生駒山系縦走に挑戦(2)








2000.4.22




東京に住んでいる姉が4月21日に大阪に来ると言う。
山好きな姉に「生駒山系縦走」を誘ってみる。二つ返事でOK.。
弟夫婦にも言ってみるが、生返事で飛びつかない。

4月22日(土)に、日の出から日没迄に生駒マラソン縦走を完走しょうと計画を立てる。
姉との本格的な山歩きは、5年前の尾瀬ひうち岳以来だ。
姉の健脚ぶりは十分承知。もともと中学生の私に山を教えたのは姉だから。
前日我が家に泊まった姉と、妻の運転する車で高安山駅に行く。信貴生駒スカイラインは桜のトンネルだった。途中で雉の雄とぶつかりそうになる。
曇り空の為、日ノ出ははっきりしなかったが、5時36分に歩き始めた時は、うっすらと明るかった。
高安城の横を通り、十三峠には6時43分に着いた。
鶯の囀りが20日前と比べて、ずっと上手くなっていた。
携帯電話がなり、姉と私の調子を聞く弟の声だった。

6時55分に歩道橋を渡り、7時7分に展望台を通過、7時43分に三国山を越え、7時50分に鳴川峠に着いた。
椿の花盛りであるアブラモモの道を大原山へ向かう。8時3分に横峰山の頂上に着く。
神感寺のブロック塀をせめて生け垣にしてと念じながら脇を通り、8時12分に古墳跡のような三角形の石の側を通過。
「ぼくらの広場」を通って、「ふるさと植物園」に着いたのは、8時28分だった。
ベンチに座ったとたん、「このストック、お宅らのもの?」との声。振り向けばおじさんがストックを振り回しているではないか。姉が忘れたものだった。十三峠では私が忘れかけて姉に注意された。お互いに物忘れが激しくなったと苦笑しながらおじさんにお礼を言った。
実はこの二人が持っているスティックは、妻と私に対する姉のプレゼント。

前回と同じ場所で妻が作ってくれた弁当を二人で食べた。3時間ほど歩いた後のおにぎりだったので美味しかった。
8時55分に出発。9時8分に「府民の森なるかわ園地」に入る。
9時20分に慈光寺の横を通る。道端に「いのししに注意」の看板。
9時52分に「ぬかた園地」、10時16分に辻子谷への道と別れ、10分程で興法寺への下山路をやり過ごし、10時49分に「府民の森くさか園地」に到着。
11時8分にスカイライン横の常夜灯に着き、小休憩。11時54分、阪奈道路に出、「王将」で生ビールとうどんを食べる。
約18kmを6時間で歩いた事になる。前回とほぼ同じペースだ。違う事は足がそれほど腫れてない事だ。この調子で行けば、日没迄には津田駅に到着できそうだ。

12時30分出発。北へ向かい、尾根道を歩く。1時4分、室池の神秘さに姉は「近くに住んでいたのに、こんなきれいな所初めて!」と感嘆。
10分足らずで湿生花園に着く。ひょうたん橋を渡り、道路を少し戻って、「四條畷市立野外活動センター」の横を通り、「ふれあいの森」ゲートを潜る。
1時36分に「堂尾池」に着いた。今朝早く起きた姉は眠いから「少し寝かせて」と言ったと思ったら、ベンチでぐうぐう寝てしまった。
この調子なら、ひょっとしたら今日中には津田には着けないかも?と少々不安になる。
心を鬼にして15分で姉を起こし、出発した。
2時24分、田原台の戎公園を通過。住宅地を通り、国道163号線(清滝街道)を少し大阪側に戻り、2時37分に、飯盛霊園に入る。17分間霊園の中を歩く。


人様の墓の中を歩かされた事が姉には気に入らな様子。
森に入る入り口に、我が家に隣接している「くろんど園地3.1km」の標示あり。
なんとなくほっとする。急な坂を登り、3時3分、「ほしだ園地」に入り、まつかぜの道を歩く。
3時15分坂道の前で姉の発声によって休憩する。少々姉は疲れてきたのかなと感じたのでチョコレート等お菓子を出す。
「そんなん持っていたら何故早く言ってくれへんの」と非難の目。
私の主義は行道中は殆ど食べなくて、むしろ非常食という考えだ。
殆ど単独行の私は、あまり人の事を考えていなかったと反省。

急な坂道を降り(前回は此処が一番辛かった。前よりはずっと楽だが、やはり足が少し突っ張る)、国道168号線(磐船街道)とぶつかり、きさいちカントリーの進入路を登り、松コース4番のティーグランド横から、4時11分、懐かしの「くろんど園地」に入った。
(姉は後で、ゴルフ場と霊園を通るこの後半の縦走コースは良くないと言っていた)
園地に入った途端、山の斜面をかさこそと3羽の雉の雛の姿が見えた。
我が家はすぐそこだ。里心が出ないよう、我がやの住宅地に接していない、真ん中の管理道を行く。
姉は文句は言わないが、歩調がとたんにゆっくりとなり、態度で不満を表した。
4時50分、交換広場に着く。キャンプ場に泊まる少年達が、ボール遊びをしていたが、私達の本格的な格好を見て「どこまで行くの?」と聞いた。
「朝、高安山を出て、これから津田まで行くのよ」と誇らしげに姉が答えた。
「へーたいしたもんだ。」「中高年パワーはたいしたもんでしょう。」
このやりとりで姉も最後まで付き合う気になったようだ。

しかし少し暗くなってきた感じ。「懐中電灯持っている?」「小さいのなら持っている」。
私一人なら知った道なので、暗くても強行するが、姉と一緒ではと少し躊躇する。
交差点に着いた時、「ここから南へ行けばすぐそこが我が家だがどうする?」「なんとか頑張って行く」。
「行けるとこまで行って、暗くなったら妻に車で迎えに来てもらおう」と前進する。
妻に携帯電話で取り敢えず交野山登山口迄来てくれるよう依頼する。
姉はそこで車に乗ってもらい、私は一人で交野山に登り、国見山(津田城址)から津田駅に降りるつもりだった。
姉達との集合場所は、津田駅前の知っている人が開いているラウンジ。
5時16分、「くろんど園地」が終わり、500m程の進入路を歩き、かいがけの道を少し下り、蓮華寺の手前を「大阪環状自然歩道」に沿って歩く。
田んぼの中の里山―日本の源風景という風情だが、だんだん暗くなりかけており、足が急いだが姉のペースは遅い。
「交野野外活動センター」の横を通り、旗振山を横に見て、やっと群南街道に出た。ここからは妻と待ち合わせしている登山口はすぐそこだ。
5時44分交野山登山口に到着。姉と万歳の写真を撮り合う。
すぐに妻の車がやって来た。車と妻の顔を見たとたん、一人でこれから残り4kmを1時間半かけて歩く意欲が無くなった。
車で10分程で津田駅に着いたが、ラウンジの電気は消えていた。仕方なく前の寿司屋で乾杯。
約35kmを12時間で縦走した事になる。全部で1時間半程の休憩時間だから、10時間半で35km。時速3.3km。前回と殆ど同じペースだ。これで全コースを踏破出来る自信がついた。
月に2回程山に行っている姉からすれば、今回の山行きは、ちょっと様子が変わっていた思うが、たまにはこのような山があってもいいだろうと思ったのは独善だろうか。

寿司をつまみ生ビールを二杯飲んで、いい気持ちで外に出れば、なんとラウンジが開いているではないか。
早速ドアを押して入ってみれば、カウンターとボックス席のある本格的なバーである。
喫茶もするラウンジと思っていたのが大違い。
若い女の子が一人いたので、ママがいるかどうか尋ねる。
「すぐ呼びます」との返事。なんでも同じビルに住んでいるみたい。
ママのJ子さんが来て、女の子も3人になり、姉と妻と私の3人も大いに盛り上がる。
同じビルの1階で働く息子を紹介される。

津田駅から群南街道を通って、15分で我が家に帰ってくる。風呂に入り、姉はゆっくりと我が家で休み、次の4月23日のバーミヤンでの昼食後、息子の待つ東京に帰って行った。

1ヶ月ほど前に、約40年間働いてやっと自由を手に入れた姉だが、まだまだ足腰は丈夫。
好きな山登りや、絵もやりたいと言っていた。
私ももうすぐに定年だが、姉のように元気で迎えたいものだ。
「体に気をつけや。糖尿を治さなあかんで」という姉の小言が耳に痛い。


終わり




(記述日:2000.5.6)
(掲載日:2002.8.19)








この写真は姉と二人で生駒山縦走した写真

生駒縦走(2002.9.17)














生駒縦走(2002.9.17)














生駒縦走(2002.9.17)














生駒縦走(2002.9.17)














生駒縦走(2002.9.17)














生駒縦走(2002.9.17)














生駒縦走(2002.9.17)














生駒縦走(2002.9.17)


















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