生駒高山の想定されるモリサン




高山町は生駒市北部にあり、北から傍示・庄田・大北・久保・宮方・芝の六つの村がある。 生駒谷の七森信仰とは別の形のモリサン信仰が多く見られる。村には幾つかの垣内があり、垣内祭祀型モリサンやムラ祭祀型モリサン、そして生駒谷の七森信仰とよく似たモリサンもある(特に傍示)。 個々のモリサンの詳細については、高田照世氏の「祖霊と精霊の祭場」、高山文化研究会の「ふるさと高山の歴史と文化」を参照されたい。 私なりの想定も入れて取りあえず高山のモリサンとして15ヶ所を列挙する。
この15ヶ所は今後の調査等によって増減することは大歓迎。




1. キリツギ地蔵(傍示)

次項目の「生駒谷の七森信仰と高山のキリツギ地蔵(2012.7.28)」参照。

私が高山のモリサンに興味を覚えたのはこの「キリツギ地蔵」だった。
「けいはんな風土記」(関西文化学術研究都市推進機構編、門脇禎二監修)では、「摩崖仏来迎院阿弥陀如来像」(室町後期)と紹介されている。
生駒市誌(X、293頁)では摩崖仏は「春日明神」であり、葬列はこの前を通らない風習になっていると記されている。
「生駒市石造遺物調査報告書」では、所在地は高山町傍示西谷墓地下で江戸時代の「摩崖一尊像」とされている。
「生駒市石造文化財生駒谷」(昭和52年1977)では、傍示地「地蔵摩崖切りつけ地蔵」と記されている。
色々な説があるが、最新の「摩崖一尊像」とすべきであろうが、私は地元の人たちの「キリツギ地蔵」と呼びたい。

キリツギ地蔵(2017,08,11)




































キリツギ地蔵詳細(2019,02,20)




































2. 塞神の杜(傍示)

生駒市高山町の傍示は元禄の終わりごろ、今の交野市傍示から移り住んだと言われている。 交野市傍示には没落した伊丹家が今もあり、今の生駒市傍示には伊丹家の子孫が住んでいなく色んな摩擦があったのかも知れない。 生駒市傍示のため、西傍示の氏神さんを盗んだ「さいめいさん」のお墓が河内と大和の境にあり、そこが西神の森と言われている。 高山八幡宮の山崎宮司(故人)は、西神の森を塞神の杜と表現している。
今はそこには何もなく、関電の東大阪線鉄塔34号があるのみ。 何か祠や墓石・地蔵等が傍示の天満神社(元は天満宮)に祀られているかも知れない。 天満神社北西の高台にある水神さまの板碑には「獅子神森」・「祭神森」・「水神森」の銘があり何か関連があるかも? 河内と大和の二つの傍示は今でも氏神は傍示の天満神社であり、墓は共通の西谷墓地。 生駒市高山町の傍示は、明治22年にやっと高山町傍示となったが、氏神が別なせいか今でも高山町の傍示とは認められていない感じをするのは私だけでしょうか。

塞神の杜(2021,04,12)




































3. くろんど竜神の森(傍示,私の仮名)

くろんど元池の中道からあみじょ池を通り、河内傍示からかいがけの道を通って河内へ行く古道の傍にあった。 くろんど池の源流地帯であり、大和傍示からは交野の獅子窟寺へ抜ける道筋でもあった。 獅子ヶ丘ハイマート内で、2002年に「友隣クリニック ライフサポート友隣」建設時に祠等が撤去された。 1985年にここに住み始めた頃には祠があり、微かな記憶では白蛇がいたようだ。 当時から傍示のムラや垣内が祭祀していた様子は感じられない。

くろんど竜神の森(2021,05,04)




































くろんど竜神の森の祠等が移転された可能性のある傍示の天満神社。
「獅子神森」はここ「くろんど竜神の森」、 そして「祭神森」は前項の「塞神の杜」と考えるのは私の空想。 では「水神森」は一体どこにあるのでしょう?

2022年2月15日、やっと河内傍示菅原神社の近くで「水神さん」に出会えました。 河内傍示の村人達はこの神社と「水神さん」を避けて葬式は遠回りするそうです。 (大和傍示の村人達がキリツギ地蔵を避けて遠回りするように)

板碑の「水神の森」は多分ここの「水神さん」だと想像しますが、 場所が河内の為、生駒高山のモリサンとは数えないように配慮します。

天満神社北西の高台にある水神さまの板碑(2016,01,31)




































河内傍示の水神さん(2022,02,15)




































4. 柳掛地蔵(庄田)

庄田ムラ255戸のムラ祭祀型森神で、五穀豊穣・雨乞・盆踊り。

柳掛地蔵(2015,07,19)




































現在は本願寺境内に祀られているが、元は庄田地区北東の地蔵山(柳掛)中腹に祀られていた。 往時、地蔵山は公共の所有でしたが、終戦直後民間に払い下げられ、お地蔵さんは青年団員によってリヤカーや大八車などで本願寺境内に運ばれたと伝えられている。

地蔵山山頂の祠
この祠は新しく、奉納札「高山新八十八個所第七拾六番」があった。(2021,05,04)




































5. 地蔵尊(大北)

大北ムラ80戸のムラ祭祀型森神で、無病息災。

地蔵尊(2018,03,20)




































6. 金毘羅社(大北)

東大門垣内47戸の垣内祭祀型森神で、五穀豊穣・雨乞。

金毘羅社(2021,05,04)




































金毘羅社は現在高山八幡宮に祀られているが、元々高谷集落の山中に祀られていた。 この写真は伊瀬街道の高谷から中村への峠の場所。 私の想像の場所。(2015,07,18)




































7. 和田の森(大北)

和田垣内の垣内祭祀型森神。

和田の森(2021,05,06)




































和田の森?(「高山新八十八ヶ所」を開いた久保新蔵翁碑側の祠) (2021,05,06)




































8. 延命地蔵(久保)

中村垣内80戸のムラ祭祀型森神で、延命祈願。

延命地蔵(2015,07,18)




































9. 二月堂(久保)

中村垣内80戸のムラ祭祀型森神で、五穀豊穣・雨乞・家内安全・無病息災・お百度。

二月堂(2021,05,06)




































10. 曽我の杜(久保)

切池垣内24戸の垣内祭祀型森神で、五穀豊穣・雨乞。

曽我の杜(2021,05,06)




































11. 久保のモリサン(久保)

出店東垣内11戸の垣内祭祀型森神で、五穀豊穣・雨乞。

久保のモリサン(2021,04,30)




































12. 行者堂(久保)

行者堂は1738年大峰さん参拝を記念して建立されたものであるが、写真横の祠はモリサンの祠のようである。

行者堂(2020,08,15)




































13. 杜山神社(宮方、モリサン)

宮方83戸のムラ祭祀型森神で、五穀豊穣・雨乞・家内安全・無病息災・合格祈願。

杜山神社(2012,07,24)




































14. 権現社(芝)

稲葉垣内27戸の垣内祭祀型森神で、五穀豊穣・家内安全・無病息災・歯痛止。

権現社(2019,02,25)




































15. ジョウさん(芝)

役の行者像と龍蛇神、山田垣内27戸の垣内祭祀型森神で、五穀豊穣・雨乞。

ジョウさん(2021,05,04)




































今は西光寺門前に祀られているが、元々は今の地より南東へ1KMの畑の片隅(四季の森公園西側)にあった。

ジョウさんの移転前(2021,05,04)













































この15ヶ所のモリサンの内、4柳掛地蔵、6金毘羅社、15ジョウさんの3 ヶ所は元の場所から移動されている。 一応私は15ヶ所のモリサンの現在地は確認しているが、元の場所については今後調査を行いたい。








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