リベンジの荒島岳
深田久弥は越前と美濃の間に連なる沢山の山々から、百名山として能郷白山か荒島岳のどちらかを選ぼうとした。
結局「気品のある荒島岳」を選んだ。

私は数年前、この荒島岳に撥ね付けられたことがある。まだ今ほど山のことを知らなく、安易に考えて登り、勝原のスキー場から急登を30分で約300mの標高差を攀じ登り、足が引きつって動けなくなったことがある。
リタイアしリフトの終点で青い空を寝転んで眺めながら悔しい思いをした。
幾度か挑戦しょうとしたがチャンスがなかった。やっと今回朝日旅行会で「大野富士・荒島岳」のツアーに参加できた。
10月12日(土)、三連休の初日朝8時45分京都駅集合。メンバーは20数名、リーダーは戸部さん、添乗員は女性の藤本さん。

本日は福井の朝倉遺跡の見学と背面の「一条城山」のハイキング登山だ。
朝倉遺跡には今ほど整備される前に、何度か家族と来たことがある。私の好きな場所だった。しかし裏山である「一条城山」には登ったことがなかった。
標高470mの城山に登り、本丸跡等を見学し4km足らずのハイキングだったが、下りは急斜面できつかった。
ホテルに行く途中の夕日が美しかった。明日は良い天気になるだろう。
勝山の「フリーデンフォート」に泊り、温泉を楽しみ、美味しい夕食を食べた。同室は73歳のKさんとOさん。
洋食の朝食を食べホテルを後にする。勝原スキー場から9時に登りだす。ここは標高328m。
今日のリーダーは藤本さん。ゆっくりと登ると言う。
私は前回のこともあり、一番後ろから、ゲレンデ沿いに架かる第一リフト沿いにゆっくりゆっくり登る。小幅に一歩一歩進む。
藤本さんは言った通り、遅いペースで歩く。
「バテないで、道に迷わず、滑落しない人は、私の前に行って貰って良い」という。何人かが先行したが私はラストを歩く。
9時46分にリフト終点に来た。前回寝転んで空を見た場所だ。標高600m。約1時間300mのペースだ。私は快調。
この分なら今回は行けるかもと自信がつく。最近一連の登山で私の足はかなり強くなったみたいだ。
藤本さんに「先に行って良いか」と聞くと「どうぞ!」という。
それからブナ林の中を、足と相談しながら私の従来のペースで歩き出す。先行していた何人かを抜き、しゃくなげ平の手前で最後の一人に追いついた。71歳の登山服がぴったりと決まっているお爺さんだった。ここは標高1200m。約1時間で登った。日ごろの私のペースの倍だ。休憩無しに歩いたが、足取りは軽かった。

ここから展望が良くなり、荒島岳がその雄姿をみせ始めた。階段状の道を登ればモチガ壁と呼ばれる急登だった。他の登山客はしんどそうだったが、私は一つも苦しくなかった。足も吊る気配が少しもない。クマザサの中を登って、11時50分に頂上に着く。標高1523m。
やっと前回の無念をはらす。なんかあっけない感じの登山だった。頂上には一等三角点と荒島大権現奥の院の小さな祠があった。中には30cmぐらいのお地蔵さんが数体あった。
天気は良く360度のパノラマを楽しんだ。白山は堂々としていた。南側にはひときは高く能郷白山が聳えていた。
20分程遅れてお爺さんが着く。さらに十数分遅れて数人が到着。
お弁当はおにぎりだったが、私はミニきつねうどんをホテルでもらった湯で温め食べる。温かい汁が美味しい。
頂上で1時間程皆が着くのを待っていたが、じっとしていると寒くなってきたので、お爺さんと一緒に降り出す。1時前だった。
降りる途中で戸部さんや藤本さんと会い、先に下りる旨を言う。
お爺さんは「私は下りは遅いので先に行って!」と言うので先行。20分程でしゃくなげ平に帰ってきた。途中可愛いリンドウが咲いていた。ここからコースを中出に向かう。
小荒島岳に寄り、スギの植林地を通り一人で降りていく。一本道ではあるが、所々は細く、本当にこの道で良いのか疑問を感じながら下った。途中2箇所ほど新しい林道が作られており、その林道に沿って下っていくと道が無くなっていた。又先ほどの分岐点に戻り、小さな小道を見つけそれを中出コースと判断し下った。標識類が極端に少なく、不親切なコースだった。時間が早く、余裕があったので、良かったが、夕暮れが迫っていたら道に迷ったかもしれない。
バスの止まっている場所に3時半帰ってきた。
4時過ぎに同室のKさん始め数人が帰還。全員が揃ったのが5時だった。
朝日さんは毎日と違ってクラス分けをしていない為、皆の登山レベルはまちまちだ。かなりのバラツキがあった。しかし一人のリタイアした女性を除いて全員登頂したのだからこれで良いのかも知れない。
今回は標高差1300mを3時間足らずで登り、2時間半で下ることが出来た。自信がついた。
百名山71座目。今年の山登りは後、屋久島の宮之浦だけだ。これからは畑仕事に精を出さねばならないと思う。
温泉に浸かり、大津駅からJRと近鉄で「高の原」に着いたのは11時だった。普通なら妻に「新田辺」まで来てもらうが、そこは峠越えのコースの為、「夜遅く一人で運転するのは怖い」という妻の希望を入れて幹線道路で迎えに来れる「高の原」になった。
文句も言わず(時々は言っている)送り迎えする妻に感謝。
(2002.10.14 )
終わり
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