台湾旅行




台湾は中国の一部であると思う。しかし1945年の太平洋戦争の終結(日本の無条件降伏)によって、50年間の日本統治が終わり、国共内戦を経て蒋介石等が台湾を実質治めてきたのも事実である。
私は二十歳頃沖縄の八重山群島を旅したことがあるが、そこは台湾のすぐ近くだった。しかし当時日本と中国の国交が回復されていなく、まして沖縄もアメリカの占領下にあった。
私の周りにも台湾で幼年期を過ごした人が居る。これまで多数の国を旅したが、近くて遠い国「台湾」にはどうしてか足を向けなかった。
朝鮮の「韓国」もそうだった。
あまりにも身近すぎて海外旅行という感じがしなかったのか。日本の統治時代に植民地化したことの「後ろめたさ」があったのか。
最近私は頻繁に中国に旅する。日本の文化は中国から朝鮮を経て強く影響を受けている。日本文化のルーツは中国・朝鮮であろうことは間違いない。
やはり一度は実際にその地に足を踏まないと、その国が分からない。短期間4日間の旅であると体調が悪く気の進まない妻を無理やり誘った。

2007年12月17日(月)、阪急トラピックスの「心奪われる島台湾4日間」に集合したのは私たち夫婦以外に二組の夫婦だけだった。
日航系の「日本アジア航空」にて10:30に関西国際空港出発。台湾は日本との時差1時間。約3時間飛んで、現地時間12:45に台北空港着。
日本からの添乗員は居なく、台北の空港で現地ガイド「ワン」さんと初対面。
台湾中央部の奇岩













台南の夕日













そこから小型専用バスで高速を通って、台湾南部の「高雄」まで直行。約320kmを途中2回の休憩で高雄に夕方着いた。
高速は片道3車線あり、広々とした感じだった。大陸反攻を目指す蒋介石が軍事用に造ったものらしい。料金所はバリケードの役割を担っていたとガイドさんの話。
途中に奇岩が連続している場所通過。台南付近では夕日が鮮やかだった。
高雄についてまず夕食。台湾料理は美味しかった。中華テーブルでの食事は年配の私たちには量が多く、以後たいてい料理を余した。
台湾ビールは中瓶ビールで約30元。日本円で約120円だった。以降昼から食事ごとに台湾ビールを飲み続けた。
食後ホテル「華王大飯店」にチェックイン。一風呂浴びて、オプションツアーの夜市見学と、「愛河」のクルーズ。
高雄の「六合国際観光夜市」













高雄で最も有名な「六合国際観光夜市」を見学。人間以外何でも揃うという説明だったが、食べ物関係の店が多く、骨董品や道具関係の店は殆ど無かった。私はロンドンのポートベルやカシュガルのバザールの賑わいを想像していたが期待外れだった。
ただ食べ物か観賞用か分らない蛇や様々の爬虫類、子豚等が軒先に売られていた。人ごみだけは凄い喧騒だった。
「愛河」クルーズ













高雄市内を流れ、高雄港に流入している「愛河」は、日本統治期に運河として開拓され「高雄運河」と呼ばれていたらしい。
台湾を旅して感じたことは、日本統治期のインフラ整備や建物が今でも現役として使われていることだった。
小型船舶でのクルーズはライトアップされた夜景が美しかった。
ホテルの設備は最高に良かった。台湾の経済力を感じた。
ホテル「華王大飯店」













12月18日(火)、今日の予定は高雄市内観光と、台湾八景のひとつ「日月潭」観光だ。
寿山公園の「忠烈祠」













朝、ホテルでのバイキング朝食後、寿山公園に行った。寿山は海抜365mの珊瑚製石灰岩の山。石灰が豊富に取れるため、日本統治時代から付近にはセメント工場が多かった。現在はそれらの残存物が残っているだけだった。山の中腹に「忠烈祠」があった。そこからの港の眺めは素晴らしかった。
「左営蓮池譚」













次に龍虎塔を通れば罪が浄化されるという「左営蓮池譚」見学。龍と虎の内部には仏教説話の壁画が描かれていた。私たちも台湾人と同じように龍の口から入って虎から出た。台湾人は龍が最もよい動物で、虎は最も悪い動物と信じてるみたいだ。
澄清湖は綺麗に整備された静かな103ヘクタールの人造湖だった。
澄清湖













台湾にて感じたことはどの街角も綺麗に清掃されていることだった。日本のように空き缶やペットボトル、タバコの吸殻やゴミ類が全然無い。街中の至る所で緑の制服の箒を持って掃いているおばさんに出会った。
ゴミ箱













澄清湖には「海洋奇珍園」があった。これは1959年に中国の核攻撃を恐れた蒋介石が造った核シェルターの一部をそのまま利用した水族館。
大きな水槽にはアマゾンのピラクスが4匹も悠々と泳いでいた。
昼前に総合民芸品店に案内された。色々な民芸品があったが興味あるものは無かった。お向かいのSさんから頼まれていた「士林刀」は置いてなかった。
いつも思うことだが、このような民芸店や免税店に連れて行かれるのは苦痛以外のなにものでもない。庶民的なバザール等の冷やかしは良いが、旅行会社が契約しバックマージンを取っているような店は時間の無駄だ。
昼から台湾中部の日月譚まで行くのだから、早めに切り上げて欲しかった。
昼食は「中信大飯店ホテル」内で飲茶だった。普通の台湾料理と変わらなかった。
台中の南東約40kmに日月譚はある。ここは原住民族のサオ族の文化でも知られている。
途中の高速の車窓から両側の山に植えられた椰子の木に似た「擯榔」が多数見かけられた。
この「擯榔」は一種の麻薬で、石灰と混ぜて嗜めば幻覚症状が現れ気分が良くなるという。
村人たちはアルバイトとしてこの木を植え続けたらしい。
しかし今は大量に出回った為、値が暴落しているとのこと。しかしこの「擯榔」を飲み続けたら、歯がぼろぼろになり、数年で癌になるとも言われているらしい。
日月譚













文武廟













日月潭には夕刻に着いた。湖は霧が懸かっており、幻想的な風景だった。
文武廟に拝観する。ガイドの王さんが、台湾式のお参りの仕方を懇切丁寧に教えてくれた。
土産物屋で士林刀のことを尋ねたが、持ってきたのは現代風のおもちゃの刀だった。
この日月潭の北側に「霧社」がある。海抜1148m、周囲を3000m級の高い峰に囲まれた高山の村。
日本統治下の台湾で起きた原住民族による最後にして最大の抗日蜂起事件の起きた土地だ。首謀者の妹は駐在の警官に弄ばれたことが事件の発端だとか。詳しいことは分らない。
日本は台湾を統治する為に、各村に警官を配置した。その警官は全ての権限を与えられていたらしい。
日本人は原住民を蛮族と呼び軽蔑していたが、戦争に協力させる為、高砂族と名称を改めた。
すっかり薄暗くなった道を、台中目指して走る。
途中の道路わきにネオンが光輝く小さな店が何軒も現れる。ガイドの王さんは、あれらは「擯榔」売りの店で、店には若い娘が一人おり「擯榔娘」というと教えてくれた。
車の窓から眺めれば、どの店先にも下着姿の娘の姿が見えた。昔、ドイツはハンブルグで見た「飾り窓」のようだった。
台中で広東料理を食べ、それから今夜の宿がある「新竹」まで飛ばした。本日の走行距離は約480km。
ホテルは「新竹中信大飯店」にて豪華な部屋だった。今日は疲れた。どこにも出かけることなく就寝した。

12月19日(水)、今日の予定は新竹から台北に戻り、直ぐにレトロな風情があふれる町「キュウフン」観光だ。その後は台北市内観光。
キュウフンは基隆(キールン)から南へ10kmの山間にある。もともと9戸しかない小さな集落で、交通が不便なため品物を補充する時に毎回9セットを買うのでキュウフンという名前がついたと言うらしい。
キュウフン「悲情城市」













金鉱跡の「8番坑口」













レトロムードの小路が縦横に走っており、土産物屋やレストランが軒を連ねていた。
日本統治の面影が最も良く残っている場所らしいが私には分らない。その小路の一角に映画「悲情城市」の撮影場所があった。若い娘さんが多く訪れていた。戦前・戦中の映画か内容は知らない。
昼食はカフェレストラン九戸茶屋で「キュウフン田舎料理」を食した。ここ九?には金が産出され、丁度日本統治の50年間採掘されたとのこと。
その金鉱跡の8番坑口の模型がレストランにあった。
小高い丘から基隆港が見渡された。この基隆港で戦時中に日本の有名な人が暗殺されたという記憶があるが誰だか思い出せない。
昼から故宮博物院を見学した。歴代中国皇帝のコレクションを収蔵する中国文化の殿堂。世界四大博物館のひとつと言われているが、時間の無かったせいかさほど感動しなかった。精密な工芸品が印象に残った。
台北の「忠烈祠」では衛兵の交代式を見学出来た。
衛兵の交代













ガイドの王さんにお願いして、士林名刀の専門店に案内してもらった。昔台湾に住んでいたSさんの思い出の小刀だそうだ。よく切れる独特の表情した小刀だが、子供が所有するには高すぎたらしい。
刃はダマスカス鋼で作られており独特の文様が浮かび上がる。握る部分は水牛の角がいいらしいが、店の親父は今は無いという。
20cm程の士林刀と15cmぐらいのそれを3丁買った。1丁はSさんの土産で、もう1丁は私のコレクション。 後1つは私の息子への贈り物にしょうかどうかまだ決めかねている。 20cmの士林刀は1丁2000元だった。 士林名刀の専門店













免税店で時間を取り、ホテル「六福客桟」でチェックインした後、2007年現在世界一高いビルである「TAIPEI101」に昇った。高さ508m。展望台からの夜景は美しかった。
ビルの内部に大きな重しがあった。なんでも650トンかという重量で強風に対する装置だそうだ。
夕食を食べた後、ホテル近郊を散策して寝た。
建物内部の「重し」













12月20日(木)、4日間の短い旅だった。今日は帰国日。
龍山寺













午前中は台北市内観光。まず、「龍山寺」。1738年に建立され、約270年の歴史がある台北で最も古い寺。境内は参拝客や観光客で熱気がした。女性の参拝客が多く、大概の人は寄付を多くしている金持ちの人らしい。
日本統治期に建築された「総統府」は現役だ。
総統府













蒋介石の「中正紀念堂」は名称を「台湾民主紀念館」に変更になった。今、台湾では蒋介石の評価見直しが進んでいる感じがした。
台湾人のガイドさんも蒋介石は台湾に来て、知識人8万人を殺害したと怒っていた。
自由広場













門に掲げられている看板も、数日前に「自由広場」と変更になった。本邦初公開の映像かも知れない。
「台湾民主紀念館」内部の展示は殆どが古いもので、蒋介石関係が多かった。
孫文関係もあり、それなりに興味深かった。
台湾民主記念館













孫文と蒋介石













台湾の台北は活気があり、特にモーターバイクは異常に多かった。
モーターバイク群













「TAIPEI101」のビルに代表されるように、台湾のエネルギーの凄さに驚いた旅だった。
非常に短い期間だったが、やはり現地に足を運んで良かったと思う。
台湾には富士山より高い山が二つもある。3952mの玉山だ。日本名は新高山。真珠湾攻撃の「新高山に登れ」という暗号で有名だ。 いずれチャンスがあれば登りたいものと思う。
台北市内













台北発14:30の飛行機で日本に帰ってきた。非常に短い旅だった。









(記述日2008.1.6)

(掲載日2007.1.8)



  終わり 









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