智恵子の安達太良山






3日間の『建設新技術フエア関東”95』が終わった。久しぶりに手ごたえのある充実した日々だった。物や工法を売るということは,会社や自分を売ることが,実際のセールス経験によって,体で実感できた。3日間立ちっぱなしで頑張った仲間・スタッフと昨夜遅くまで飲み明かした。

1995・10・21(土)早朝4時半に目覚まし時計が喧しくなる。3時間ほどしか寝ていない。今日は疲れているからやめとこか,と一瞬思ったが何くそと跳び起きた。
山行きの準備をてきぱきとして,5時半に家を出,6時6分上野発の新幹線「やまびこ31号」に飛び乗った。自由席は満員の為,指定席へ行って寝る。郡山で東北本線に乗り換えて,8時3分に二本松に着く。福島交通バス8時10分発の奥岳直通に乗る。直通はこれ一本だけである。
9時頃奥岳に着き,直ぐにゴンドラリフトに乗る。

6人乗りリフトには男女の先客二人が居り,私が乗って直ぐ出発した。何か邪魔しているような悪いような気持ちだ。2人は夫婦か恋人(愛人?)か分からないが,30歳後半らしい彼女はあどけないふっくらとした感じだった。黙って返事をしない男に,気にする風もなく,『あの赤いのは櫨かしら』と問いかけていた。
ちょっとした静寂の後,不意に私を見詰めて『山にお登りになるの』と,童女の笑顔で聞いた。どぎまぎしつつ『そのつもりです。』と答えるのがやっとだった。
薬師岳に着いて,準備をしながら2人を見れば,荷物もなく軽装だった。岳温泉の湯時客で散策に上って来たらしい。

高度計「アルチバロ」は1420mを指し示していた。9時15分に西側の山腹に付けられた山道を登り始める。よく整備された散策路を歩き,安達太良山へ向かって潅木の中を行く。
秋の空気が気持ちよく,回りの赤や黄色のいろとりどりが美しく,名も知らぬ山々の上には真っ青な澄み切った『ほんとの空』が広がっていた。
昨夜の寝不足を気にしながら,とりわけゆっくりと一歩一歩心地よい汗をかきながら登る。正面に安達太良山頂上の岩峰を見て,立ったまま少し休憩する。振り返れば眼下にのどかな町並みが見える。智恵子の住んだ安達町か。
岩だらけの山道を登ってやっと岩峰下の広場に着く。この広場に30m程の岩峰がぽつんと飛び出している。鎖のある岩の間を縫うようにして登り,頂上に立つ。

標高1700m,安達太良山の頂上だ。約1時間で登ったことになる。あれほど晴れ渡っていたのに,頂上はガスで展望がきかない。深田久弥のときと同じだ。晴れておれば,磐梯山や飯豊連峰,吾妻連峰などが一望できるらしい。
上野駅で買った弁当を食べ,朝いれて来たお茶を飲み,30分程で広場に降りる。北に延びる牛の背と呼ぶ岩稜をたどり始める。滑りそうでおっかなびっくり,そろそろ降りて行く。滑ったら噴火活動の凄さを語っている沼ノ平に真っ逆さまに落ち込んで行く。正直言って怖かった。危険な場所を通り越して,後ろを見ればだれも居なかった。ほっとする。

右に矢筈の森(森などないのにどうしてそんな名があるのだろう)を見て,馬ノ背の岩稜を行く。左側には火口跡の沼ノ平が荒涼と広がっている。三方を物凄い岸壁に取り囲まれたこの平は,その名の通り以前は沼だったそうだが,今は砂地に化している。砂地は黄色くなっており,硫黄の匂いが回り一面漂っている。沼の向こうの山の間に磐梯朝日国立公園にある,薄緑の秋元湖が見えた。
鉄山との鞍部に下り立つと,くろがね小屋への道が右に下がっている。まだ午前の11時だ。山腹にきられた岩の多い急坂を,足元に注意しながら下って行く。かなり危ない場所もあった。源泉から立ち上る湯気を見て,小屋に湯を引く湯樋が現れれば,直ぐにくろがね小屋に着く。11時40分,昼だからか,沢山の登山客が飯盒やラジュースで食事していた。岳温泉か奥岳から登ってきたらしい。小屋の先で湯川渓谷への道を左に分け,右に回り込むようにして勢至平の中を進む。のびやかな秋の高原だ。

振り返って安達太良山の岩峰を見る。何と安達太良山の形は,仰向けになった女性の乳房そっくりではないか。ピョコンと広場に飛び出ていた岩峰そのものが,乳首そのものだ。安達の人々はつい先頃まで,安達太良山と呼ばず,『ちくびやま』と言っていたらしい。深田久弥も言っているように,智恵子の安達太良山は,その小さな乳首だけでなしに,その全体を指してのことだろう。

勢至平からゆるやかな林道を1時間程で下る。烏川を渡り,奥岳自然歩道を分けて,真っすぐ行って,奥岳バス停に着いた。
岳温泉行きのバスが午後1時30分発で,30分程あるから,急いで富士急ホテルの温泉に入る。フロントで800円払って,地下の靴置き場へ行く。あわてていたのでそこで裸になり,タオルを持って風呂場へ向かう。ちょっとおかしい,廊下の両側には部屋番号があるではないか。泊まり客と鉢合わせになったら大変だ。飛んで戻って又服を着て風呂場に行く。温泉に浸かり,露天風呂にも行くが,時間が気になって,洗いもそこそこ10分程で飛び出した。温泉に入った気がしない。

30分で岳温泉に着く。二本松行きのバスまで時間があるので,ビール1本とザルそば を食べる。3時過ぎに駅に着いたが,折角ここまで来たので,1本汽車を遅らせて,『智恵子の杜』へ行く。二本松の裏側の崖が鞍石山,智恵子と光太郎が手を取り合って登った丘。 『あれが阿多多羅山,あの光るのが阿武隈川。…』
そこから見た安達太良山は,先程より少し丸みがあり乳首の様な円錐峰がはっきり浮きだっていた。この場所から眺めるからか,なんとなく恥ずかしい気がした。阿武隈川は霞んで見えた。

造り酒屋の智恵子の生家に寄り,霞ケ城公園になっている二本松城址を覗いて,駅に戻った。
二本松から郡山に向かう車窓に見える安達太良山は,はっきりそれと確認できた。
今日一日,智恵子と一緒にいたような,初めての陸奥の旅だった。来たがっていた妻を大阪に残しての1人旅,今度は一緒に連れて来ようと思いながら,心地よい疲れの為,ぐっすり寝てしまった。


(1995.10.21)

終わり






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