリールード宮殿」見学。ここで偶然衛兵交代を見た。
次に時間をかけてエジンバラ宮殿を見学した。ここの衛兵交代は迫力があった。




エジンバラ城は6世紀に最初の城砦が出来たという。スコットランドの象徴ともいうべき巨大な城砦。


宮殿内部や資料、王冠や剣等王位継承に必要なスコットランドの至宝。その上で王位を継承したという「運命の石」。
大砲や牢獄を見学。



丘に建つ宮殿からエジンバラの街が見下ろされた。海の向こうに岬が見え、その向こうが夢にまで見たセント・アンドリュースだそうだ。
数年前までゴルフにのめり込んでいた私は、スコットランド出身の我が家のコリー犬に正式名として「レミー・アンドリュース」と名付けた。今の愛犬ダンはコリー犬「レミー」の息子だ。

私はここでエジンバラの土産として柄に宝石(?)を埋め込んだ小さな短剣を買った。30ポンド(約6000円)もしたが、スコットランドに来た証としてどうしても欲しかった。
街角でタータンチェックのキルトを巻いて、バグパイプを演奏している人を見かけた。




ラグビー選手らしき人達もスカートを穿いていた。
昼食はスコッチエッグ。大ジョッキのビール(約3ポンド)。旅行中、昼と晩の食事には大ビールを飲み続けた。
日頃はアルコールを節制している私だが(毎晩晩酌はするが)、旅行中は妻も多少多めに見てくれる。
昼からイングランドの湖水地方に向けて長いバスの旅だった。雨の中窓の外の景色を見ているうちに眠ってしまった。
夕方、今日から2連泊するウインダミア湖に隣接する「スーベリアクラスホテル」に着いた。夕食はレストランで魚料理。
雨に煙る湖水地方は絵画的で美しかった。明日からの観光が楽しみだ。

5月23日(月)、今日は湖水地方を巡るが、生憎の雨模様。
イングランドで最も美しいとの誉れ高い湖水地方は、東西50km、南北60kmに及ぶ国内最大の国立公園だ。
氷河によって侵食された深い谷が放射線状に延び、大小の湖が静かに水をたたえている。
この地をこよなく愛した詩人ワーズワース、ピアトリクス・ポターの絵本など、文学の故郷としても有名だ。
まずワーズワースが新婚当初住んでいた「ダヴ・コテージ」と「ワーズワース博物館」を見学。
そこからワーズワースーが詩作のため散策した道を1時間ほど散歩した。







そして彼が最後に住んだライダル・マウントの家と彼が作った庭園を見て廻った。




雨が降って寒かったが、緑豊かな湖水地方を満喫した。




昼食をボウネスで食べ、ウインダミア湖をクルーズし、湖畔から発車する蒸気機関車に乗った。

次いで、「ピーターラビット」で有名な「ピアトリクス・ポターの世界館」を見学。孫娘が喜びそうな展示がびっしりと詰まっていた。



街を散策し小奇麗な店でコーヒーを飲んだ。
夕食も偶然その店だった。
2連泊のホテル「ロウ・ウッド」はウインダミア湖畔に佇む豪華四つ星ホテルで、300年の歴史を誇るらしい。
ただ、古い建物で床がみしみし音をたてるのには閉口した。


5月24日(火)、今日の予定は、嵐が丘で有名な「ハワース」と「リヴァプール」。
小説家ブロンテ三姉妹の故郷として知られるペナイ山脈の南にある小さな村「ハワース」。


姉妹が住んでいた家や、お父さんである牧師が勤めていた「ハワース・パリッシュ教会」を見学。


嵐が丘の舞台になったヒースが覆う丘への散策路「フートパース」を少しだけ歩く。
若い頃に読んだ「嵐が丘」や「ジェーン・エアー」が目に浮かぶ。どんよりした空と風、薄くらい荒野。裏庭のお墓も苔むして幽霊が出そうな感じ。




昼食はソーセージ料理を食べ、バスに乗って約115km離れたリヴァプールへ向かう。
ビートルズの故郷リヴァプール。「ビートルズ・ストーリー」を見学したが、私は退屈だった。妻たちは大喜び。
妻はビートルズ4人の顔が入ったTシャツを買って、早速着用していた。


港の倉庫跡の店屋を冷やかして、リヴァプール大聖堂を見学。


本日の宿はチェスターにあり、「フールホール」という。夕食はポークソテーだった。


5月25日(水)、チェスター、中世の城壁に囲まれたこの街は、ウェールズを制圧する為にローマ軍が砦を築いたことに始まる。
白壁に黒い梁のコントラスが美しいザ・ロウズ。3.2kmのローマン・ハーバー城壁に囲まれた街。

自由時間があったので、私たちは城壁の上を歩くことにした。東門から階段を登り、南門迄来たが西門への道が分らなかった。
幼稚な英語で道を尋ねたが、親切なおじさんが近道を教えてくれた。わざわざ近道の門までついてきてくれて指差した。
小さな街なので適当に歩いていると、見覚えのあるザ・クロスにぶつかった。



チェスターからストラッドフォート・アボン・エイボンに行く途中に、世界で初めての鉄橋「アイアン・ブリッジ」を見学。
これは世界遺産でもあり、周りの風景が大変美しかった。



次にシェクスピアが生まれ育った街、ストラトフォード・アポン・エイボンに行った。
シェクスピアの生家、妻のアン・ハサウエイの家、博物館等々シェクスピアづくしだった。
私はエイボン川畔で川に戯れる白鳥を見ながら昼寝をした。













偶然入った店でウエッジウッドのピーターラビットのイヤーズプレートを安く手に入れた。
明日からのコッツウォルズ巡りが楽しみだ。
今日のホテルは「シャルコット・フェザント」と言い、街から少し離れた場所だった。
ホテルが牧場を持っており、馬や牛が草を食んでいた。
5月26日(木)、今回のイギリス旅行で一番楽しみにしていたコッツウェルズの村巡りの日だ。
英国で一番美しい村々と言われるコッツウェルズ。そこは私達が理想とし憧れる風景が広がっている。羊が草を食む丘陵地帯、絵画のような田園風景。日本の里山の佇まいだ。水田の替りが牧場か。

コッツウォルズ地方とは、大まかに昨日行った「ストラットフォード・アポン・エイボン」と「オックスフォード」「バース」」の三つの街を直線で結んだ三角形の中にあるエリアを呼んでいる。
コッツウォルズには、イギリス人が「心の故郷」として憧れる小さなイングリッシュ・ビレッジが点在している。
名前の由来は、羊を囲い込む柵や羊小屋を「コッツ」、田舎にある牧草地の丘を「ウォルズ」と呼んだことに由来する。
まず最初の訪問地は、「リトル・ベニス」という別名を持つ「ボートン・オン・ザ・ウォーター」だ。
村の中心を流れる「ウインドラッシュ川」。その川には「眼鏡橋」などの石橋が架かっている。川には鴨や小鳥が泳いでいる。
それらの風物は正しく心の故郷だった。蜂蜜色で統一された家々の窓に飾ってある個性的な花々。手入れの行き届いた庭。
私達夫婦は散歩途中で、小さなアンティックショップを見つけ何気なく入った。








そこで出会った銅製の盥や茶瓶を買った。かわせみの額や小さな鈴を幾つか手に入れた。イギリスは物価が高く、それまでの行程では殆ど何も買わなかったが、ここコッツウェルズに来て初めて買う気になった。値段も手ごろだった。
妻もティーカップを買っていた。
旅仲間のアンティック好きなK夫人親子も入って来て小物を買っていた。

私の旅先で買うアンティックは、飾り物でなく勿論高価な宝石でなく、木か鉄等で作られており、かって使用されていた実用的な物である。
時間が余り無かったが、折角来たので、この村の建物を9分の1の大きさに縮小して再現した「モデル・ビレッジ」を見学した。


次にウイリアム・モリスが「イングランドで一番美しい村」と絶賛したバイブリーに向かった。小さな村だった。コルン川には悠々と鱒が泳いでいた。近くの鱒の養殖場から逃げてきたのか。何でもここの鱒の稚魚がイギリス中に配られているそうな。

30分程散策した。この村のシンボル「スワン・ホテル」。「アーリントン・ロウ」の家並み。










その前の「ラック・ライル」と言われる中州。小さな民族資料館で鋳鉄製の小鳥の餌台を手に入れた。

帰りのトランクの重さはいっぺんに規定オーバーの30kgになってしまったが・・・・・。
散策中に日本人数人が絵を描いているのに出会った。なんでも「スワン・ホテル」に数日泊まっているそうな。
私も次にイギリスを訪問する機会があれば、ここコッツウェルズのバイブリーに泊まり、この近辺をゆっくりと歩き回りたいものと思った。
昼食は途中のホテルで「ビーフ・シチュー」を食べた。




ウィンチコムにある庭園で有名な「スードリー城」を訪れた。
1000年の時を刻むチューダー朝様式の「スードリー城」。
お城を囲む広大な敷地の中の8っの庭園。私はその中でも「王妃の庭」が気に入った。
しかし素晴らしい庭園であり庭だった。真っ白な孔雀まで私たちを歓迎してくれた。
私のかわせみ農園も爪の先ぐらい見習わなくてはと心底思った。









バスの移動時間は結構長かったが、周りの景色があまりにも魅力的で美しく退屈しなかった。


最後に絵になる村として「ビューティフルビレッジ賞」を何度も受賞した「カッスルクーム」へ行った。ここでイギリスのアフタヌーンーティーを頂いた。




可愛いい街だった。土産屋も一軒しかなく、小さな招き猫のお守りを一つ記念に買った。
スコットランドの「セント・アンドリュース」と同じ名の教会があった。



本日の宿泊はバースの近くの「ブリストル」だった。

5月27日(金)、南西イングランド最大の町ブリストルで宿泊し、温泉によって栄え、バス(風呂)の語源になった町バースへ向かった。
ジョン・ウッド(息子)が7年の歳月を費やして1774年に完成させたテラスハウス「ロイヤル・クレッソ」を見学。又ジョン・ウッドの父親が作った円形の建物「サーカス」も見学。


次に温泉の町バースのローマ時代の遺跡「ローマ浴場博物館」を日本語の解説付きでぐるっと見学した。建設から2000年も経っているのに今でも現役に機能しているとは驚きだった。






天使が梯子を登っているバース大寺院を見た。天使は羽があるのにどうして梯子があるのかな。
寺院前の広場で結婚式の記念撮影があった。付き添いの子供が可愛かった。




ベニスのベッキオ橋と同じように橋の上に店屋があるパルトニー橋と独特な形態の堰があった。

バースの町の繁華街で貝の化石を記念に買った。


昼食はコテージパイだった。昼から世界遺産でもある謎の巨大遺跡「ストーンヘンジ」を見に行った。

飛鳥の石舞台と同じように直ぐ側まで近寄れなかった。
ストーンヘンジは英国で最も重要な先史時代の遺跡だ。
何のための石造物か本当のところは今も分らないらしい。
直立しているストーンサークルを囲む土手と堀。周りのヒール・ストーンのような意味のある石群。
当日はとても暑く、5月の気候として30度を超える猛暑は観測史上2番目で、250年ぶりとかいっていた。
歩き回った後はぐったり。アイスクリームが美味しかった。







ストーンヘンジ見学後、渋滞の道路をロンドンに向かって走った。
本日の宿はバッキンガム宮殿に近い「ジョリー・セント・アーミンズ」。2連泊の予定。いよいよ旅も終わりに近づいた。
5月28日(土)、今日の午前中はロンドン市内の見物だ。
まず、バキンガム宮殿前の広場で、エリザベス女王誕生記念式典の予行演習があると聞いて見に出かけた。



すごい人手で騎馬警官が交通整理に出ていた。予行演習は本番さながらに迫力があった。

次に大英帝国が集めた古今東西の文化遺産を収蔵する「大英博物館」を見学した。







そこにはエジプト、ギリシア・ローマ、西アジア、東洋の文化遺産が飾られていた。
印象に残っているのは、古代エジプトの象形文字解読のきっかけとなったロゼッタ石とスフィンクスの落ちた髭、赤い毛髪の残る通称ジンジャーのミイラか。
私達の泊まったホテルから、バッキンガム宮殿、ビッグベン、ウェスタミンスター寺院が歩いて行けた。バスの中からも、夕方の散歩でも見れた。



昼食は中華街で中華料理を食べた。イギリスの料理に飽きつつあったので久しぶりの中華は旨かった。


午後は自由行動で、私達夫婦は是非覗いて見たかった「ポートベロー」のアンティック探しに出かけた。

やはり興味を持っているツアー仲間のK夫人親子とN夫妻と一緒だった。地下鉄に乗ってノッティング・ヒル・ゲート駅で下車した。
1939年に最初のアンティーク店がオープンして以来、50年かけて骨董店が急増し、現在約2000軒ものアンティーク店が集まるヨーロッパでも屈指のマーケットだ。
長いポートベロの道沿いに小さなストールがぎっしり。

ここで私は念願のナイフ(シリア製のアラビアンナイフ)と古い大工道具(鉋、水準器等)、ピーリングナイフ、中国の明時代の茶碗を買った。
中でも気に入っているのが、庭仕事の道具をデザインしている小物入れだ。


妻は安い小物やTシャツを買っていた。大満足で大きな重い荷物を下げてポートベロを引き上げた。
地下鉄の一日割引券を買っていたので、このまま帰ればもったいないということで、ロンドンブリッジ駅まで乗って、タワーブリッジやロンドン塔を見た。


帰りはテームズ河沿いのウェストミンスター駅で降り、ロンドンアイやビッグベン、ウェストミンスター寺院を見ながらくたくたになって帰った。
夕食はゆっくりとホテルで食べた。

5月29日(日)、今日は自由時間だが、オプショナルツアーで世界遺産のグリニッジ観光だ。
グリニッジは国際天文学会議で経度0地点に定められて有名だ。経度0地点を跨いで満足だ。






私は天文台としてのイメージが強かったが、時を刻む時計関係の博物館として面白かった。
このグリニッジは緑が多く、通路にはリスもたくさん居た。
帰りにフリーマーケットも覗いたが、おおむね家具類は高かった。


ホテルに帰り、荷物をフロントに預け、近くのコンビニストアーでパンや焼肉を買い、ついでにビールも仕入れ、近くの公園で昼食とした。
コヴェント・ガーデンでもアンティークがあると聞いて出かけたが、目ぼしいものはなかった。

色々なパフォマンスをしてくれた大道芸人が愉快だった。
夕方18:55発のJL−422便で日本に向けて出発。アンティックなガラクタ(私にとっては宝物?)でトランクは制限20kgを10kgもオーバーしていたが団体扱いでセーフ。






5月30日(月)、午後3時前に関西空港に無事帰ってきた。
今回の英国周遊10日間は、自然豊かなイギリスを存分に見せてくれた。ツアー仲間も皆旅なれた人達で楽しかった。
とりわけ私はコッツウェルズとロンドンのポートベローが気に入った。
(2005.6.8)
終わり
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