マヤ遺跡を訪ねてーーメキシコの旅(2006.5/26〜 6/1)
私たち夫婦はリタイア後、なるべく世界遺産を巡ることを目標に、旅を楽しんでいる。
今回は一度行きたかった中米のメキシコを選んだ。5月末から雨季に入るため5月中旬を希望したが人数が集まらず、26日出発となった。
トラピックスの添乗員の連絡で「雨具は絶対に必要。気温は38度で、暑さ対策を充分に」とのことで相当覚悟した。
しかし、結果は1週間ずっと快晴で雨具は一度も使わなかった。みんな晴れ男と晴れ女ばかり。
関空の集合で参加者は15人、添乗員は背の高い男性の瀬野さん。添乗員に女性が多いので今回の男性は珍しく頼もしい感じ。人数もゆったりしている。
一日目
関西空港からアメリカのダラス空港まで12時間半。一眠りして到着したダラス空港でトランジットだけなのに、一旦アメリカ入国審査が必要。両手の人指し指の指紋と顔写真をとられる。すぐに出国のためセ−フティーチェック。靴も脱いでの厳重検査である。スーツケースの中も検査するので、鍵を開けたまま荷物を預ける。
メキシコシティー空港までは2時間半のフライト。時差が日本より14時間マイナスなので時計を合わせる。
また26日に戻ったことになる。大きな町で最近出来たばかりのシェラトンホテルに2泊する。今回の旅はホテルがどれも広い部屋で良かった。




二日目
朝から先ず世界遺産都市旧市街の観光から始まる。
メキシコ合衆国の首都であるメキシコシティは山に囲まれた海抜2、241メートルで酸素が薄いので走り回らないようにと注意する現地ガイドの山田さんは、メキシコで生まれた日系二世とのこと。
お話し振りがゆっくりと分り易く耳に聞きやすい。何かしら誰かに似ていると気になっていると、私の長姉の主人に雰囲気がそっくり。義兄は1昨年3月に亡くなっているので、なんだか懐かしく感慨深かった。
メキシコでは今年7月2日に大統領選とのことであちこちにポスターが貼られ、また
地方から出てきた人たちが市庁舎前にテントを張って要求を訴えたりデモをしたりその中で暮らしているとの説明があった。
メキシコではキリスト教が90%で、休日には正装して教会へ行くそうで、この日も抱っこした赤ちゃんが洗礼を受けるため行列していたのが印象的。















ソカロ広場の、カテドラル、市庁舎など建物はスペイン統治時代の様式。
昼食はメキシコ料理、サボテンのサラダや有名なタコス、味付けがピリ辛なので、私はやや苦手。
メキシコ音楽の演奏や、激しい踊りを見せてくれる。

午後はいよいよ世界遺産のティオティワカン遺跡へ。まず「月のピラミッド」高さ45m、エジプトのピラミッドのような形で、正面には長い階段が頂上まで続く。お墓ではなく神殿と言われている巨大石造物。角度がきつく、一段の高さが高く、手すりを持って漸く登れる。私は真ん中くらいの踊り場でGive-upするも、夫は軽々と頂上まで。
中腹の踊り場から 見下ろすと真っ直ぐ伸びる1本の道―「死者の道」が続き、その東側に一回り大きいマヤ最大の建造物「太陽のピラミッド」が見える。こちらは高さ63m。こんな巨大な物を紀元前450年も昔によく建てたものだと感心する。










「太陽のピラミッド」には私はとても登る勇気もなく、夫が登っていくのを下から見ていた。手前の階段に腰を下ろすと石が熱く焼けて、じっとしていても汗が吹き出る。気温は31度の予想とのことだが湿度が高く、40度のようなジリジリした感覚。








夕方から世界で二番目に大きい「国立人類学博物館」へ。








マヤ文明のそれぞれの時代の部屋に分かれている。ティオティワカンの部屋、アステカの部屋、パレンケの部屋、トルテカの部屋、などなど発掘された品々が美しい色を残して保管されているのに驚く。




三日目.
早朝のホテル出発で朝食のサンドイッチを空港内で食べる。コーヒーのいい香りに思わず豆を購入。英語が通じにくくスペイン語でまくし立てる女性がパソコンの画面に1kg480ペソと打ってくれるので「Small Size Please」と言っていると瀬野さんが助けに来てくれて、やっと500gを買えた。
メリダ空港までアエロメキシコ航空で1時間30分程のフライトで、いよいよユカタン半島へ初めて足を踏み出した。現地ガイドはメキシコ人と結婚して11年、8才の子供さんのいる酒井さんという日本人女性。
メリダの街はコロニアム様式の綺麗な都市、百万人が住む。
メキシコは立憲民主制で、人口は1億300万人で31の州に分かれている。
酒井さんの説明では、貧困層が4000万人、その内極貧困層が2500万人、識字率80%ということは文字が読めない人は20%、日本では考えられない。




































ウシュマルまでバスで1時間余り走り、早めの昼食は「ユカタン料理」、とうもろこしで作った「トルティーア」という皮に豚肉や香草など挟んで食べる。スパゲティや果物、ケーキなどで私は満腹。食後のコーヒー又は紅茶は必ずついている。
午後からまずウシュマル遺跡へ、大きな「魔法使いのピラミッド」が目の前にそびえる。
丸味のある石造物で急傾斜の階段は登ることは禁止されていた。
誰かが「イグアナ!」と叫んでいる方向を見ると4〜5匹ゆっくり歩いている。大きさは30cm〜50cmくらいの長さ。みんなカメラを向けて撮影したが、その後、遺跡のあちこちでお目にかかることが出来た。
トルテカ文化の影響を受けた「尼僧院」の四角い大きな庭を横切り、マヤ式アーチをくぐって「総督の館」へと進む。木々を飛び交う鳥の声がたくさん聞こえる。頭の赤いアカゲラのような鳥が気をつついているのが目の前で見える。
建物のレリーフには雨の神「チャック」が多く見られた。
最後に「大ピラミッド」へ。私たち5人ほどを残し頂上まで階段を登って「鳩小屋」と呼ばれる飾りを見る。遠くまで見晴らしが良かったそうだ。




カバー遺跡へ。気温はどんどん上がる。何しろ暑い。石のアーチでウシュマルとつながっているという門を見学。
雨のチャック神の顔に覆われた「コズ・ポープ」と「大宮殿」を見学。私はもう歩けないので、入口で建物だけ見てバスで休憩する。
このあと、ガイドさんから「マヤ民族の末裔が暮らす村―サンタヘレーナ村」へ見学に立ち寄ってもらった。









わら葺き屋根の土間にハンモックをつるし、白い木綿の半袖ワンピースに襟ぐりなどに赤や黄色、緑色の花模様の刺繍をした民族衣装を着たお母さんが、とうもろこしで作った直経8cm位のトルティーアを石で囲んだ火で焼いて見せてくれる。
お父さんはバランのような葉っぱを木で何度もこすって最後には細い繊維になった物を干して、ぞうりにしたり、かばんを作ったりするのを実演してくれた。
家の周りには野菜や実のなる木を植え、自給自足の生活ぶりを見学した。
今夜のホテル、メリダの町へまた1時間余りのバス。
今夜の夕食には、美味しい牛肉が出て舌鼓を打った。夕食後、斜め向かいのスーパーマーケットに買い物に行ってみる。
ワールドカップが近いのでサッカー関連の品が、あちこちに売られている。現地の人たちのカゴには、一体何人分?と思うほどの食品が入っているのにも驚いた。塩やチョコレートを少しだけ買った。






四日目
メリダ市内の病院の野口英世の銅像を見学、この地でマラリア熱などの研究に尽力した彼の偉業を讃えた銅像。
ここから110kmバスで、いよいよチチェン・イッツァ遺跡へ。(Chichen-Itza)
もちろん世界遺産。まず「カラコル」即ち天文台へ。マヤ民族は天体の位置に精通しその運行を研究していた。カラコルはスペイン語でカタツムリ。その名の通り建造物の形がカタツムリに良く似ている。




















いよいよ、強大なククルカン神殿。メキシコへの出発前に、ちょうどテレビでここのククルカン神殿の不思議を放映したのをみたばかりで、ことのほか期待していた。今は登れなくなった階段が91段、それが東西南北で×4=364+頂上の1段で合計365日、何と1年が365日の暦が1000年前に造られていた。今の暦と同じ考えである。
また階段の下の大蛇の頭が、春分の日に、背びれ尾びれが長く伸びるように設計されていて毎年数万人の見物人が訪れるそうだ。
それは東西南北を17度動かすことにより、真西に沈む太陽が北側の大蛇に微妙な光を当てる事によって、現れるという設計。すごい!
次に驚いたのは大きな競技場。幅70m、長さ170m、左右の塀の高さ7mに囲まれた広場で、兵士が7人対7人で戦い、塀の上から1m下の中央あたりに、石をくり抜いて作ったリングに、ゴムで作られた黒いボールを入れる競技。
競技者は腰・腕・右足のみで戦い、勝者がいけにえとされたそうである。
最後に「戦士の神殿」に向かったが、私は余りの暑さに木陰で休憩させてもらった。
情けないが、蒸し暑さと膝の痛みに、みんなと一緒に炎天下、歩けない状態。今回の旅も、一回りご年輩のご夫婦も参加されていたが、私よりお元気で、私は15人のいつも最後尾を歩いていた。体力の無さに悲しくなる。
マヤ文字が解明されてまだ日が浅い。銀のペンダントトップをマヤ文字で掘ってくれるお土産があったので、夫は娘に記念に作ってもらっていた。エジプトのヒエログラフ文字と同じような感じである。
この日のホテルは、ユカタン半島の端、カリブ海に面するリゾート地「カンクン」である。
部屋の窓から真下にエメラルドブルーのカリブ海が見える。夕食までに泳ぎたいと思ったが、日中の汗を流す為シャワーを浴びて着替えたら、もう元気が出ない。
どっと疲れてベッドでひと休みしている内に夕食の時間。午後8時位まで空が明るい。
夕食は肉料理。何しろ疲れた1日で早めに就寝。


五日目
1日自由行動の日だが、私たちはオプショナルツアー「トゥルム遺跡」見学を希望。
ガイドは酒井さん。マイクロバスに乗り込んで1時間40分揺られる。
バスを降りて、汽車に乗って15分で到着。海に面した遺跡で、最も新しい時代の遺跡。新しいと言っても「後古典期(紀元後1200〜1519年)」で、今から1000年以上前。500年前にスペイン人がメキシコを発見した時、最初に上陸したのが、ここトゥルム遺跡。建造物が海に向かってそびえ、大きな町を形成している様子を見たスペイン人が本国に報告した内容は「大きな町で、自分の故郷セリビアの町より大きい」と言うものだったという。海に向かって急な階段があり、数人がカリブ海で泳いでいる。





東側にカリブ海に面し、貿易の中継地として栄えた都市。壁に囲まれた町。建物はプーク様式と言って、昨日のウシュマル遺跡とは違う様式。
警備搭、礼拝堂、寺院、儀式用の建物、風の館、セノーテの館(昔は井戸があって水が湧き出ていた)、北西の館などなど、多くの建造物が石に彫られたレリーフも多く残っている。









美しい風景だった。大勢の観光客がいたが、日本人は私たちのツア−10人以外とは一人も会わなかった。欧米人の観光客は水着のような格好で平気で歩いている。
気温は今回の旅で一番高い。余りの暑さに今まで日焼けしないように頑張って長袖を着ていたが、我慢できない。半袖Tシャツで歩く事にした。
今日の昼食は5つ星ホテルでのバイキング。ドリンクは飲み放題。夫はビールをお替わりしていたが、私はバイナップルとココナッツのジュースにラム酒入りという飲み物「ピラヤコラーナ」にした。
口当たりが良くとても美味しいが、カクテルと一緒で良くまわる。顔が赤くなってきたので、グレープフル−ツジュースで酔いを冷ました。
コックさんが我々日本人のために「巻き寿司〜サラダ巻きのような」を奮発してくれたが、お米に粘りが無く少ししか食べれない。
そろそろ日本のお寿司が恋しくなってきた。
ホテルに戻ってきたのは午後3時前。
一度も子供たちに電話をしていないので、テレフォンカードを買ってみる。現地のお世話をする旅行社の女性に教えてもらう。
一旦部屋でシャワーを浴びてから水着に着替える。部屋から見える真下のカリブ海に、せっかく来てるのだから海に入らない手はない。
ビーチの受付でロビーでもらったカードを見せてバスタオルを受け取る。
白い砂とエメラルドブルーの海、ビーチ並ぶ長椅子に寝そべったり、海に入ったり、童心に戻って楽しむ。「メキシコのカリブ海に居るんだ!」と感慨深く思う。




午後4時ともなると、波が大きくて私の体は流されてしまう。夫と交互に海に入る。
ホテル側の横にプールがいくつも色々な形のがあったが、私たちはプールだけれども温泉のようなジャグジーの丸いプールに入って、海を眺める。色んな人種の人たちが次々と出たり入ったり・・・。
ここで撮った写真は後日帰国して見てみると、プールと海が続いているように写っている。南国の楽園のよう。
いよいよ最後の夜、部屋で着替えて町に出る。テレフォンカードも使おうとするが上手くつながらない。
また食事の適当な店が見つからなくて、ホテルに戻る。前日にもらったウエルカムドリンクの券で、ビッグなオレンジジュースを頂く。
本来なら夫は絶対にビールなのに、この時はお腹の調子が悪くて食欲も無いと言い出すし、部屋に戻って、家から持ってきた「白がゆ」やカップの「きつねうどん」など食べて翌日の早朝の出発のため、スーツケースを整理して早々に寝る。
六日目
午前4時ロビー集合で早めに行ってテレフォンカードの使い方を聞き、一緒にかけて頂き、娘と息子と話す事が出来た。
カンクン空港へ。カンクン空港はまだお店も閉まっていて、ホテルで作ってもらった和食のお弁当を頂く。
その内に、コーヒショップや免税店がオープンする。あちこちにある公衆電話を使おうとしても又かからない。カードの残もあるはずだし、添乗員の瀬野さんにプレゼントした。
免税店で愛犬ダンの世話をしてくれた息子にタバコを買う。メキシコとお別れ。
ダラス空港まで2時間50分。トランジットだけなのに又指紋を取られ、顔写真を撮られた。何度経験しても腹立たしい思い。
その上、スーツケースの鍵を開けたままで預け、中を調べると言う。帰国して夕方家に帰り、スーツケースを開けると、私のだけ、下着やらお土産やら、ひっくり返されている。印刷物一枚入っていてお礼と、又アメリカへお越し下さいのような文章が書かれている。なんとも気分悪い国。
時差マイナス14時間で、昼夜逆転のつらい日々がしばらく続きそう・・・。
(2006.5.26〜2006.6.1)
終わり
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