山歩き



大和三山を歩く(1996.1.26)

大阪に生まれ育ち、奈良県北端生駒に住む私にとって、大和は小さい時から 懐かしい場所だった。両親に囲まれて走り回った若草山、ターザンごっこした春日の森、アセビに覆われた『ささやきの小道』、妻や子供達と何回も訪れた秋篠寺、父が愛した正暦寺と母が眠る奈良町の元興寺。しかしどうしたわけか明日香には殆ど足を向けなかった。 東京に単身赴任して約1年。珍しく興味の赴くまま遊び回った半年間、血糖値の数字も気になり、昨年夏より山登りを始めた。深田の100名山も14山登った。しかし100名山は殆ど冬山になって仕舞った。

天の香具山、畝傍山、耳成山の大和3山は知ってはいたが、きっちり見たことも無く、まして登ったことは無かった。たまたま先週、談山神社や雪の多武峰を訪れ、万葉の世界に足を踏みいれた。妻は10数年間、万葉ハイキングに参画しており、私が万葉に興味を持つのは大賛成。 冬なのに風もなく暖かく、昼前大和3山に向かって我が家を出発する。シイ、カシ、クスの木が生い茂っている小道を登り、天から天降ったと伝えられる尊い香具山の頂上を踏む。標高152mだが展望は良かった。妻の作った弁当を2人で食べる。

「香具山は 畝傍を愛しと  耳成と 相あらそひき  神代より かくにあるらし   いにしえも しかにあれこそ  うつせみも 妻を  あらそうらしき」
香具山の頂きから国見した限り、畝傍の姿が一番美しかった。耳成は小さいが形が整っていた。私は、愛する畝傍(額田王)を弟耳成(大海人)と争った、香具山(天智)と想像したがどんなものか。
ここから藤原宮跡を真ん中に大和平野を眺めれば、古代人の激しい思いとロマンが胸にひしひしと伝わってくるようだ。

 二つ目の 畝傍山の麓に立ったとき、どっしりした畝傍は高く(199m),妻は『登れるかしら』と戸惑う。折角だからとゆっくりと歩き出す。山裾を螺旋に緩く登るため、20分程で頂上に着いた。三つ目の耳成山(140m)は低く、あまり苦労も無く三角点を踏んだ。生まれて初めて大和3山を登って満足した。万葉好きである妻は大感激。 藤原宮跡からの大和三山は美しく、位置的に言って、都を守っているようだった。冬の為か、夕日は二上山でなく、畝傍の向こうの葛城山に沈んでいった。なんとも幻想的な風景だった。帰り道、鴨鍋を食べて家路につく。

(記述日:1996.1.26)
(掲載日:2002.6.25)












「山歩き」ページに戻る