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ルーマニア1







私たちの2014年の海外旅行は、いつものように阪急交通社トラピックスの「ブルガリア・ルーマニア周遊8日間」の旅となった。
昨年はアフリカのモロッコだったので、今年は妻が希望するヨーロッパとなり、東欧のブルガリア・ルーマニアとなった。
ルーマニアは今問題となっているウクライナの南側で国境を接している国だが、両国とも2007年にEUに加盟しており安全と考えた。
ただ日本からの直行便はなく、カタール航空でドーハ乗り継ぎブカレスト経由のブルガリア首都のソフィアへと向かった。


2014年6月10日(火)、 午後7時ごろ息子家族と学研北生駒駅で落ち合い、我が愛車ホンダCRVを息子に預け、私たちは関西国際空港に向かった。息子家族は我が家で宿泊。
21:05集合、出発はカタール航空0803便23:05発だった。
トラピックスの添乗員は男性の小森さん。総勢19名で4組の夫婦で、男性4名、女性15名だった。
ブルガリアのバラ祭りとの関係で女性が多かったかも。
関西空港で日本円をEUのユーロに変換。レイトは1ユーロ142.31円だった。
関西空港からドーハまで飛行時間は10時間45分、ドーハからブカレスト経由でソフィアまで7時間05分。
ドーハで4時間20分の乗り換え時間。飛行機は満員で寝不足もあり疲れた。


2014年6月11日(水) 時差は6時間であるが、ブルガリアの首都ソフィアに着いたのは翌日11日午後の15:15であった。
到着後ユーロをブルガリアの通貨Lev(レフ)に替えた。1ユーロは1.65Levaだった。
ブルガニアには、ヨーロッパでありながらアジアの雰囲気が漂う。
中央アジアにいた遊牧民のブルガール人とスラブ人を祖先にもち、オスマン朝には14世紀後半から約500年間支配された。
異文化が混在した独特の雰囲気にはこうした歴史的背景が影響しているようだ。
ヨーグルトとバラ祭りが有名だ。
女性ガイドと落ち合い専用バスでソフィア市内観光(約2時間)となった。
女性ガイドは熱心な人でブルガリア語でガイドの小森さんに説明し、小森さんがその説明を訳してくれた。
ソフィアはブルガリアの首都で人口約149万人、標高550mの高原都市だった。
ソフィア・ヴラジデヴナ国際空港からソフィア中心地に向かい、バスを降りて市街地中心部を約2時間案内してくれた。
ソフィア像






















道路の真ん中に建っている街の名前の由来になったソフィア像が良く見えた。
セルディカの遺跡






















まず地下道から、屋根だけを地表に突き出している半地下式の”聖ペトカ地下教会”を見学。
イスラム全盛の世にあってこのような形に採らざるをえなっかたのであろう。
近くに古代の城砦都市セルディカの遺跡があった。
そばの大型デパート”ツム”でトイレを借りた。無料だった。ブルガリア・ルーマニアともトイレのチップは殆どいらなかった。
聖ペトカ地下教会






















大統領官邸前で






















大統領官邸前で衛兵の交代式を見学した。屈強な若い兵士が規律良く歩く姿はそれなりに様になっていた。 ここで二人の婦人が居ないことに気がついて、小森さんが探しに行った。
小森さんの携帯番号と参加者の携帯番号を確認しておくべきだった。
後ほど私達夫婦が迷った時に役立った。
衛兵の交代式






















市内のバス






















アレクサンダル・ネフスキー寺院






















そこからブルガリア正教”聖ネデリァ教会”や4世紀にローマ帝国によって建設された”聖ゲオルギ教会”を見学した。
6世紀に、ユステニアヌス帝が建てた教会”ソフィア教会”。
首都ソフィアの名はここに由来する。
すぐ横に5000人を収容する、ブルガリア最大で最も美しいといわれる寺院”アレクサンダル・ネフスキー寺院”を見学。
高さ60mの金色のドームをはじめ12のドームからなるネオ・ビザンツ様式の豪華な建物だった。
内部はメノウ、大理石をんふんだんに使った精巧なモザイクが壁を覆う壁画。巨大なシャンデリア。
アレクサンダル・ネフスキー寺院






















公園の片隅に日本から贈られた桜の樹木が






















公園の片隅に日本から贈られた桜の樹木が数本植わっていた。























街角






















寝不足で疲れて市内見物2時間はきつかった。
市街






















ホテルは中心より北側の”ソフィア中央駅のすぐ側だった。
ホテルラマダ、プリンセス・ソフィア






















ホテルラマダといわれているが、旧名は、”プリンセス・ソフィア”で有名だった。
夕食はホテルのレストランでブルガリア料理を食べた。ブルガリアビールは安くて美味しかった。





2014年6月12日(木)、 ソフィア中央駅






















ホテルでバイキングの朝食後、ソフィア中央駅まで歩いた。
この付近は治安が悪く、同行の医者である老夫婦は「お金をくれ!」と言われたそうな。
私達夫婦と違って高価な服装が金持ちと見られたみたいだ。
街角






















本日はリラ観光日だ。
  ボヤナ教会






















ボヤナ教会はヴィトシャ山の麓に建つ、その見事なフレスコ画で世界的に有名な教会だ。
内部の壁面を飾る1259年製作のフレスコ画は、ユネスコの世界遺産に登録されている。
とりわけ「最後の晩餐」はイエスや十二使途の表情が生き生きされている傑作だった。
教会内部は殆どの場合写真やビデオは禁止だった。ここではビデオで20Lv(約1600円)だった。
短時間の割りに高く、以後旅行中教会内の写真やビデオは原則として申し込まなかった。
ボヤナ教会






















ソフィアからリラへは約135km。途中にコウノトリの住み着いている村があった。
コウノトリの巣






















リラへの道筋






















途中のレストランでの昼食は、この地方名物のマス料理だった。この付近のリラ川で採れたそうな。
リラ川で採れた名物のマス料理






















リラの僧院






















リラ山脈の奥深くにひっそりとリラの僧院はあった。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。
僧院のなかのフレスコ画は極彩色で立派としかいいようが無かった。僧院の建物は1983年に世界遺産に登録された。
聖母誕生教会、フレリョノ塔も巣晴らしかった。
リラの僧院






















リラの僧院






















リラの僧院






















リラの僧院






















レストラン






















カヴァルマ料理






















旧体制時代のアパート






















観光後ソフィアに戻り、連泊ホテルのレストランで名物煮込みのカヴァルマ料理の夕食を摂った。
食後、ホテル内にプールやサウナがあると旅行書に書いてあったので探検した。
プールには数名の白人客が泳いでいた。私も少し泳ぎ、サウナを覗いた。
サウナは気持ちよかったが回りは白人の男や女性ばかりで、東洋人は私だけでなんとなく居ずらく、そうそうにに引き上げた。
料金は約1000円ぐらいだったが、マッサージは1万円ぐらいで高く遠慮した。


2014年6月13日(金) 本日は朝早く専用バスでバラの谷の中心地カザンラクへ向かう。























行程は約223km。途中2回ほどのトイレ休憩。























バラの畑






















バラの畑






















カザンラクとはバラを加工する際に使う「銅の釜」のことで、バラ産業の中心地だ。
1週間前にこのカザンラクでバラ祭り「ブラスニク・ナ・ロザタ」があった。大層な賑わいだったそうだ。
カザンラクに近づくにつれ、皆は窓の外を眺めるが、バラの姿はどこにもない。
ガイドはバラの畑に連れてくれたが、咲き残った数本のバラがあるだけだった。皆は失望した。
バラの専門店






















バラの専門店






















ブルガリアはバラ祭りで有名で、それ目当ての観光客が日本からもこの時期に訪れるのに、何故何箇所かの畑を残しておかないのか。
バラ博物館も見学したが、ありきたりの博物館だった。
専門店に案内され、バラの香水や石鹸等を土産に買っていたが、私は試飲したバラのワインが美味しかったので自分用に1本だけ買った。
トラキア人の墳墓






















近くに世界遺産に登録されている「トラキア人の墳墓」があった。
紀元前3世紀頃のフレスコ画が描かれておりそれなりに素晴らしかった。
トラキア人の墳墓













































昼食は何時ものように美味しかった。 レストランの庭に咲いていたいろいろなバラは美しく、やっとここがカザンラクであると感じた。
昼食のレストラン






















昼食後、200年もの間首都として栄えたヴェリコタルノボへ行く。
森に包まれたいくつもの丘。周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖。自然と中世が溶け合ったような街だった。





































































まず最初にツァレヴェッツの丘を見学する。
頂上に教会がある丘だ。ここからの市街の眺めは抜群だった。
途中で面白い野外劇があり、日本語で説明していた。私は路上の皿に少しの小銭を入れ感謝の気持ちを伝えた。




























































































旧市街はいろいろな店屋があり、面白かった。
私は小さな骨董品屋を見つけ、銅製の粉引き器具や3本の民族小刀を買った。
直射日光が暑く、コーラーを買って飲んだ。
街中の建物に造られた年代が壁に書かれていた。




























































































夕食はブルガリア風ハンバーグ「キョフテ」で、デザートは本場のヨーグルトだった。



















































































































ホテルは「インターホテルベリコタルノボ」。
















































2014年6月14日(土)、
本日は国境のドナウ河を超え、ルーマニアの首都ブカレストへ向かう。





































































国境の街ルセでバウルガリアのバスからルーマニアのバスに乗り換える。
ルーマニアの女性ガイドは若く美人だった。





(記述日2014.10.16 )

ルーマニア2に続く。
 







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