本格的な海外登山は初めてだ。
これまで登山電車・ヘリコプター・ケーブルカー等で登った山は、スイスで一番高い展望台「クライン・マッターホルン」(3884m)、フランス・モンブランの「エギュー・イコ・デュ・ミディ展望台」(3842m)、ネパールのエベレスト直下の「ホテル・エベレスト・ビュー」(3880m)、スイスのユングフラウヨッホ(4000m前後)。
そしてニュージランドの「マウント・クック」(3754m)は仰ぎ見ただけ、中国の桂林で一番高い山「尭山」(ようざん)は下からハイキングで登ったが、生駒山ぐらいの感じだった。
あとはハワイの「ダイヤモンド・ヘッド」(232m)ぐらいのものか。

今回のマレーシアの「キナバル山」(標高4095m)は東南アジアで最も高い山だ。この山はボルネオ島の北東にあり、「からゆきさん」の眠るあのサンダカンの近くだ。キナバル山は世界自然遺産でもある。

キナバルの語源は、地元カダザン族に伝わる悲恋物語に由来する。「Kina」は「China」が転訛したもので「中国」を意味し、「Balu」は「未亡人」のことを意味する。

そういえばバスの車中から眺めた「キナバル山」は、女性が上を向いて寝ている姿に見えたものだった。

私の冬は、こと山登りに関しては「オフシーズン」。散歩や散策・ハイキングはしても登山靴を履いての山登りはゼロ。
本格的な山に飢えていた私は、「毎日旅行社」の「東南アジアの最高峰・キナバル山」に飛びついた。

3月15日(土)9時半に関西国際空港に集まったのは18人。男性5人に女性13人。何時ものごとく女性が多い。添乗員は河村さん。

マレーシア航空で11時半出発。7時間程でマレーシアの首都クアラルンプール着。乗り継いで3時間足らずでコタキナバルへ。

同じマレーシアなのに2回の入国審査があったのが不思議だった。ヨーロッパではEUに入国すればフリーパスだったのに。

機中では男性3人の単独組みが、お酒を飲んで盛り上がった。大津市のNさんと枚方市のWさん。

マレーシアは日本と1時間の時差。日本が正午のときマレーシアは午前11時だ。

コタキナバルには22時20分に着いた。バスで「ベルジャヤ・パレス・ホテル」へ。ホテルで5000円を155マレーシア・リンギットに両替した。

今回6000円払って一人部屋にしたのでゆっくりと寛げた。山旅のときホテルで二人部屋は相手に気を使うものだ。山小屋等は皆でがやがやして楽しいが、ホテルの場合は鍵の管理等難しい。

明日からの登山に必要なものと、ホテルに預けておくスーツケースに入れるものと分けて、熱いバスに浸かって就寝した。

5時半モーニングコール。バイキングの朝食を食べて、7時15分出発。バスでキナバル国立公園事務所のパーク・ヘッド・クォーター(P・H・Q)へ。ここは標高1558m。途中現地ガイドの女性がマレーシアのことを色々教えてくれた。

ここP・H・Qには多くのポーターがたむろしていた。ポーターを6000円払って雇えば、本日の宿舎「ラバン・ラタ・レストハウス」まで荷物を運んでくれるそうな。数人申し込んでいたが私は自分で担いで登ることにした。

私はモンベルのゼロタイプ25Lのザックに、ミレーの18Lサブザックを入れて登った。肩に喰いこんだが必要なものだから仕方が無い。

黄色い紐につけられた私の名前入りの「入山許可書」を首にぶら下げる。現地ガイドは男性3人。なんとこの3人がポーターも兼ねるという。何か狐にばかされたみたいだ。

トラックに乗って20分ばかりで本日の登山口パワーステーション(標高1889m)に着く。ここで軽くストッレチ体操をして10時に登りだす。
今日の行程は山小屋まで標高差約1500mを6時間かけて登ることだ。平均すれば1時間に標高差250mなので私のペースだ。心配はしていないが、今シーズン初めての登山なので緊張する。ヒマラヤで高山病に罹ったので今日はゆっくりと歩くことにしょう。
ゲートから足を一歩踏み入れると下りの階段で滝まで続いていた。ここから登りだ。登山道には30分間隔にシェルター付きの休憩所があるという。それが目印になって登りやすい。最初の第1シェルター(標高1981m)まで丁度30分だった。現地ガイドは先頭でゆっくりと歩く。休憩も10分以上あった。休憩所には水場があったが飲まないでということ。

第2シェルター・第3シェルター・第4シェルター(標高2518m)と約30分懸って予定通り高度を稼ぐ。周りは熱帯のジャングルだ。
登山ルートは道も良く整備されており、標識類も豊富だった。日本やヨーロッパより立派な感じ。小鳥の鳴き声があちこちから聞こえる。
第4シェルターから第5シェルターまでは急登だった。足が少し吊る感じがした。足をだましだましゆっくりと登る。第5シェルター(標高2621m)について足を揉んでいたらなんとか痛みが和らいだ。ここまではシャクナゲ等のジャングルだった。

第6シェルター・第7シェルターまでは低木地帯で「ウツボカズラ」が見られるらしいが、帰りに見ることとなった。
午後4時にラバン・ラタ・レストハウス(標高3353m)に辿り着く。足の調子は良い。荷物のせいか左手の感覚が痺れている。
やはり皆疲れているのかビールを一本飲んで、2段ベットに横になる。夕食の6時まで1時間ほど仮眠。

夕食はマレー風バイキング料理。明日は早出の為、夕食後就寝。
3月17日(月)早朝2時モーニングコール。朝食用のサンドイッチを食堂で食べ、ヘッドランプをつけて3時に出発。天気は良く星がきれいだ。私はミレーのサブザック。岩場のためストックは置いていく。小屋を出てしばらくは木組みの急なステップが連続する。
少し岩場も出てくる。ロープを目印に斜めに走るクラックに沿うように、トラバース気味に登る。2時間ほどでサヤサヤ小屋に着いた。ここは標高3800m。高度の影響で頭を抱えている人もいる。私はどうもない。
ここからは溶岩の岩盤、広く一枚岩のようだ。滑りやすい。一歩一歩前の人に付いて行く。
2本の岩峰がロバの耳を思わせるように並んで聳えているのがドンキーズ・イヤーズ(4054m)。
やがて左側にキナバル南峰(3932m)の尖った頂が見えた。マッターホルンのような感じだった。続いてセント・ジョンズ・ピーク(4092m)が見え出した。ようやく目標の主峰ローズ・ピークの真下に着く。足は棒のようだ。
今度は大きな石を乗り越え、一気に高度を稼ぐ。ゆっくりではあるが足が前に出る。

遂に東南アジアの最高峰ローズ・ピークに立つ。ここは標高4095m。結局9人が最初に登頂した。午前7時半だった。景色は最高に良かった。雲海の上にぽっかりと浮いているようだ。頂上の場所は狭く、記念写真を撮ってもらって直ぐに下の岩陰に降りた。
そこでレストハウスで貰った熱湯で、ミニきつねうどんを食べた。100円のうどんがこれほど美味しいとは。
最後尾は1時間ほど遅れて到着。結局全員が登頂。高いお金と飛行機に乗ってここまで来たのだから、やはり全員登れたことは本当に良かった。
帰りはサヤサヤ小屋までは、慎重に下山。小屋からは自由にということで、私は一人で快調に飛ばし、ラバン・ラタ・レストハウスには一番に着いた。河村さんとビールで乾杯。
昼食にはビールがつき、マレー風ラーメンが出た。原色の色合いと強烈な香幸料に、いつもは喜んで食べる私も水無しでは口に出来なかった。3人のガイドさんも同席。登りきった満足感で皆の舌も滑らか。
午後は周りを散策したり、今朝から登ってきたキナバルの岩峰を写真に撮ったりとのんびりと過ごす。デッキで横になって昼寝。
雨がぱらつきだしたので部屋で又昼寝。
夕食を6時に食べて、7時からぐっすりと寝る。次の日の朝5時まで熟睡。良く眠れるものだ。やはり疲れきっていたのだろう。
3月18日(火)朝6時出発。第7に6時20分、第6に6時50分、第5に7時46分。その間に「ウツボカズラ」を堪能する。
第一陣はパワーステーションに9時45分帰還。遂に無事登山完了。
皆がそろってトラックでPHQへ。そこで名前入りの「登頂証明書」を貰う。登頂者はカラーだった。

帰りは土産物屋に寄り、途中でしゃぶしゃぶのご馳走を食べ、ホテルでバスに浸かり小休憩の後空港に向かった。
午後7時15分発のマレーシア航空で、クアラルンプールに寄った後、関西国際空港に次の日の朝7時5分に着いた。
生駒駅に迎えに来てくれた妻と、孫娘の1歳の誕生祝にとお花を送って家に帰った。
初めての海外登山で、この4月から自治会の会長ということで忙しい日程をやりくりしての旅だったが、楽しく有意義だった。
私が居ない間、資料つくり等頑張ってくれた皆さんに感謝感謝。

終わり
(記述日:2003.3.30)
(掲載日:2003.3.30)