永年勤務した会社を退職したわたしたち夫婦は、今年から晴れて自由人!
スイスへの旅は、結婚20周年にヨーロッパ旅行で「ユングフラウヨッホ」には登山電車に乗って既に行ったが、今旅の「モン・ブランとマッターホルン」は以前から憧れていた山である。
9月7日(金)
夏休みの旅行シーズンも終わった9月7日出発で、今回のJTBツアー参加者は13名と、丁度いい人数だった。
関空からイタリアのラウダ航空でミラノまで12時間。日本との時差はマイナス7時間の為、ホテルに到着したのは日本時間では夜中の3時、でも現地は午後8時とのことで、お風呂に入りゆっくり身体を休める事が出来たのは有り難い。
8日(土)
翌日はもう4時半にはパッチリ目が覚めてしまったが朝食は7時半。
移動の為バスに乗せるスーツケースを整理したりで過ごす。夜が明けてきたミラノの街並みをカメラに収めたりする。
屋根がオレンジ色に統一された感じで、窓辺には花鉢を飾り、建物の高さも高層ビルはない。
ホテルの向かいの「BAR」(バルと読む)では出勤前の人々がコーヒーを飲んだりホットドッグのような物をカウンター席で、立ったまま食べている風景が興味深かった。
いよいよ、モンブランのあるシャモニーへバスで向かう。途中ガソリンスタンドでトイレ休憩。
外国ではガソリンスタンドが日本のコンビニのような物を売っているのを良く経験する。
ここイタリアも同じく、私はビスケットとケーキ菓子のようなのを買ったが8,500リラ。日本円で約600円。1万リラ札をいっぱい持って、お金持気分。
イタリアからフランスへの国境では、バスの運転手が窓から「日本人観光客」と言うだけで通過OK。
いつの間にかフランスへ。峠を越える途中、古いお城があちこち見える。山あいの谷には必ず小さな村があり、教会があり、斜面を利用して太陽があたるように段々に植えたぶどう農家やとうもろこし畑、りんご畑が多い。昼食のレストランではサラダとパン、煮込んだ鶏肉という簡単な物を頂く。
驚いたのは徹底した「省エネ」。レストランなのに廊下もトイレも3分〜5分で自動消灯。私はトイレの中で真っ暗になってしまって、驚いて目の前のボタンを何げなく押すと電気がついてほっとする。スイスのホテルでも同じ経験をして感心した。
午後2時半頃、シャモニーの町に到着。ホテルは大きな山小屋風でそれぞれの窓辺の赤い花が可愛い。
そして何より嬉しいのは、ホテルの部屋から「モンブラン」が目前に見えること。感激して夫はビデオを回し続け、私はカメラのシャッターを切りまくる。
シャモニーの町すぐそこまで来ている「ボソン氷河」が圧巻だ。夕食までの自由時間を、夫と二人でシャモニーの町を散策。
川の流れがとても速く、真っ白なのは、氷河から解けた水が流れて来るとの事。 水が冷たそう! 道行く人の服装はセーターやウインドヤッケ。秋を越えて真冬の感じ。
夫は、アルピニストが購入する店として有名な「スネル・スポーツ」でゴア・テックスの登山靴を購入。日本では3万8千円のを2万6千円程で買えて御機嫌。マッターホルンのハイキングに早速、使用していた。私もミレーの即乾性のTシャツを買えて嬉しい。
そこがバルマ広場と知らずに、郵便局の前でアイスクリームをほおばり、少し休憩。
そのまま真っ直ぐ進んでしまったので、モン・ブラン初登頂したバルマとソシュールの像に気づかず、ヴァロ通りを北へ向かってしまった。和食「さつき」を見つけたが夕食までの休憩時間で、店は閉まっていた。
モンブラン通りへ曲がる角で、トイレを借りる為、ホットドックを1つ注文したが、英語の発音が悪くホットドリンクと間違えられ「チョコレート?」と聞かれ「ノー」と言うしかない。再度ゆっくり「I want a hot dog」と発音してやっと通じた。
シャモニーではフランス語圏だけど、皆んな英語もドイツ語も出来るそうで優秀だ。
モンブラン広場を右折して、シャモニー駅から線路に沿って歩いてみる。添乗員さんからもらった地図に「エーデルワイスの種」が買える店とあったので、そこを目指すことに。
あった!種も見つけたが、言葉がちゃんと通じるか?またお金もフランスフランが無くなったので、スイスフランでいいかどうか、心配しながら話し掛けてみる。エクスキョーズミー。何とかうまく通じて通貨もOK、おつりもスイスフランでくれた優しい人だった。
ホテルへ帰りかけて「まだ、あの登頂者の像を見てないやん」「どこかな?」と地図を覗き込むと「さっき近くまで行ってたのに」と悔しがり、再度バルマ広場を目指す。違う道を歩いてみようと今度は「カジノ」の前を通り、アルヴ川を渡るとありました。
モンブランの山を指差す格好のソシュールとバルマの像が。像の周りでクラシックカーの展示会があり人が多くて、見落としたのかも知れない。無事カメラに収めホテルへ戻る。結局私達はシャモニーの町を1周した訳。
夕食は「ホンデュ」。私は「チーズホンデュ」を楽しみにしていたのに「コンソメスープ味」のホンデュだったが、あっさりした味でおいしかった。これなら我が家でも出来そうだ。残念ながら、牛肉は今「狂牛病」の関係でヨーロッパでは鶏肉や豚肉で代用している。
こちらでは、ミネラルウォーターよりビールが安く、夫は何杯も飲み干しては饒舌になっているが、私は夫の体の為に心配。
旅行中は夫自身も気がゆるんで、昼食からビールを飲んでいるが、小言はやめようと黙認。
でも、あとで数値が悪くなって後悔するのは困る。
9日(日)
この日は、モンブランの展望台「エギューユ・デュ・ミディ」迄、ロープウェイで登るのだが、ガスっている事、展望台が零下6度とかで、様子見のためロープウェイが動かない。
JTBの他のツアーの日本人がグループで待っている。われわれも添乗員の安岡さんの指示で待つこととなる。待っていると寒いこと「ホカホカカイロ」を腰にあて、着る物すべて着込んだ。
待つこと2時間、やっと動き始めた。私たちが乗れたのは11時40分発、山にぶつかりそうに直登するようにロープウエイが上がっていくと氷河が眼前、周囲の山々は雪山ばかり。
エギューイユ・デュ・ミディ展望台は標高3,842m、外へ出ると肌をさす冷たさで、屋根にはつららが下がっている。そしてガスも晴れたモンブランの勇姿が目の前に。感激感激!
高山病予防の注意を守り、歩幅を半分に、話し声を小さくしたので大丈夫のよう。夫は、もう少し上の階段を登って売店で「登頂記念バッジ」を買うと言うが、私はこれ以上登れないので待つ。
充分モンブランに満喫したあと、みんなで昼食してシャモニーの町と、さよならする。
バスで1時間半ほどで、登山電車の駅「テーシュ」へ着く。ここはもうスイス。今日から3連泊する「ツェルマット」は自動車乗り入れ禁止で環境重視の村のため、バスは入れない。13人分のスーツケースを5スイスフランで手押し車に乗せ、テーシュ駅からツェルマット駅まで1駅乗る。
手押し車は次の駅で返却すると、そのまま5フラン戻ってくるシステム。
駅前には馬車が何頭か並び、ホテルの人が電気自動車で荷物を運んでくれる。町はさすが自動車もなく清潔。通りの店や家々の窓辺に、ゼラニウムの赤やピンクの花が咲き並らび、おとぎの国のよう。
店々も登山用品店がさすが多い。賑やかな通りを過ぎ、すてきな教会を左折すると今日から泊まる「ホテル マッターホルンブルック」。部屋はラッキーな事に、マッターホルンが見える。
夕食までの3時間半ほど、夫と散策する。道は石畳で坂道が多い。駅とは反対側へ登って行くと、古い石瓦屋根で山小屋が数軒、残されている。その中のラカールという穀物倉には、「ねずみ返し」という独特の大きな石を柱の足の部分に取付けた伝統的なスタイルの建物がある。ここも昔はこんな家々の小さな寒村だったのだろう。これからも歴史的な建物を保存してほしいものだ。
教会の近く(という事はホテルの近く)にお墓があったので見学。日本と違って花が一杯の美しいお墓ばかり。マリーゴールドの赤や黄色の花を植えているのが多い。本に載っていた通り登山で遭難したと一目で分る「ピッケル」を石に彫り込んだのが目に付く。また亡くなった人の写真を石に埋め込んでいるのを見ると若者ばかりで心が痛む。でも明るい優しい雰囲気のお墓だった。
10日(月)
この日は、今回最も楽しみにしていたハイキング。3,130mのゴルナグラート展望台に行くので、持ってきた服を全部リュックに入れる。ツェルマットから登山電車で終点の展望台まで行く。
上へ登るにつれて、夕べ降った雪で線路の周辺も真っ白。電車の窓から野生の鹿や羊、アルプスマーモットというアルプスの人気者2匹がチョコチョコと走っているのが見えて大喜び。
視界がひらけると「うあー、マッターホルンが大きい」と叫び、これからいっぱい見れるというのに、思わずシャッターを切ってしまう。
終点のゴルナグラート駅で降りて、展望台の頂上まで登ってみたが、マッターホルンの頂上は雲がかかって残念。でも反対側の「モンテローザ」が目の前。モンテローザはモンブランの4,807mに次ぐヨーロッパで2番目の4,634mの山。
今から行くマッターホルンは4,478mで6番目。駅に、セントバーナード犬が2匹、記念写真用におとなしく並んでいた。大きな犬で頼もしい。首には小さな樽をぶらさげ、これは昔、遭難した登山者の所まで走って行き、衰弱した体にまずアルコールを与えて暖める為との話しに感心させられた。
ここ最高峰にある郵便局で投函するとスタンプを押してくれると言うので、朝方、がんばって絵葉書を書いたのを郵便局のおじさんに手渡した。1時間ほどの自由時間にホットチョコレートを飲み、夫は又バッジを買い、ゴルナグラード駅から1駅戻り、ローテンボーデン駅で下車して、次のリッフェルベルク駅までハイキングという計画。
ストックを持ち、ガイドさんを先頭に1列で歩き始める。道は1人通れる位の幅で、すぐ横のブッシュは雪が残っていた。寒いけれど心はわくわく。最初にゴルナー氷河を見学に。すごく亀裂がギザギザに入っていて怖い。ガイドさんの説明ではクレパスは100m程の深さとのこと。私達の足許には高さ7〜8cmの小さな紫色の秋りんどうや、小さなききょうが雪の岩の間から顔を出している。かわいい高山植物だ。
ガラ場の急な下りを下りると、有名なリッフェル湖だ。本で見た通りに、逆さマッターホルンが湖面にそのまま映し出されている。青い空に白い山。興奮してしまう。記念撮影などして次に進むが、いつも左側になったり目の前に来たりするマッターホルンに、つい見とれてしまう。
360度、山また山の大パノラマ。モンテローザ、ブライトホルン、リスカム、ドーム、ヴァイスホルン、みんな4千m級の雪山ばかり。マッターホルンが一番近いので、迫力を感じる。
11時半から歩き始めて間もなく1時間半。登山電車の音が聞こえる。リッフェルベルク駅を下に見下ろした丘で、昼食タイム。リッフェルベルク駅2時集合まで自由行動。他のメンバーは駅の近くのレストランで食べるようだが私達2人はマッターホルンの一番近くの丘で食事を摂る。
旅行中、初めてのおにぎり3つのお弁当を見えるのはマッターホルンだけの場所で頂く。
最高、何か夢のような景色。でも寒すぎる。ずんずん冷えて来る。ひとしきりビデオやカメラを撮ってから、やはりレストランへ、あったかい物を飲みに行く。結局レストランで夫はカレーライス、私はコーヒー。ほっと一息つく。レストランのデッキからコーヒーを飲みながらも、振り返ればマッターホルンの姿がいつも美しく見える。ようやく山の頂上から雲が晴れた。
集合して電車でツェルマットへ帰ることになるが、ガイドの誘いでツェルマット迄 健脚3人が下りて行った。山好きな夫は、私に付き合い断念したが申し訳ない。
私達10人と添乗員安岡さんは登山電車に乗ってツェルマットへ。駅で解散してから、通りの店を覗き、裏通りのスーパーでマスカット一盛500円ほどで一杯入っていたのを買う。早速ホテルで食べてみたが甘くておいしかった。食べきれず窓辺に並べて冷蔵庫のつもり。
夫はまずお風呂へ入ってひと眠り。私も少し横になった。 また夕食までの自由時間を、午後4時からオープンの「山岳博物館」へ行ってみた。入場は6フラン。2階の展示場も見学。説明がドイツ語で何となく、カンで分るところもある。マッターホルンに初登頂した7人のメンバーが、登頂後すぐに4人が遭難と言う大悲劇の当時の新聞が展示。切れたロープの写真の報道があったのが印象的。
11日(火)
オプショナルで午後から「半日スネガハイキング(初級・中級)」があったが、私の左膝関節炎のため、自信がない。歩くのが遅くて、他の参加者に迷惑をかけるのもと思い、夫に申し訳ないが我々2名は不参加、この日は別行動することにした。
前日に本で研究して、なるべく朝早くホテルを出発。スイスで一番高い展望台「クラインマッターホルン(標高は3,884m)」へ向かうことにした。
2人だけで行動するので、地図をよく見ながらホテルから裏へ出てマッター・フィプスツェル川を渡って、川に沿って山側へ歩くこと、約10分。山麓駅が見えた。
窓口で「Return Tichet Please.Two」と指を2本出す。窓口のおばさんが「OK.73Furan・・」と言ってくれた。往復73フランや。通じた!良かった。これで一段落。前日の電車も同じだが、切符は定期券のようなカードで、入る時にカードを差込み、自動読み込みしたらカードを抜くと、入り口がガチャンと開き、一人づつ通れる仕組みになっている。
乗換えの時も必要で無くしては大変。乗換えのフーリ迄は、小さな4人乗りのロープウエイに2人で乗ったが、縦ゆれ・横ゆれ、それに動きが速く、怖いくらい。フーリ駅で乗り換え、次の乗り場名のドイツ語をカン読みして、進む。周りに日本人われわれだけ。今度は20人以上乗れそうな大きなゴンドラで良かった。
次のトロッケナー・シュテークで最後のロープウエイに乗次ぐと、クラインマッターホルンは正面に見える。頂上に向かって支柱の無い大氷河の上をゆうら、ゆうらと揺れるのは、何んとも恐ろしい。更に最後は、岩と雪の絶壁をやや、ぶつかったりしながら急上昇して、やっと頂上駅到着。
長いトンネルを突き抜けると、山の反対側へ出てびっくり!そこは真っ白の雪の世界。もう数人のスキーヤーが気持ち良さそうに滑っている。今から板をつけて出発する若い男女は日本人。
余りの寒さに頂上のお店でホットコーヒーを飲み、昔のスキー場を思い出してウキウキした気持。
展望台へはエレベーターに乗って、階段を上がらなければ。階段が凍りついて上るのが大変。
高山病に注意。ゆっくり一歩づつ登ると、そこが頂上。
真っ青な空に、真っ白な山々が360度、全部見える。快晴! 目の前に飛び込むのはブライト・ホルン。勿論マッターホルンも角度が変わって見える。モンブランもグランドジョラスも見える見晴らしの良さに感激した。反対側にはユングフラウヨッホもメンヒもドーモも何もかも見える。
4,000m級の山に囲まれ、しばし、うっとり。しかし寒い。他の人も登ってきたし、写真も撮ったし、下りることにしよう。
頂上駅に着いてから1時間少し過ごしたらしい。次の予定は途中のシュバルツゼー湖へ。
ロープウエイで次の乗換駅トロッケナー・シュテークへ着いたのは、12時前、レストランの看板を見つけたので昼食にした。
セルフサービスで夫は早速、生ビールを自分でグラスに入れるシステムに難渋している。泡ばかりで困っていると店の女性が、泡のコップを全部捨てて上手に入れ直してくれた。私はホットチョコレートとミートスパゲティで夫も別のスパゲティにしたが、発音が分かりにくく、よく通じたものだ。スイス人はホットチョコレートが大好きらしいが、これは先ずホットミルクをもらって、チョコレートの粉末を1袋受け取り、好みの甘さでチョコレートの量を調節するという飲み物。体が温まるので私も良く飲んだ。
駅へ戻ると、さっきまで閉まっていた売店が開いたので、夫はバッジを買って帽子に着けていた。
もう1回ロープウェイでフーリまで行ってから、また乗り換えるとシュバルツゼー(湖)に到着。
今回見た中で、ここから見るマッターホルンが一番近くて大きかった。丘へ登るとポカポカ陽気で、気持ちものんびりして、思わずごろんと横になった。わあ、気持ちいい!太陽がまぶしい位。
最高!動きたくない気分。夫も寝転ぶ。でも良く見ると草原のあちこちに鹿のフンがあるので、場所を決めるのが大変。
もう充分満喫した。ツェルマットまでハイキングで帰れるねーとか言いながら、やはりロープウェイで山麓駅まで下りて、一旦ホテルで小休憩。
30分程休憩して、3時出発。もうひとつの展望台のスネガへ行ってみる。ツェルマット駅の近くに、スネガ行きの急行・地下ケーブル駅があるはずだが良く分らない。登山電車の線路に沿って歩いていると日本人数人リュックにストック姿のグループが、我々を追い抜いて行くので声をかけてみる。彼等もスネガへ向かうというので、駅まで付いて行った。
スネガ展望台往復25フラン。駅は急な階段の駅で電車も斜めになって停車している。山の中を地下鉄で急登するらしい。窓が無いオープンな電車なので、すごいスピードと音で、真っ暗な地下を電車が進む。3分ほどで、駅に着いたらしいが駅名はスネガではない。下りないでいたが、みんな下りて行くので外を覗くと、どうやら終点みたい。
スネガ・エクスプレスというのは1駅だけなのかと納得する。ここも急な階段駅。外に出ると、ここは2,300mなので、そんなに寒くない。ここでもヨーロッパ人にとって短い夏を惜しむように、肩を出してのんびり日光浴をしたり、レストランで飲み物を飲んだり、本を読んでいる人の姿が多い。ここスネガは「マッターホルンが最も美しく見える場所」と定評がある通り、確かに、すそ野まで全体がきれいに見える。ライ湖へ下りて行くと、この湖にも逆さマッターホルンが、写っている。しばらく湖畔で憩い、飽きるほどマッターホルンを見続けた。
夫がライ湖を一周して来ると歩き出し、私はビデオ係り「6分で一周」だそうである。
4時半、そろそろ帰路に。こちらでは、日が沈むのは8時頃なので、いつまでも昼の感じ。3分でツェルマット駅。
帰路、駅からの通りの店で、やっと気に入ったハイキングシューズを見付け、私のを買った。
ウエガの店員さんが「さっきニューヨークで爆発があってすごいニュースみたいですよ」と教えてくれた。早速ホテルのテレビをつけると、世界貿易センターの片方がくずれ落ちる時の映像にびっくりしたが、ドイツ語で何が何やら分らない。チャンネルを変えてCNNニュースにする。
どの局も、同じニュースを流している。夕食集合のロビーでもみんなテレビを見て「誰か訳して」というが早い英語で全く聞き取れない。添乗員の安岡さんに聞いてハイジャックされたらしい事、飛行機でビルへ突っ込んだ事、テロリストによるらしいなどが分った。何度見ても現実とは思えない。映画ならいいのにと思う。夜のテレビでは何故か日本の特攻隊の映像を流していた。
ツェルマットで過ごした3連泊も、おしまい。最後の夕食。充実した3日間は本当に楽しかった。
12日(金)
目覚めてまず、マッターホルンを見た。これが見納め。朝焼けが美しい。シャッターを切る。
朝8時ホテル出発。町の温度計が1度になったり2度になったり。さすが寒い。
スイスフランを使ってしまおうと、駅の売店でチョコレートを買う。午後からはイタリアリラ。来た時と同じ方法でテーシュの駅まで。バスでミラノへ向かったが、今日はスイス〜イタリアの国境ではバスの中へ国境警備員か警官かが乗り込んで、一人一人の顔を見ながら「ジャパニーズ?」と聞いていった。「イエス」と答える。
来た時とは随分、様子が違う。やはり厳重になっている。
アルプスの山々が遠くなりミラノに近づくにつれ、車の渋滞が始まった。ミラノの街は一方通行が多く、予約済みの昼食の店を捜すのが大変。徒歩ならすぐそこなのに車は大きく回り道。丁度ランチタイムらしく、イタリア人が各テーブルでサンドイッチやピザなどを食べ楽しそうな会話。
我々はスープ・サラダ・スパゲティ・パンという食事にオプションで私はカプチーノ、夫は勿論ビール。今回の旅行中はトイレでチップを取るおばさんに一度も会わなかった。昨年のウイーン・ハンガリー・チェコでは、レストランの中のトイレにもおばさんが居てびっくりしたのを思い出す。それだけ貧しい国という事なのだろうか? 今回、スイスとミラノでは清潔なトイレだった。
食後は今夜泊まるホテル「ホテル ガッレス」へ。今から明日の正午集合まで自由行動のため添乗員の説明を受ける。「スイスのような治安のいい国ではないので気を付けるように」と何度も何度も念を押された。私はミラノが始めてなので絶対、スカラ座とドウモだけは見たいと思っていたが、ここからはタクシーか地下鉄とのこと。説明を聞くと、何となく心細い。
そんな時、さすがJTBの添乗員さん!「ご希望の方は、私と一緒に地下鉄でドウモまで行きますか?」との提案。勿論賛成。ロビーに4時集合で8人参加。
地下鉄の切符は小さな薄い紙で、改札口の切符入れにうまく入らないため、私だけ皆んなに遅れて焦った。ドウモ駅は三つ先、何かスリルを味わった気分。日本と違って改札を出るのは切符は入れなくてOK。地上に上がると、そこに素晴らしいゴシック建築の大聖堂が見上げるばかりに立っている。
ドウモ大聖堂は14世紀に着工して500年ほどの工事で19世紀半ばに完成した、ローマのサン・ピエトロ大寺院に次いで世界第2位の大きさとのこと。石で刺繍した建築のような精密な美しさ、あまりの素晴らしさに圧倒される。
ドウモ広場には鳩がいっぱい、人々もいっぱい居る。広場の周囲の喫茶店ではテーブルを外に出して、たくさんの人が寛いでいる様子。
ビットリオ・アーケードは19世紀完成。歩行者天国でレストランや洋服屋などPRADAの店もあり、東京なら銀座、大阪なら心斎橋通りの感じの目抜き通り。アーケードを抜けると、目の前にスカラ座。スカラ座の前の広場には大きなレオナルド・ダ・ビンチとその弟子の彫刻の像。
公演の無い日はスカラ座の内部見学が出来ると言うので、添乗員と別れて自分達だけでチケットを買って見学した。
映画の中のようなボックス席、客席と舞台、ちょうどハーブ演奏(練習?)を聞く事が出来、18世紀からここでオペラが・・しばし、うっとり。有名なスカラ座見学に満足したあと、アーケードの通りで「コンニチワ、ドウゾ!」と日本語で話しかけられびっくり。
イタリア人が自分のレストランへどうぞと言うのである。6人で「負けるなー」と言いつつも、その店に入る事にした。
オレンジの生ジュースが美味しかった!けど値段も高かった。1200リラ。イタリアのデパート「ラ・リナシェンテ」に地下日用品などを見に行く。カラフルで可愛い家庭用品がいっぱい。時間の過ぎるのも忘れて楽しみ、太陽が西へ落ちようとアーケード真っ直ぐに照らす交差点で添乗員・安岡さんと再集合。
夕食もフリーなので、安岡さんに本場イタリアの店へ連れて行ってもらう。K夫妻とMさんとO夫人に我々の6人が安岡さんに付いて行った。
お店は午後の休憩後19時開店で、まだオープンしたばかり。ワインやビール、ミネラルウォーターを注文して、前菜・スパゲティ・ラビオリ・メインディッシュに肉や魚を皆んなで、分けたり交換したりして、いろいろな味を楽しんだ。
イタリアと言えば、エスプレッソと言う事で注文したが想像以上に濃いコーヒーで、私はこの夜、なkなか寝付けなかった。
安岡さんには、自由行動にも拘わらず、付き合ってもらい本当に助かった。感謝の気持ちで全員で安岡さんを御馳走した。ホテルまでのTAXIで帰った。テレビは今日もテロ画面。
13日(木)
午前中の自由時間を、夫と二人でミラノ中央駅周辺を歩く事にした。地図をしっかり見て、注意して歩く。
今日もいい天気。旅行中、全部晴れて本当に良かった。大きな駅で、中に郵便局を見つけて、また「スタンプ プリーズ。To Japan」で通じて投函。隣のハンバーガーの店でコーラをひとつ注文して、ちょっと一服。
夫が店の中をビデオ撮影すると、係りの人から注意を受け、「アイム ソーリー」を繰り返した。フイルムは取られなかったのが幸い。
外国ではビデオ撮影禁止の場所があり、気を付けなければとリュックへ入れる。
駅へのエスカレートを上がると売店がいくつかあったので、新聞・雑誌売り場で「Japanees Newspaper? 」と聞くが「No」の返事。
仕方なく帰りかけると追いかけて来た。「Yestuday OK?」と聞くので勿論OKである。すると、「Asahi? Nikkei?」と聞かれて、こちらがびっくり。8000リラで日本円では600円もしたが、やっと日本語で新聞が読めると大喜び。
この新聞はツアーメンバーの引っ張りだこ。充分の価値ある600円だった。
ホテルへの帰路、アイスクリームを食べたり、ピザ屋でピザをTake Outして、途中の小さなスーパーでビールと水を買ったりなどの冒険をしながら部屋へ戻って軽い昼食。ミラノからローマへ一旦行き、ローマから関空へ飛ぶとの事。
1時間前に着いた空港はガラガラの感じ。無事帰国出来るのだろうか。また飛行機も遅れているとの事で、空港の中で足止め。
少し不安になる。JTBのチャーター便で、ローマまではJTBの2グループだけで飛んだ。
色々あったが、楽しかった「モンブラン・マッターホルン」だった。無事帰国出来て本当に良かった。
終わり
(記述日:2001.9.25)
(掲載日:2003.2.15)