シルクロードをコンヤからカッパドキアへ(2002.12.17)








7.シルクロードをコンヤからカッパドキアへ

今日12月17日は、シルクロードをパムッカレからコンヤを経てカッパドキアに向かう移動日でもある。
朝食5時半、出発6時半となる。暗いうちに出発。これから辿る道はシルクロードでもある。
途中には羊や牛の放牧があり、田園風景がどこまでも続いていた。

シルクロード途中のモスク







コンヤまで約420km。6時間近くかかるという。旅の疲れで殆どの人はうつらうつら。私も眠ってしまった。
目を覚ませば窓の外は雪景色。チェーンも巻いていないのに、大雪の中私たちの車は飛ばす。大丈夫かなと不安になる。
前の車が遂にストップ。峠でスリップしたトラックが横向いて道を塞いでいる。待つこと30分。遂に私たちのバスも車輪一つだけにボロボロのチェーンを巻いた。やっと交通再会。
峠の上は完全に雪景色だった。果たしてコンヤに行けるのか。運転手イーサンは名ドライバーだった。無事コンヤに辿り着く。

雪で覆われた田園風景







中部アナトリアの芸術・政治・学問等文化面で重要な都市コンヤ。1077年にルーム・セルジューク朝が首都をイズニックからここコンヤに移した。コンヤの観光はイスラム関係。

ガソリンスタンドか







メヴラーナ博物館を見学。旋舞教団として知られるイスラム神秘主義の一派メヴラーナの霊廟。緑色のタイルで覆われた屋根を持つ霊廟は13世紀末に造られた。霊廟の中には信者たちが沢山お祈りしていた。マホメットの顎鬚が入った箱などを見学。
今はタイル博物館となっている「カラタイ神学校」。セルジュク・トルコ時代学校はここだけだったそうだ。

このスープは旨かった







途中洞窟内でのレストランで昼食。「トラサン」という地ワインを買う。

メヴラーナーの中







コンヤからカッパドキアまで約220km。4時間かかるという。
東西の人や物が行き交じったシルクロードをバスは走る。感無量だ。途中ソルタンハーンでキャラバンサライ(隊商宿)を見学。
昔は20〜30kmごとにあったそうだ。サライの塀の壁は要塞のようだ。隊商達は盗賊から身を守る為そうしたらしい。

雪が舞い寒かった。

この箱の中にマホメットの顎鬚が入っている







真っ暗の中、カッパドキアに着く。夕食は午後7時半。
夕食後、女性連れで参加していたOさんと私達で「サウナ・垢すり・ハマム・マッサージ」(一人32米ドル)をした。
旅の途中で親しくなったOさんは何と深田100名山を今年達成したとのこと。恐れ入った。山の話をもっと聞きたい。

私達はタオルに身を包み、サウナに入った。私は水着をつけていたが、Oさんが持っていなく、折角水着を着ていた妻も脱いでタオルだけとのこと。トルコでは(ヨーロッパもそのようだが)男女混浴が普通みたい。

シルクロードのキャラバンサライ(隊商宿)







サウナからまず私が呼ばれ、ハマムの場所で若い男性のトルコ人によって垢すりとシャボン玉洗いを受けた。次にマッサージは年配のトルコ人にしてもらった。何か疲れがすっと取れていくのが分かるみたいだった。

妻達も同じ若い男性のトルコ人に垢すりとシャボン玉洗いをしてもらったらしい。タオル一枚の垢すりに彼女達は恥ずかしくなかったのか。
中年女性は強い。特に大阪のおばちゃんは度胸が座っていると言うべきか。

雪が舞うキャラバンサライの中







さすがにマッサージは女性だったとのこと。私の次に妻が終わり、Oさんを待つ間、年配の男性と身振り手振りで世間話をする。
向うも片言の英語、私達(殆ど妻)も単語を並べるだけ。結局ここの垢すり・マッサージは3人でやっており、女性はこの男性の妻とのこと。可愛い女の子の写真までみせてもらった。多いに盛り上がる。後で聞いた話だが、一人で垢すりを男性から受けていたOさんは、心細かったが我々の笑い声で安心したとのこと。

(2003.1.5)




                                  続く 




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