トロイの木馬(2002.12.14)
2.トロイの木馬
着後直ぐに専用バスでチャナッカレへ向かう。
トルコはヨーロッパとアジアに跨っており、殆どがアジア(97%)だ。今日はヨーロッパ側をマルマラ海に沿って南下する。ひまわり畑が多い。この辺りはイスタンプール市民の別荘地だった。今はエーゲ海・地中海沿岸が多いそうだが。
途中のテキルダーで名物のラクというお酒を買う。1本540万TL(約430円) だった。
マルマラ海の西側にダーダネルス海峡があり、ヨーロッパとアジアが海峡を挟んでいる。
ヨーロッパ側のエシャットでエーゲ海を見ながらの初めての昼食。魚のトルコ料理は美味しかった。

お酒にラクを注文。ラクは別名「ライオンのミルク」と言い、アルコール度は70度とウオッカ並みの強さ。原材料はブドウ、それにアニスを加えて作られた酒だ。
添乗員の出口さんはラクが好きと言い、水で薄めて飲むと言う。
グラスに入れられたラクは透明な液体だ。それを水で割るとたちまち白く濁った。氷を少し入れてもらって甘い感じのお酒だった。少し癖はあり松ヤニのような感じ。

そこから約2kmのダーダネルス海峡をフェリーで渡った。デッキから眺める大陸は「ヨーロッパよさようなら、ようこそアジアへ」だった。

海峡の中心的都市であるチャナッカレはトロイ遺跡の基点だ。トロイへの道は両側オリーブ畑だ。トルコはスペイン・イタリア・ギリシアと同じくオリーブの産地だ。油だけでなく食用にも使っている。今は収穫時期か時々数人で実を集めていた。

あのホメロスの叙事詩「イーリアス」のトロイ戦争のトロイ。そこがトルコにあるとは知らなかった。今回の旅はトルコの再発見と驚き・感動の連続だった。ドイツ人シュリーマンの発掘物語。
トロイの地に集落が出来始めたのは紀元前3000年頃。それ以来トロイは9層にわたる都市遺跡を形成している。紀元前1200頃の10年間に及ぶギリシアとのトロイ戦争で町は滅亡へと辿る。

遺跡入り口には「トロイの木馬」が建っていた。退却と見せかけたギリシアは、この木馬に30名の兵を隠し、油断したトロイ軍を打ち破ったそうな。
現地ガイド「サイトさん」の熱心な説明を聞き、トロイ遺跡の歴史的重要性が良く理解出来た。
マケドニア時代にはあのアレキサンダー大王が、ローマ時代にはコンスタンティヌス帝がこの地を訪れている。
無造作に置かれた遺跡の数々。円形音楽堂。トルコにこのような遺跡があったとは信じられなかった。

今夜の宿は、チャナッカレの「チサンホテル」。建物の直ぐ下はエーゲ海だった。見に降りたが暗くて余り見えなかった。
(2003.1.2)
続く
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