相模湖の石老山(1996.3.23)






( 曇り後晴れ 東京)

相模湖の南に位置する石老山は、千年昔の伝説が残る信仰の山である。
6時20分に家を出て、南千住より新宿経由で中央線の相模湖駅迄行く。バスで石老山入口へ行き、8時30分登りだす。
山里は春うららという感じ、今年初めての鶯の「ホーホケキョーホケキョ」を聞く。
杉木立のなかに苔むした石段が続く。両側には名前のつけられた巨岩がいくつも現れる。
きさいちや筑波山で見た巨岩よりずっと大きい。

顕鏡寺に着く。境内には樹齢約400年のイチョウや蛇木杉と呼ばれる老木があり、歴史の古さを物語る。
奥の院からは、なだらかな歩きやすい道となる。途中の融合見晴台から眼下に相模湖が望めた。
2時間足らずで石老山の頂上に着いた。
雑木林の梢から聞きなれない「がーがー」という音がする。先着のおじさんは何かキツツキのようだという。
双眼鏡を取り出して覗いたがさっぱり分からない。そのうち逃げてしまった。モズぐらいの大きさだったらしい。
新宿で買った幕の内弁当を食べる。

頂上からの展望は素晴らしい。南西方向に丹沢山塊が迫っている。南から大山、丹沢山、蛭ケ岳、焼山、秀殻山と続き,大室山が大きく聳え立っている。晴れていれば、その右に富士山が見えるらしい。
バスで一緒だった中高年グループが遅れて到着した。喧しいが楽しそうだ。私にコピーした展望図を呉れた。現物と比較して良く分かった。

中年(?)の奇麗な感じのいい女性2人がやって来た。かなり山を歩いているみたいだ。「お先にーーーーー」と出発する。
山道を降りながら「あの人達は奥さんかな?それとも独身?」と考える。急な坂道のためつまずきそうになる。

大明神展望台では、相模湖が青くはっきりと見え、その向こうにこの前歩いた高尾山,景信山、陣馬山がくっきりと確認出来た。双眼鏡で陣馬山のこの前ビールを飲んだベンチまではっきり見えた。あの長い稜線を歩いたのかと思うと感無量である。

ゴロゴロした岩のある樹林を下って、鼠坂の関所跡に着く。まだ時間は12時半だ。相模湖を船で横断する事にする。
湖畔に着けば、船はむこうに浮かんでいる。ドラム缶を叩いて船頭さんを呼ぶ。2人になれば出航だが、あと1人がなかなかやってこない。急ぐ旅でもなし、待つ事にする。船頭さんと四方屋話をする。関東大震災の年に生まれたと言ってるから、74-75才ぐらいだ。まだまだ元気がいい。

この相模湖は戦中に造った人造湖らしい。昔の山や谷の事を懐かしく話して呉れた。湖の回りの山を安く買って、桧の植林をしているらしい。山の木は根っこを伸ばして、山崩れを防ぐ。だから遺言で木を伐採しないようにいうつもりだそうだ。
小学校の時に植えた桧がもうこんなに大きくなったと嬉しそうだ。
桟橋のすぐ側の水面に小魚が群れていた。聞くとヤマベと言う。生まれた場所を覚えていて、海から相模川を遡って此処へ来るそうだ。人間もこの年になったら,皆故郷に戻って来る。魚と同じだ。

30分経ったが誰も来ない。しかたなく1人で出航だ。湖の中央で、陣馬山の奥の大きな山の名前を聞いたが分からないと言う。
帰って調べたら、年末に登った東京で1番高い山ー雲取山だった。
相模湖畔の清水亭でわかさぎのてんぷらを肴にビールを1本飲んで帰った。


終わり

(記述日:1996.3.23)
(掲載日:2003.1.19)






「登山とハイキング」ページに戻る