かわせみの池


翡翠




我が家から,大きな池まで,直線距離で約500mである。道なりに歩いて行けば約1km,20分足らずで湖畔に着く。敢えて湖畔と言ったが,池の南側にある小山の上の展望台から眺めれば,松林に囲まれた池は山紫水明の趣があり,霧ヶ峰から見える白樺湖,スイスのインターラーケンから望むトウーン湖のようだ。
池と言っても,道路を挟んで西側の小さな池と東側の大きな池に分かれている。西側の小さな池が,岩船川の源をなすと言われ,湧水やまわりの小さな川筋を集めて冷たい水をためている。これが元池らしい。我が住宅地内に,竜を祭っている小さな祠があるが,竜は水に関係あることから,ここが元池に注ぐ川筋の源かも知れない。
池の歴史は,高山の歴史と考えてよい。高山は奈良の北海道と呼ばれた交通の不便な所であった。田畑も少なく,おまけに水が足りない。享保から天保にかけて旱魃による飢饉が度々起こり,ついに有山清治と言う人が中心となって,東側の池を造ったと言う。その時に掘った土が,今の池の北側に盛られて小山になっているとのこと。いずれ調べたいものと思う。
 我が家から池まで,東西750m,南北500mは約40ヘクタール足らずの森である。いくつかの潅漑用の溜め池や,孟宗竹林も有るが,殆どは桧や杉,栗や楢の雑木林である。
引っ越しした10年前,まだ垣根も無く,子供達と裏庭から小道を辿って,森の中の小さな池で子鮒を釣った。家から100mほどの最初の池では,鮒がよく釣れた。朝早く行けば1時間で10数匹も釣れた。私たち家族はその池を『鮒池』と呼んだ。
そこから3っつめの池では小さなハヤがたくさん釣れた。ある日そこで生まれて初めてカワセミを見た。水面の上の小枝に止まって,急に水面すれすれを飛び,また元の小枝に戻った。青いブルーが強烈な印象だった。その時以降,2〜3回カワセミをその池で見たため,私たちはその池を『カワセミの池』と名つ”けた。
  ここ数年忙しかった為か,心の余裕が無かった為か,行ったことが無い。

先日の日曜日,妻と二人で久しぶりに出掛けることにした。娘がリースを造るため,生きている蔓が欲しいとのこと。散歩と我が家の飼い犬レミーとダンの運動を兼ねて,立派な蔓を取って来ることを,娘と約束する。
普段なら弁当を持って行くところだが,余りにも近く,1時間程の散歩の積もりだった。もし,昼になれば,池でおでんを食べるのもまたいいではないか。
庭で放し飼いにしているレミーとダンは,私の持っている紐を見て大喜び。2匹でじゃれながら飛び上がって,門目指して階段を駆け降りる。
おとなしい母親のレミーは妻が,元気のよい息子の悪ダンは私が紐を持って連れて行く。庭の境界にダンが飛び出さないよう,フエンスを張ったため,前の道路からロータリを通って裏の森に行く。
最初は尾根筋に沿って歩いていたが,蔓を取ったり,放したダンを探したりしているうちに道を見失った。もともと道が無かったのかもしれない。感じで無理矢理に薮をこいでいる内に,偶然,池の側の小道に出た。そこから桧林についている山道を,池に向かって,登って行った。途中,柿を食べたり,蔓やリースに付ける赤や黄色の実を取ったりして遊んだ。
またもや道が無くなり,磁石で南に向かって,しゃにむに降りて行った。やっと子供達の声が遠くからしてほっとする。声に向かって歩いて,たくさんのハイカーが飯合炊さんなどしている湖畔の広場に出た。約2時間もかかって仕舞った。いずれ暇になったら,この森の道を開拓しょう。
案の定,妻がおでんを買いに行く。その間,レミーとダンの毛をといでやる。
帰りは,知っている『カワセミの池』と『鮒池』を通って帰ることにする。
最近余り人が通らないのか,道が細くなっており,荒れ果てている。犬たちは喜んで先行する。
やっと池に着き,『ここがカワセミの・・・・』と妻に言ったとたん,足元からブルーがさっと飛び立った。予期しなかったため,正直言ってびっくりした。10年前のカワセミの子孫がまだ生存しているとは。
バードウオッチが好きな妻が,双眼鏡を持っていたため,じっくりと観察出来た。水面から飛び出ている杭の上に止まってじっとしている。逃げようとしない。
くろんど池全景





ブルーに光る背中,赤い腹,大きな黒い嘴。代わる代わるレンズを通して観察する。時々場所を変わりながら,しかし池から離れようとしない。30分も見ていただろうか。
カワセミの狩猟の邪魔をしないため,餌を待っている雛たちを悲しませないため,静かにそっと池を離れた。
カワセミが居たことに感動した。まだ我が家周りの自然も捨てたものでない。
妻と二人興奮しながら,20分ほどで家に帰って来た。

(記述日:1995.11.26,東京にて)
(掲載日:2002.6.3)




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