8.ポルトガルの首都リスボン(2003.1.23)








8.ポルトガルの首都リスボン(2003.1.23)


今日1月23日(木)は専用バスで一日中リスボン市内観光だ。今日の現地ガイドはガイドブックの執筆者でもある堀愉実子さん。
ここリスボンは10日程前、1959年以来の大寒波があったらしい。雪を初めて見た人も多く、興奮したらしい。

日本とポルトガルは大変密接な関係がある。鉄砲伝来だけではない。
日本には無かった西洋文化をポルトガルから取り入れた。印刷術。外科医学。羅針盤他。ポルトガル語を語源とする日本語は数多くある。パンやカステラは聞いたことがあるが、辛い時の「ピリピリ」・オンブ・サラダ・ベランダ・タバコ・ブランコ・キャラメル等々。

ロカ岬







今日は最高の良い天気。空が真っ青だ。
まずユーラシア大陸の最先端「ロカ岬」へ行く。長閑な村々を過ぎ、広々とした草原の突端が高さ140mの断崖となって大西洋に落ち込んでいる。そこが「ロカ岬」だった。
記念碑と二人







「ここに地尽き、海始まる」が刻まれた記念碑が建っていた。私はまだ読んでいなかったが、宮本輝の同名のロマンスとサスペンスの 小説があるらしい。

ユーラシア大陸の最西端で







この断崖の上に立って西を眺めれば、白く波立つ大海原の向うに大西洋の荒波を越えてアメリカのニューヨークがあると思うと感無量だった。この辺の緯度は38.7°、日本で言えば仙台あたりか。暖流のせいか暖かい。

大西洋







このヨーロッパ最西端に来たことをシントラ市が証明してくれた。私達の名前を記して10ユーロだった。

シントラ王宮







今ポルトガルには100人足らずの日本人が住んで居るとのこと。その人たちにアンケートで何故住んでいるか尋ねれば、次の4つの返事があったとのこと。

シントラ王宮







1.食事が口に合う。(米の消費が日本とほぼ同じく27kg/年・人、ヨーロッパで1位、2位のイタリは7kg、魚(鰯)料理が多い)
2.気候が良い。(全般に冬暖かく、夏涼しい典型的な海洋性気候)
3.物価が安い。(ヨーロッパではギリシアに次いで安い)
4.治安が良い。(犯罪発生率が低い。スペインとは桁が違う。)

王宮内部(タイルが綺麗)







現在リタイアした日本人の年金生活者が18カップルいるそうな。羨ましい。

町並み







次にイギリスの詩人バイロンが「エデンの園」と賞賛した、緑の木々にしっとりと覆われた山間に広がる町。シントラ。おとぎの国のような可憐さと優美な風情を持っていた。ここは「シントラの文化的景観」で(世界遺産ー6)だ。
ジェロニモス修道院







二つのトンガリ帽子が目印のシントラ王宮は鬱蒼と繁る緑に包まれている。
自由時間皆は買い物に走ったが、妻と私は王宮見学とした。一人3ユーロだった。内部は豪華な装飾が施され、特に「アスレージョ」と呼ばれるアラブ風装飾タイルが見事だった。又、「白鳥の間」ハムデハル様式で造られ、天井には27羽の白鳥が描かれていた。

ジェロニモス修道院







昼食前に「ジェロニモス修道院」を見学することになった。本日のメインエベントで(世界遺産ー7)だ。
マリアのステンドグラス







テージョ川に面したインペリオ公園前に立つ、壮麗なゴシック風大建築。この修道院はバスコ・ダ・ガマの海外遠征で得た巨万の富を費やして建てられた。胡椒修道院と呼ばれる所以だ。修道院というより大きな王宮みたいだ。ステンドグラスのマリア像に太陽が当たり輝いていた。世界の征服した国の各人種の顔が柱に彫刻されていた。多分彼らのかなりの人々は、奴隷としてポルトガルに連れてこられたのだろう。当時のポルトガルは全世界の半分を所有していたとのこと。

ポルトガルの国民的詩人ルイド・カモンエスの石棺







この修道院の最大の見どころは、1辺55mの正方形の回廊に囲まれた中庭だった。石灰岩を使った回廊の柱に施された緻密な彫刻は、彼らが征服した地域の植物や怪獣・東洋の産物等自らの成果を堂々と示していた。それはポルトガルにとっては、繁栄の輝けるモニュメントであろうが、理由無くして富を奪われ、殺され、奴隷にされ遂には国を滅ぼされた人々にとっては、何と映るであろうか。

中庭







南門の上部には、エンリケ航海王子の、内部にはバスコ・ダ・ガマの石棺とポルトガルの国民的詩人ルイド・カモンエスの石棺があった。この二人の功績無くして、この修道院が建てられなかったことを如実に示している。

回廊にて







400年前、日本から4人の少年がここリスボンに来た。長崎の大村から旅立った彼らは、マカオ・マラッカ・ゴアを通り、1584年にリスボンに着いた。先ほど廻ったシントラも昨日のエヴォラも訪問したらしい。
修道院前にて







スペイン・イタリアにも行き、ローマ法王にも拝謁し、歓待され、リスボンに戻って日本に帰った。
私達は13日間の旅だが、彼らは8年半かかった。

ベレンの塔(大西洋を横断した飛行機)







やっと辿り着いた日本は、織田信長から秀吉の時代になっており、キリスト教弾圧の時代になっていた。
4人の内一人はマカオに逃げ、一人は病死し、一人は仏教徒になり、中村・ジュリアンのみが3日間にわたる過酷な拷問に屈せず殉死したとのこと。

ベレンの塔前で







修道院の向かいに、「発見記念碑」があった。バスコ・ダ・ガマがインド航路へと旅立った場所に、1960年エンリケ航海王子の没後500年を記念して建てられたもの。広場では色々な土産物が売っていた。

発見の記念碑







リスボン港を守る要塞として建てられた「ベレンの塔」も見学した。

サンタジュスターのエレベーター







市内観光し、ロシオ広場で解散。自由時間となったので、サンタジュスターのエレベーターに乗るべく行ったが、時間の都合で乗れなかった。二人で周りを散策する。

リスボン港







ホテルに戻り、近所のスーパーを覗く。缶ビール6本で3ユーロだった。日本円で1本70円ぐらいか。
部屋に戻り、昨日のソーセージをあてにビール2本飲んだ。

カフェ(殆どがケーキ)







今日は早めに就寝する。








(記述日:2003.2.8)
(掲載日:2003.2.8)


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