5.メスキータのある古都コルドバ(2003.1.21)








5.メスキータのある古都コルドバ(2003.1.21)


白い壁の街







グラナダからコルドバへの道は、両側ずっとオリーブ畑だった。添乗員の松本さんはイタリア人と結婚し、イタリアに住んでいたのでオリーブの利用の仕方に詳しく、バスの中で延々と詳細に説明してくれた。
どこまでも続くオリーブ畑







昼過ぎにコルドバの街に入ると街はしーんと静かだった。(昼食後の昼寝の時間か)
アンダルシア地方では(ヨーロッパ全体がそうかも知れないが)、1日の中、車の渋滞は4回あるそうだ。日本は朝と夕方の2回だが、ここでは昼前後に家に食事に帰る時と午後の出勤時間と余分に2回の渋滞があるそうな。

ゴルドバのメスキータが遠くに見えた







古都コルドバ(大きな河を意味する)。中世にはヨーロッパのイスラム世界の中心地として栄え、100万人が生活する大都市だったコルドバ。
馬車







コルドバは紀元前のローマの植民地だった頃からアンダルシアの中心地だった。あのローマ帝国の皇帝ネロの家庭教師であり、哲学者としても名が残っているセネカはこの町の生まれだと言われている。
8世紀にイスラム教徒の侵入が始まり、後ウマイヤ朝が成立すると、コルドバはイスラム強国の中心として発展していった。
今は30万人の静かな町だが、当時は100万人の大都市だった。

メスキータ







コルドバのシンボルはなんといっても世界遺産の巨大な「メスキータ」(世界遺産ー3)。
現地ガイドは物静かなホワイさん。メスキータとはとはスペイン語でモスク(イスラム教寺院)のこと。
メスキータの中に入れば、その広大さにびっくりした。それもそのはずイスラム寺院としてはメッカのカーバ寺院に次ぐ世界第二位の規模を誇っているらしい。
内部の円柱







モスクの内部は、縞メノウ、大理石、花崗岩などで造られた850本にもおよぶ円柱がアーチを形成して立ち並び、迷宮をさまようような気分だ。天井の精巧なモザイクは、ビザンチン帝国から贈られたものという。
中央部に置かれたキリスト教の礼拝堂。イスラム文化とキリスト教文化が混じり合った大建築であることが良く分かった。

ステンドグラス







人がやっと通れるような複雑な道が入りこんでいるユダヤ人街。白い壁には花が飾ってあり、ここが「花の小路」と言われているそうな。石畳の両側には陶器や皮製品の土産物屋。綺麗に手入れされたパティオ(中庭)。
1時間ほどユダヤ人街を散策しただろうか。疲れてバルで休憩。紅茶を飲む。実はガイドのホワイさんは作曲家でもあり、自作のCDもその店に置いてあった。珍しがり屋の妻は早速そのCDを購入し、ホワイさんにサインしてもらっていた。

メスキータ内部







ローマ時代に築かれた「ローマ橋」を見学。側に大きな水車があった。

ユダヤ人街







中庭







ホワイさんにサインをもらってご機嫌な妻







コルドバを後にして、セビリアへ向かった。
フラメンコの本場と言うこともあってか、晩餐は「情熱のフラメンコディナーショー」。
水車







光と影、明と暗が織りなすアンダルシアの魂ーフラメンコ。本場の踊りだったが、会場が大きく迫力と言う点でもう一つだった。
一昨年見た伊勢志摩の「スペイン村」の方が迫力があった。タバス料理がまずかったことも原因かもしれない。

フラメンコ







フラメンコ







フラメンコ







今晩のセビリアの宿は「ラモティージャ」。



(記述日:2003.2.2)
(掲載日:2003.2.2)


                                  続く 




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