初めてのポーランド2
初めてのポーランド2(2011.8.26〜9.4)


6日目 毎日晴天。今日も雲ひとつない青空。8時出発でアウシュビッツ博物館へ向かう。
世界遺産である。1時間半で到着。現地ガイドは8年ほど住んでいるという神戸出身の日本人の方。
各自イヤホンをつけて静かな口調のガイドの説明に聞き入る。まず出入り口の門の上に「働けば幸せになる」というドイツ語の表示。
ここに130万人連行され、うちユダヤ人は100万人。ユダヤ人だけでなく政治犯・知識人・宗教者・ジプシーなど。
1933年にミュンヘンに強制収容所を作り1945年までに16ヶ所で100万人殺戮された。
赤いレンガで作られた建物がずらっと並んでいる。それぞれの入り口には番号が書かれ、最初は歴史や地図や写真が展示されている部屋へ。
我々のメンバーの女性が他の話をしながらケラケラと笑い声が聞こえた途端「この中では絶対に笑い声を立てないで下さい」と厳しい口調でガイドさんに叱責され、身が引き締まる思いだった。
ドイツ・ナチス党のアーリア人至上主義、そして反共・反ユダヤ主義により、周辺国から連行、遠い所ではノルウエーからも連行されている。
写真では列車から降りた人々から荷物を取り上げ、軍服を着た医者から見て働ける人間と、働けない人間の選別を、軍医の一指し指ひとつで、左右の列に分けられて行く様子が写っている。
次の部屋ではガス室の様子が模型で作られている。

次に別の建物第5ブロックに入った。真ん中に廊下がまっすぐ。その両側に囚人の部屋、地べたにワラを敷いた部屋、
洗面所のような細い溝があるだけで蛇口が少しだけ。
次のブロックは廊下の両側の壁に、囚人服姿の顔写真が、右が女性で左が男性で比較的若い感じ。
次に見たのは、縦横g3m位の大きなショウウインドウに古ぼけた靴・靴・靴。没収された大人から子ども用までの夥しい数。
次の部屋ではめがね・丸いめがね・・・次のウインドウは2度と帰れない旅行かばんの山。



どの鞄にも名前と住所が書かれるのをみるのが辛い。突然目の前に、金髪や赤髪の山積みのガラスケースに衝撃を受ける。
写真は撮らないでとのひと言にうなづいてしまう。何とこれで絨毯や衣類を作るというではないか。
信じられないむごさに胸が詰まる。男も女も丸裸・丸坊主にしてしまうという狂人的な行為に怒りを感じる。
つぎのガラスケースは食器缶やら歯磨き粉の缶で、ガイドさんの説明では強制収容所で行われている状況を小さな紙に書き使用済みの歯磨き粉の空き缶に入れてゴミとして外に出して、
それを見つけて周りの人々に知らせる新聞を作るという地下組織があったという。


















いよいよ、大きな煙突のあるガス室へ。暗くて狭い。1uに5人づつ立たせて「シャワーが出ます」などと言って天井から毒ガスが・・・。
その死体は隣の部屋へ焼却炉が並んでいた。部屋を出ると明るい青空、ガイドさんは「2度とあってはいけないことです。
傍観者ではいけない」と説明。本当にその通り。ヒトラーを党首とするナチス党の狂人じみた行動に怒りがこみ上げる。
ここから2km近く離れた「ビルケナウ収容所」へバスで移動。列車のレールが続き、入り口には引き込み線が長く続いている。
アンネ・フランクもアウシュビッツから、このビルケナウへ連れて来られたとのこと。ここは特に殺す目的で作られたという。
最初のレンガのブロックでは、簡単な木の板張りベッドが3段づつあり、その細い狭い場所に(ベッドなどとは言えない)2人づつ寝かされる。
1日に1回固い黒パン少しとコヒー色した茶色い水少しだけなので、誰もが痩せてガリガリ状態だから可能なんだと納得する。
次のブロックで目にしたのは部屋の真ん中に一定の高さで細い土手のような形に丸い穴がいくつも空いている。
何とトイレだというではないか!左右には木枠だけのベッド。
あまりの残酷さに、これでは人間ではなく、まるで家畜小屋扱い。もう目を覆いたくなる。
今まで本で読んだこともあったが、実際に自分の目で見ると強く実感し衝撃的だった。
ポーランドでの最後の食事の時に添乗員さんが「もうポーランドズロチは使えませんので」の一言で、2〜3軒隣に食べ物など売る店があり、みんな小銭を持って「これだけで、何か買えるもの」という感じで各々チョコレートや飴やお菓子を買う。
夫はワインを私はチョコレートを買った。もう一度、チェコへ向かう。南部のブルノで1泊。
途中、世界遺産の32mの高さの聖三位一体の碑のあるオロモウツ観光。16世紀に栄えた。



7日目 朝、ホテルの周辺を散歩。通勤など市電が多く走っている。
ガソリンスタンドを見つけ、リプトンのアイスティのペットボトルを買う。(26コルナ=130円)今回の旅ではトイレタイムなども含めよくガソリンスタンドを利用した。
日本のコンビニの役割という感じがした。今日の出発は9時。131km走ってスロバキアの首都プラチスバヤに到着。







小さな日本の国旗を持った現地ガイドさんが、バスを迎えてくれて「ワタシハ○○トモウシマス」と日本語で挨拶。
今日9月1日は独立記念日で休日とのこと。まず「ブラチスラバ城」へ。
18世紀の建築。屋根が四角いテーブルを逆さまにしたような形。4隅に赤い塔がある。ドナウ川を見下ろす風光明媚な高台。
歩いて新市街と旧市街を隔てるミハエル門をくぐり、ベートーベンやモーツアルト・リストが演奏会を行なったという、建物がそのまま残されている音楽通り。
聖マルティン教会では、王制時代の戴冠式が行なわれたそうで、石畳の道には戴冠式で通るという印の金色の王冠マークが3m間隔で埋め込まれている。
最後に行なわれた戴冠式は1830年とのこと。昼食はオムレツのようなお好み焼きの2つ折りで中味はサーモンと鶏肉という郷土料理が美味しかった。
路面電車のことを「ちんちん電車に気をつけてクダサイ」などと言う楽しいガイドさんとはここでお別れ。
194km先のハンガリーの首都ブダベストへ向かう。制限速度100km高速道路が郊外になると高速道路の左右にまた大きな風車・風車が続く。
スロバキア側にも相当あり、チェコに入ってもずっと続く。風通しのよい平地に設置され、相当量の電力がまかなわれることと思われる。
福島原発で大きな被害があったばかりなので、日本人ツアーはみんな関心を隠せない。
行けども行けども風車の数が数え切れないくらいで圧倒される。
いよいよ最後の訪問国ハンガリーへ。今日から2連泊のホテルはヒルトン ウエスト。ブダベスト西駅の隣。
8日目 今日も気温が25度くらいの爽やかな晴天。現地ガイドは日本語の達者なバラージュさん。
午前は4時間徒歩での市内観光。まず13世紀建築の王宮へ。修復工事中で11年前に入った王宮内のミュウシャのステンドガラスが美しい教会には入れない。
王宮の丘を囲む城壁の一部に「漁夫の砦」。昔は下で魚市場が開かれていた。7つの円塔と回廊かがあり、ドナウ川対岸のペストをブダ側から見渡せる絶好の場所。
やはり13世紀のマーチャーシュー教会の美しさは目を瞠る。ガイドさんの「ハイ、順番にカメラ撮りますよ」の声に並んで撮って頂く。
べストポジョンでは必ず声がかかり助かる。19世紀建築の聖イシュトバーン大聖堂では入り口いある箱に気持ちだけの小銭を入れ入場。
直径22m高さが96mという大きなドームが特徴。パイプオルガンも立派な豪華な造り、彫刻が素晴らしい。
19世紀に建てられた国会議事堂は外から見るだけだったが豪華な建築で、ドナウ河岸で最も目立つ。
昼食は中華。旅行中、ポテトが主食の感じだったので久し振りのアジア人向きの昼食で美味しかった。
午後はオプショナルのツアーなので我々夫婦は2度目のハンガリーだし自由行動とした。
夫はお土産に買ったトカイワインを開けて、のんびりホテルで過ごしてから3時半から2人で外出してみた。
ブダベスト西駅からドナウ川を目指して歩いていると「350フォリントショップ」日本でいう100円ショップなるもののようだ。
でも換算すると175円になる。私はまず今回持参した口紅が薄い色なのが気に入らず、濃い目のを1本選んだ。
生活用品が多く特に必要な物も無く(お土産屋ではない)、また西に向かって歩く。
夫のコレクションのアンティック・ナイフを売ってそうな骨董品の店を見つけ数軒覗いて見たが、高価で全く手が出ない。
ドナウ河の東岸に沿って少し歩くともう豪華な国会議事堂が見えてくる。
写真撮影して満足。ホテルへ戻ると午後5時過ぎ。楽しいひとときだった。
温泉施設のあるのが有名で、自由行動で出かけた方もおられたが、我々は前回経験しているのでパスした。
夕食はお魚のムニエルを頂く。夕食後のオプショナルツアーはドナウ河クルーズ、11年前にも参加しているのでパスしてホテルへ帰る途中、
くさり橋などのライトアップがとても美しかった。









9日目 9月3日(土)夕方から帰国に向かう日。荷造りも済ませて午前は西洋美術館と中央市場のオプショナル観光へ。
まず英雄広場でハンガリー建国の8人の武将など14人の英雄像前で記念写真。西洋美術館内は許可証の無いカメラを厳しく監視される。
美術の授業で習った有名な画家の絵が沢山展示されていて見応えがあった。
初めて行く中央市場は2階建てで広くて、活気にあふれていた。ハンガリーのお菓子をとガイドの勧めで、ついロールケーキというかパンのような物を2本も買ってしまった。
あとパプリカの粉とかお土産にと勧められたが、夫がアンティックナイフをと2階まで行き、トランプに今はまっている孫娘にトランプを買う。
あっという間に自由時間も終了。ホテルへ戻り空港に向かい出発。途中、昼食にパプリカチキンを頂く。
舞台ではバイオリン・コントラバス・ピアノで音楽を演奏してくれて、日本人向けには「さくら」や「上を向いて歩こう」を、ドイツ人のツアーには
別の曲をとチップを目的に舞台から降りて演奏する。
空港到着後は急いで荷物を預けたり、座席を確保する。16:00ブタベスト出発の飛行機で
ブカレスト(ルーマニア)経由、ドーハ経由、関空に向け帰国の途についた。
帰りの飛行時間はドーハまで6時間強、ドーハから関空まで9時間50分、時差は7時間。
無事帰国。
(記述日2011.9.16)
(掲載日2011.12.14)
終わり
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