御来光の間ノ岳登山
白峰三山の真ん中にどっしりと構える間ノ岳。北岳から望むとその圧倒的な容積は北岳を凌いでいる様だ。甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳の関係のようだ。
北岳と農鳥岳との間にあるから、「間ノ岳」とは可哀想過ぎる。深田久弥も怒っている。
日本一高い山は誰でも知っている「富士山」。それでは二位はというと穂高か北岳か迷う人が多い。二位が昨日登った北岳(3192m)。3位が標高3190mの奥穂高。4位はと尋ねると殆どの人が「槍ヶ岳」と答える。私も今回の山行きまでそうだった。実は標高3189mの「間ノ岳」が4位で3180mの槍が5位だ。僅か1mで穂高に負けた「間ノ岳」。これから登る「間ノ岳」頂上に小さな石を持っていこう。ケルンを作れば堂々3位か?。
8月8日、朝3時起床。外は真っ暗だが星空がきれい。今日も良い天気のようだ。弁当二つ持って3時半「北岳山荘」を後にする。
ヘッドランプを頭に付けるが光が弱い。来る前に電池を新しく入れ替えたが、接触が悪いのか。予備の小さな懐中電灯を持つ。
真っ暗な道をリーダーの次に歩く。稜線をゆるやかな登りで最後だけきつく、4時19分中白峰山頂に着く。
稜線を歩く。風がきつい。時々突風もある。リーダーの指示で上下の雨具を着ていて良かった。間ノ岳頂上間じかで御来光を見る。真東から太陽が顔を出す。一瞬にして回りがオレンジ色に輝く。何時見ても神秘的だ。東南方向に富士山がぼんやりと浮かんでいる。

5時46分「間ノ岳」頂上。標高3189m。展望は昨日と同じく最高。北岳が見えるが、塩見岳が堂々と存在感を主張し始めた。王者の風格がある。荒川三山も見えるが、聖岳と光岳は荒川三山に隠れて見えない。
広い岩稜の斜面を下っていく。途中で朝食を食べ、7時18分に農鳥小屋に着く。
間ノ岳を背に、西農鳥岳の急斜面を登る。ハイマツの道から岩礫の急登となり稜線に飛び出す。朝日に染まった周りの山々を見ながら、西農鳥の頂上を踏む。
稜線を下り、登り下りを繰り返して、9時29分に農鳥岳頂上に着く。標高3026m。360度の眺望を楽しむ。
今日はこれから標高差2200mを降らねばならない。標高900mの奈良田第一発電所に何時に到着出来るのか。休憩短く降り開始。
10時20分、大門沢への下降点に到着。
全員無事に降る為、ここから隊列を変更。リーダーの次に女性陣7名。その次に最年長の昨日足が吊って遅れた男性。私は其の後に歩きそれとなく男性の様子を見る。
ハイマツの斜面を下って、ダケカンバの林からシラビソの樹林帯を急降下する。
前を歩く男性はつらそうだ。時々ぐらっと体が傾き倒れそうになる。その都度私は後ろから体を支えた。
登山歴ある誇り高き男性は、私に支えられるのを嫌がって、「歩きにくいから前に行ってくれ」と頼む。私はリーダーでもないので彼のことを心配しながらも前に出る。時々後ろを振り返るが足が突っ張っているのが良く分かる。
休憩の時、添乗員にそれとなく言ったが聞こえなかったみたいだ。
例の男性の側だったのでそれ以上言わなかった。又、後で添乗員が聞いてくるだろう。
12時33分、大門沢の河原で昼食。Kさんと山の話などする。なんとKさんは枚方の人で私の家の側にも良く遊びに来ているみたい。
仲間とハイキングクラブを主宰しているようだ。
1時間足らずで「大門沢小屋」に着く。りんごジュースを買う。ここから先は長い沢沿いの道だ。売店の女性に聞くと、林道まで3時間はかかるとのこと。
例の男性は元気のようだ。安心する。
沢の中を降り右岸に取り付いて降る。かなりのハードな下降だ。例の男性のところで先頭グループから遅れだす。やはり足がつらそうだ。
私は休憩の時、意識的に最後尾につき添乗員に注意を促そうとするが、彼は良く知っているらしいメンバーの一員と話ばかりしていた。
途中の状況に注意を払っていないようだ。私はこれ以上世話をするのも馬鹿らしくなって黙って降る。
案の定、途中で例の男性はダウン。足の感覚が少しもないという。よく谷に転落か転んで頭を打たなかったものだ。
最後尾からリーダーに連絡する。例の男性は添乗員が面倒をみ、我我は林道目指して下る。いずれにしても本人は林道まで歩いて下らねばならない。最悪はヘリコプターか。
吊橋を3箇所渡って、4時44分林道に着く。ほっとする。私は吊橋を両側の手すりを持たずにバランス良く渡ったので、後でNさんが感心していた。
バスまで林道を30分歩く。足はどうもない。M夫婦と色々な話をする。
バスで例の男性を待つ。なんとか歩いて降りているらしい。さほど遅れることなく男性到着。良かった。
いつも思うことだが、団体の山行きの場合リーダーとか添乗員の役割は重要だ。今回のリーダー前田さんはベテランでトランシーバーで状況を良く把握していた。大事に至らなくて本当に良かった。

バスで10分間乗って、西山温泉の「蓬莱間」に着く。男女混浴の為、女性陣の入浴が終わるまで相部屋の4人と話をする。
Nさんはこの人も私の家の近所の人だった。大きな70リッターのバックを背負って、オーストラリアとかニュージランドを1ヶ月ほど旅したそうな。現地で宿から全て調達しながらの旅は面白いと言っていた。私もしたいものだ。
Tさんは京都の城陽の人で、仲間とスキーツアーを楽しみ、色々と有意義に人生を楽しんでいるみたいだ。栗林を手入れし、柿や梅の剪定を勉強していると言っていた。
夕食は何時ものように達成感と心地よい疲労感そしてお酒が美味しく大宴会だ。
Nさんが私に今回の山行きを総括してしゃべれと言う。「リーダーの配慮で皆が無事登れたこと」を感謝して乾杯した。後は次から次へと指名によるスピーチとなった。
M婦人は今回の「間ノ岳」登山が深田百名山77座目だそうだ。旦那は私と同じく半分ほどだそうだ。私は今回の登山でやっと55座登ったことになる。このような山行きの時、いくら登ったかは誰も言いもしないし、聞きもしない。やはり70以上登っていないとなかなか言えないものだ。私はなんとか今年中に70まで登れたらと思っている。
宴会が終わり又温泉に浸かって眠る。疲労とお酒で熟睡する。
朝5時過ぎ、Nさんが風呂場から帰ってきて「混浴だった。夫婦連れだが奥さんはきれいな肌だった」と言ったものだから、後の4人は飛び起きて温泉に浸かりに行ったが、男ばかりで「後の祭り」だった。朝食はきびご飯。美味しくて久しぶりにお替りする。
8時出発。昼食は駒ヶ根の光前寺。ひかりゴケがたくさん見えた。確かここは木曽駒登山の後、妻と来た所だった。
楽しい山旅だった。素晴らしい山友達も出来た。
バスが大阪に近づくにつれ、サービスエリアで土産物を物色する顔は、山好きの独身女性から妻や母親の顔になる。寂しいものだ。
かく言う私も妻に携帯電話で迎えの時間を言っているのだから、独身男性から夫の顔に、孫娘からみればまさしく「おじいちゃん」の顔になってしまっているのだろう。
(2002.8.13) 終わり
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