パムッカレ観光(石灰棚とヒエラポリス)(2002.12.16)
6.パムッカレ観光(石灰棚とヒエラポリスとトルコ風呂「ハマム」)
エフェソス観光を終え、パムッカレへ向かう途中革製品の店へ寄った。男女モデルによるファッションショウがあり、お客からM氏も引っ張り出されてモデルをさせられた。なかなか堂に入って拍手喝采。

一着6億TLもの高価な買い物をする気が無く、私達夫婦は直ぐに外に出た。同じような数組の夫婦と談笑。

約185km走ってヒエラポリスに着く。紀元前190年に始まった都市の遺跡で、この時代のものとしては最も内陸部にあることで有名だ。ベルガモン王エウメネス2世によって建造された。

ヒエラポリスには聖なる都市という意味があるそうな。
ローマ・ビザンツ時代まで繁栄は続いたが、セルジューク朝により町は滅ばされた。
紀元前2世紀に作られた円形劇場。千をこす墓が並ぶネクロポリス。大きな連続アーチを持つ石積みの典型的なローマ建築である北大浴場。

聖書にヒエラポリスという名で知られるパムッカレは、トルコ語で綿の城と呼ばれる階段状の不思議な温泉。
高さ約200m幅約1kmにわたって、純白の石がツララのように垂れ下がっていた。
景観保護の為今では温泉に浸かることは出来なかったが、足をつけて感触を楽しんだ。生温い温水が気持ち良かった。
夕暮れの為石灰棚が赤くそまり、幻想的な風景だった。これが有名な「石灰棚」なのだ。

今夜はホテル「サーマルコロッセア」で泊った。
温水プールとハマムがホテルにあるというので、妻と二人で覗く。

実は昨日の泊ったホテルで私は一人ハマムを経験していた。トルコ風呂と言われている「ハマム」。
地下に降り、受付で「ハマム」に入りたい旨を言うと、若いトルコ人が着替え室に案内してくれた。

着替えをしょうとすると、入ったらダメというではないか。待っていると若い白人の女の子(20歳ぐらい)がバスタオルで身を包み出てきた。更衣室は男女共有なのだ。

着替えて重々しい扉のあるハマムの部屋(約30坪ぐらい)に入ると、先ほどの彼女が一人真ん中の大理石の上で寝ているではないか。
私に気づいてにっこり笑って「ハロー」と声をかけてくれた。

六角形の大理石の大きさは直径3mぐらい。若い女性と並んで寝るのは照れくさく、遠慮して壁際のやはり大理石のテラスに寝そべった。彼女が大理石を離れたので私がそこに横たわった。
熱くはないが微かに暖められていた。数分間横になっていただろうか。彼女を見ると蛇口をひねって温水を体にかけている。私も真似をする。
彼女は又大理石に横たわる。若いはつらつとした水着姿の女性を目の前にして私はどぎまぎしてしまった。
この時ばかりは英会話の出来ない自分が情けなかった。結局彼女と二人で30分間ほどの時間を共有した。会話こそ無かったが、奇妙な連帯感が生まれた。その間誰も入って来なかった。

妻と二人で温いプールに入っていると、I氏が入ってきた。「あかすり」に行くと言ってプールをあがった。T婦人が一人で居た。
プールに接して「ハマム」もあったが、そこは少し寒々としていて直ぐに出た。
プールの奥に熱い浴場があり、そこに日本の風呂のように浸かって疲れをとった。遺跡見学疲れがとれた。
部屋に戻ると鍵が開かない。水着の上にガウンを引っ掛けた状態の二人はブルブル。添乗員の出口さんに言ったら、部屋を替えてくれた。散らかした品をまたスーツケースに詰め込み引越し。風邪を引かないように直ぐに寝た。
(2003.1.5)
続く
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