赤城山逍遥






1995,9,23(土)台風14号が近付きつつある今晩,大阪より弟がやってくる。
それなのに赤城山へ行こうとする私は,弟の妻が「最近のお兄さんは,憑かれた様に山へーーーー」と言うように,既に『百名山病』に罹っているのかもしれない。
上野発7:00の特急「あさま1号」にて,高崎8:09着,普通に乗り換えて8:30前橋着。東武バス8:40発,大洞9:35着。
途中の白樺牧場では,ホルシュタインの牛が牧草を食べており,すっかり高原の風情。
大沼湖畔周遊道を北東岸に向かってゆっくり歩く。大野湖畔は標高1350mである。赤城神社を過ぎ,大沼周遊道と赤城山北面道路が分岐すると,そこが黒檜山登山口だ。 10:00 車道と分かれ,右の急斜面の樹林の道を登る。
いきなり見通しの悪い樹林の急登だ。10分程で視界の開けた岩場に出る。ここが猫岩か?。大沼湖とそれを取り囲む外輪山,地蔵岳の左に見える小沼,素晴らしい眺めだ。
さらに岩が露出した樹林の急斜面を登る。尾根道だが岩だらけでまるでロッククライミングのようだ。
足と手を使って,3点支持でよじ登る。約1時間,汗びっしょり,黙々と登る。最近で一番つらい登りだった。やっと視界が開けて稜線に出る。心地よい風が頬を打ち,秋の気配をぶるっと感じた。
左へ100m程,笹とツツジの密集地帯を行くと,三等三角点のある黒檜山頂に着いた。ダイナミックな展望が広がっていた。
東には牛の背のようなドッシリした山容の皇海山,その後方に男体山,北には火うちヶ岳や至仏山,この前登った谷川岳,上州武尊山,西側は潅木で遮られていたが,なんと南側には雲の上にあの富士山が見えるではないか。
これまで登った関東の山々,あの大台ヶ原からさえ,富士見台:富士見峠:富士見山荘等々と名前は付いているが,今まで直接見たこともなかった富士山。感動した。それでは右にうっすら見えるのは八ゲ岳か。
昨夕ローソンにて買った弁当を食べ,お茶を飲み,高度計を見れば1900m,ここは赤城山の最高峰にて1828mなので,数値が高いと言うことは,低気圧が近付いて来ていることになる。
11:35 出発。山頂から分岐点まで戻り南へわずかで,石碑の建つ展望台があった。ここからの眺めは大沼と小沼が青く澄んだ水を湛え回りの山が沼を守るがごとく取り囲み,絵葉書を見るような美しさだった。
丸太を並べた階段状の道を大きく下る。少し登り返して12:10に駒ガ岳に着く。
ここは展望は良いが,狭い場所だった。重役風の人が既に座って休んでいた。朝早く車で来たらしい。地蔵岳のロープウエイを見ながら,「あれを見れば,登る気がしなくなった。」と会話する。
山頂からは快適な尾根道が続き,樹林や笹原の中を行く。後ろから重役風の人の鈴の音が追いかけて来る。12:45に湖畔の車道に出る。後から来た重役は「疲れたから帰って風呂にでも入るか」と去って行った。
私はまだ時間も早いので,有名な湿地帯の覚満淵を巡って鳥居峠に出た。
奥日光の戦場ゲ原,霧ヶ峰を見た私には,箱庭の様で物足りなかった。鳥居峠から車道を通って大桐に戻る。
折角来たから,ロープウエイで1674mの地蔵岳に登る。展望台でナシとにぬきを食べて,デイバッグを空にする。
14:30のバスで前橋に戻る。高崎の特急待ちに,妻ひろ子に電話する。
5時過ぎには東京に帰って来た。本日の歩数は21240歩だった。
日本100名山12番目の山だった。秋の気配を感じた1日だった。

                                                     終わり





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