生駒山系縦走に挑戦(1)



2000.4.1〜4.2

今年の関西は「お水取り」が済んでも寒かった。
ようやく春めいてきた今日4月1日、念願の生駒山系マラソン縦走に挑戦しようと決意した。昨年夏の白山以来の山登りだ。
信貴高安山から津田の国見山まで、全行程約39km、一日で行くなら超健脚コースだ。

大阪に生まれ育った私にとって、東とは生駒山であり、高安山から国見山とは、見える限りの生駒山系南の端から北の端を意味する。
昨日の3月31日をもって、私の先輩や仲間達が、早期退職というリストラによって、70名近くが会社を去っていった。なんとも言い難い寂しさである。
残った私は何をしたらいいのだろうか?彼らの為にも、主として自分の為にも、体力と気力の限界に挑戦すべきと思い、けじめの良い今日踏破しようと決めた。

京阪奈丘陵に引越ししてきてから早14年が経った。今回の縦走コースは,「府民の森くろんど園地」を通過する。中継地として我が家があるとは心丈夫だ。但し約30km歩きに歩いた結果の話だが。
六甲の縦走は京阪神の有名な行事になっているが、生駒のそれは聞いた事がない。多分先輩達は既に何回も踏破されていられるだろうが、少なくとも京阪奈の行事とはなっていないと思う。京阪奈学研都市に住み、民間主導の未来都市建設に限りない期待を持つ私は、この生駒山系マラソン縦走を持って、京阪奈を一つに結び付けるイベントにしたいと考えた。たまたま私の友人達もそこそこの立場にあり、私の夢のような話にも賛意を言ってくれた。あとは実行あるのみ。

2年前の冬、その事を考えて、1ヶ月ぐらいの間隔を空けて3回に分けて、全行程を踏破した。一日の歩行約15km足らずのハイキングだった。前回は暗峠から生駒山頂を踏み、山麓公園へ抜けるコースを選んだが、今回は調査と標順タイムを調べる為、忠実にコースを辿った。

自分の足と気力がどこまで持つか分からないが、取り合えず高安山から北に向かって歩けるだけ歩こうと考えた。全行程歩けたら最高だが、とても無理だろう。一応、日の出から日没迄と考え、昼食一食を持参することとした。
今時分の日の出は5時半を少し過ぎたころと判断し、5時半高安山を出発と決めたが、近鉄西信貴ケーブルはあいにく動いてない。やむを得ず妻に頼み込んで、4時起床で、信貴生駒スカイライン経由でケーブル高安山駅まで送ってもらう事とした。家から車で約45分、距離にして31.4kmあった。まだ暗い中、ヘッドライトに驚いた小鳥達が何羽もフロントガラスの前を横切った。

4月1日、まだ薄暗い午前5時半、誰もいないケーブル高安山駅を妻に見送られて出発。朝はまだ寒い。かじかんでいる手に息をかけて、ゆっくりと進む。久しぶりの登山靴に足が馴染むだろうか。歩幅を心持ち狭くして、丁寧に一歩一歩前に運ぶ。
ここで本日の私のスタイルを紹介しょう。まず一番大事な足回りは、東京お茶の水ニッピンにて購入した山靴の本場イタリアの「ツーリスト」。この最も頼りになる山靴で、5年間に100名山を30近く登った。毎回の山行き後、家に戻って最初の仕事が、この愛するツーリストを丁寧に感謝を込めて、磨き上げることだ。何ともいえない味わいある深い色になっていると自己満足している。ズボンは灰色のニッカ。冬もののシャツに飴色のチョッキ。背中には18リッターのミレーのディ-バッグ。中味はゴアテックスの雨具一式と水筒、弁当と少々のお菓子。非常用の道具一式。それともし途中で温泉に入った場合の下着一式。ベルトには愛用のナイフとナショナル運動カロリー計「アルック」。腕には方位・高度・気圧・温度計測機能を持ったCASIOの腕時計。胸ポケットにはドコモの携帯電話。記録用にいつも山行きに同行するCASIOのデジタルカメラ「QV-10A」。
それと一番大事な全コース国土地理院25000分のTの地図。
遭難したくともとても出来ない完全装備。安全第一、単独行専門心配性のおじさんスタイルだ。実はこのコース、10円玉と最寄りの駅までのタクシー代千円あれば、どこからでもエスケープ出来る希なる超健脚コースなのだった。

歩き始めて20分、真っ赤な太陽が大和盆地の向こう側の峰から姿を見せた。今日の素晴らしい一日を予感させるような神々しさだった。
昔外国からの襲撃に備え、大和を守る為生駒山信貴に築いた山城「高安城」を横に見て、いつか倉庫跡等遺跡をくまなく巡り歩きたいものと思った。あちこちでウグイスのまだ幼い鳴き声が騒がしい。ゆっくり歩いて55分、3.6kmで十三峠に着いた。大坂の玉造から大和の竜田を結ぶ十三街道の道筋にある。峠の北側には、中央の王塚を頂上として13基の塚が南北に並んでいた。

「府民の森みずのみ園地」を通り、スカイラインの陸橋を渡り展望台を通って、約2.8kmを1時間かかって「鳴川峠」に着く。標高404m。昔、近鉄瓢箪山からこの峠を越え元山上の千光寺を経て、生駒線の東山駅に歩いたことがある。
十三峠から鳴川峠に行く間に、大阪側の麓に友人のKがいる「経済法科大学」がはっきりと確認出来た。2年前のあの時、この道でばったりとKと会ったことが懐かしく思い出される。あれ以来会ってはいないが、この縦走コースを世に出す為に彼の力も借りねばならないだろう。きっとあの笑顔で賛成してくれるものと思う。

鳴川峠から「府民の森なるかわ園地」の「ぼくらの広場」を通り、「万葉植物園」までやって来た。峠から40分かかっており、朝が早かった為、8時過ぎだが持参した弁当を食べることにした。ベンチの周りに色々な万葉植物が名前と万葉の歌を添えて植えられている。
私の庭にも植えられている身近な植物だ。
ヤマブキ・「山吹の 立ちよそひたる 山清水 酌みに行かめど 道の知らなく」 高市皇子
クリ・「三栗の 那賀に向へる 曝井の 絶えず通はむ そこに妻もが」
アジサイ・スモモ・ナツメ・ウメ・アセビ等々。
穏やかな朝の日だまりの中、ベンチに座って幸せな一時を過ごした。

8時30分出発。なるかわ園地管理事務所を通り、暗峠への道をとる。小型車がかろうじて通れる国道308号で暗峠へ行かず、ぬかた園地へ向かう。途中、妻と婚約時代に歩いたホトトギスの慈光寺を横切り、生駒縦走道に沿って「府民の森ぬかた園地」に入る。まだ咲いていない「あじさい園 」を通過し、満開の梅林の横を通って「府民の森くさか園地」へ向かう。
興法寺への工事中石畳を横断し園地に着いたのが10時だった。歩き始めて約14kmだった。「府民の森かさか園地」の北端にスカイラインと接して常夜灯がある。ここから生駒側すぐの所に「生駒山麓公園ふれあいセンター」がある。良く家族で利用する大衆浴場がある。
くさか園地1.8kmを30分で通過。北に向かってゆっくりと進む。「阪奈ゴルフ場」のすぐ横をプレーを横目で見ながら通り過ごし、資材置き場の所で北に向かう。

ここからは道幅も太くなり、周りは産業廃棄物の処理場で、煙と悪臭それにダンプの土煙で最悪の道だった。この縦走コースでこのような場所があることは頂けないが、これも現実と考えれば良い社会勉強かも知れない。
11時15分に生駒登山口のある阪奈道路に到着。高安山から18.3km。5時間45分かかっている。30分の休憩を除けば、5時間15分だ。あまり標高差が無かったとはいえ、山道を時速3.5kmで歩いた事はかなりのピッチだと思う。
ただし足はばんばんである。特にふくらはぎの所が硬くなっていた。妻に電話して迎えに来てもらおうかと悩んだが、取り敢えず2回目の昼食と「王将」に入った。にぎり寿司をあてに生ビールを飲む。最高に美味しかった。食後の飲み物として200円の割引券があったので、隣の喫茶室でコーヒを一服。一時間の休憩中、足を揉んでいたので多少良くなった感じ。
なんとか歩けるだろうと12時10分に出発した。阪奈道路の歩道橋を渡り、尾根道を北に向かって歩く。静かな山道だ。室池は森の中の静かな湖だった。深い緑色の水面は、先ほどの阪奈道路の喧燥さからみて別世界の感じだ。
「府民の森緑の文化園むろいけ園地」の中を歩き、湿生花園を通って「堂尾池」に着いたのが1時5分だった。ベンチで小休憩。ミカンとお茶を飲む。
堂尾池ハイキングコースの「ふれあいの森」を抜け、住都公団の田原台住宅地を通って、国道163号線に出た。少し大阪方面に行き、「飯盛霊園」の中を歩いて、「府民の森ほしだ園地」に向かう。この辺りが一番えらかった。足を引きずって歩いていた感じ。ほしだ園地の最後の急な下りは本当に足が突っ張った。ゆっくりゆっくりと歩く。見慣れた磐船街道に出てほっとする。ロウハウスのおじいちゃんの店「古時計」でミルクを一杯飲む。2時50分。26.2km歩いたことになる。

新しいトンネルの横を通り、きさいちカントリーへの進入道を登っていく。この「きさいちカントリー」は私のホームコースでもあり、何回となくこの道を車で往復したが、これほどしんどい道とは思いもよらなかった。
門をくぐって梅コースの1番が見えてくれば、今日は2グリーンのベントか高麗かと目を凝らす。私はベントの方が好きだったので、そちらのグリーンに旗がたっていればほっとしたものだった。
少し立ち止まってプレーを見ていたが、なかなかボールが思うようには飛んでいないみたいだった。多分私もそうだったのだろう。クラブハウスの横を通り、松コースの1番に沿って管理道路を登り、松の4番のティーグランドから懐かしの「府民の森くろんど園地」に入った。
ここはもう私の散歩コースだ。下って、蓮で有名な「すいれん池」ほとりの休憩所で一服。3時43分、28.5km。そこから尺治川沿いに渓谷をくろんど池目指す。この縦走コースで最も静かな深山の趣あるところだ。
4時20分に私の家に着いた。高安山から丁度30kmだった。朝の5時半から10時間50分、休憩時間約1時間50分引いて、30kmを9時間で踏破したことになる。後半は足を引き摺っての歩行だったが、平均時速3.3kmで歩いたことになる。
この調子なら一日でなんとか完走出来そうだ。
今日はこれまでと、大阪と奈良の県境である府民の森から、家まで約600mをゆっくり15分かけてやっと家に辿り着いた。
一日で30kmを歩いた事は、多分初めての事だと思う。まだまだ私の体力と気力は衰えていないと自信がついた。じわっと満足感がひろがった。風呂に入り、足を揉み、タオルを巻いてのビールは最高だった。

4月2日、朝起きたら足がばんばんで、とても歩けるような状態ではなかった。
朝風呂に入り、足を揉むが良くならない。午前中は家でぶらぶらする。昼はベランダのテーブルで、コールマンのラジュースで火を焚き、山行き用の非常食を食べて憂さをはらした。
もう一度風呂に入り、足を何回も揉んでいると、なんとか歩けそうな感触が蘇ってきた。
今日行かねば、一泊二日にならないと思い、出発を決意した。
12時50分、昨日の「府民の森くろんど園地」を北に向かって歩き出す。慣れた森の中を歩き、八つ橋の横を抜け、1時11分にゲートを超えた。

かいがけの道を下り、八葉蓮華寺の手前の道を右に曲がり、竜王山を巻いて、田んぼ道を歩く。
「交野野外活動センター」の中を通って、府道大和郡山線にぶつかる。「ほうじの里」入り口であり、50分で2.2km歩いた事になる。昨日よりゆっくりしたペースだ。しかしとにかく歩けると喜びを噛みしめる。30分程で交野山頂上に着く。
この山は枚方方面から見れば、山脈にぴょこんと飛び出た特徴のある山だ。その奥が「交野カントリー」で少し奥が私の住んでいる所だ。
「かたのさん」でなく「こうのさん」と呼び、標高344m、かって人々は神の山と崇めた。山頂には巨大な岩があり、摂津・河内・山城が一望に見渡される。30分程休憩する。
妻と携帯で話をし、4時過ぎにゴール地点である津田駅に迎えに来るよう要請する。



2時35分出発。急な道を下り、「トンボ池」の横を通って、野鳥の住み処である「白旗池」ほとりの「ふれあいセンター」に入る。
ここは交野市が大阪府の援助を受けて、「うるおいとやすらぎ」を与える自然の保全を目指して、「交野生き物ふれあいの里」として整備した場所である。私の好きな場所でもある。ここで私は今回の生駒縦走の事を教わった。
30分程小鳥や小動物の標本を見たり、メダカの泳いでいる姿を観察して時を過ごした。

絶滅の危機をいわれているメダカを何とか救いたいと考えている。
私の住んでいる高山には、かってどんな所にもメダカがいたが、今は良く探しても僅かしか見当たらない。メダカは地域ごとに僅かづつ生態が違うらしく、その地域のメダカの救出作戦を考えねばならないらしい。
今年から高山メダカの保全を始めたいものと思っている。

池の北側を「枚方市野外活動センター」目指して歩く。ゴルフ場のネットやフエアーウエイの下のトンネルを潜り、途中から、国見山目指して北に向かい、クヌギやコナラの林を歩く。国見山には「津田城址」があり、見晴らしの良い場所である。
時間調節をし過ぎた為、まっすぐ桧林を下る事にする。3時41分に国見池に到着。これまで約6kmほど歩いた事になる。「津田団地」の横を通り、イオン工学センターを見、二つの砂防ダムを超えて、津田の市街に入り、学研線のJR「津田駅」に着いたのは、4時12分だった。
妻はすぐ側まで車で来ていたが、私の方が少しだけ早かった。迎えに来てもらって遅刻すれば沽券に関わる。

今日は昼から歩き、約3時間半かかったが、1時間ほど休憩した為、歩行時間は約2時間半ぐらいと思う。9kmを2時間半なので、平均時速は約3.6kmと昨日と殆ど変わらなかった。

この生駒山系マラソン縦走コース約39kmを、一泊二日ではあるが、約11時間半で踏破し終わった事は、大きな自信につながった。
これならなんとか日の出から日没迄に、全コースを歩けそうだ。次回はぜひ挑戦して、一つの目安としての標準タイムを設定したいものだ。

今回の教訓としては、息が切れたり、心臓にそれほど負担がかからなかったみたいだ。
又、ゆっくりと歩幅を更に小さく、時々ストレッチ体操をしながら、足のふくらはぎに負担をかけないように、休憩は立ったまま、足踏みしながらすれば、なんとか歩き通せそうだということだ。
目標11時間、平均時速は3.5kmということか。

妻が迎えに来てくれた。この「津田駅」に私の知り合いがラウンジを開いていると聞いていたので、そこで祝杯を上げようと思ったが、生憎日曜の為休みだった。
倉治のラーメン屋で乾杯し、「織物神社」から「源氏の滝」への山道を通って、我が家まで約15分で帰った。

今回の縦走は最初から最後まで、妻に世話になった。感謝感謝。



2000.4.1〜4.2

終わり



(記述日:2000.4.5)
(掲載日:2002.8.15)












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