はるかなる峠−大菩薩峠



 先週(1995,9,2),妻と2人で大台ヶ原へ行った。
「日本百名山」10番目の山行きは,あこがれの大菩薩峠とした。
ニッピンにてアネロイド式高度計「アルチバロ」を買った。
1995,9,9 晴れ 新聞により気圧を1013mbに合わせ,高度(海抜)0mにセットした。
 朝5時起床。6:00グリンパーク201号出発。JRにて,南千住−日墓里−新宿。ギリギリ7:00発の(あずさ51号)に飛び乗る。
7:59大月着。立ち食いの「天ぷらうどん」を食べる。8:18鈍行−8:42塩山に着く。
本当は裂石までバスにて,それから登るのだが,前日の妻との約束にて,無理をしない為福ちゃん荘までタクシーで行く。6千円したが,運転手にコーヒと桃を貰った。途中色々と情報を仕入れる。
9:26福ちゃん荘出発。ここは唐松尾根の分岐点で帰路はここへ下って来る。高度計1725m。ゆっくり登る。富士見山荘を気づかず,10分程で深田久弥の泊まった勝縁荘(休業)に着く。
一歩一歩急坂を登る。2組の夫婦を追い抜くが,少しもしんどくない。
もう着いたかと言う感じで10:10大菩薩峠に着いた。桃を食べ,お茶を一杯飲んで5分休憩。高度1950m。峠は四方に道がある。
10:15北西に向かって歩きだす。少しで中里介山の碑があった。親知らずの頭を乗り越した所が,サイの河原で昔の峠だった。回りは一面のお花畑だった。名前の知らないのが惜しかった。
物見の頭を越えて神成岩にて食事。眺めが最高である。但し富士山は見えない。駅で買ったパン一個とトマト一ツ,それに煮抜き卵であった。ここから新道が下っている。
大菩薩嶺に向かって少し登ると雷岩だ。10:50にて,高度2020m,気圧810mb。唐松尾根が西に向かって下っている。北へ林の中を5分程歩いて大菩薩嶺に着いた。
三角点があり本当の頂上と思えるが,展望はない。高度2060m,気圧810mb。真の標高2057mなので「アルチバロ」は使えそうだ。
戻って11:30にかみなりいわを唐松尾ねへと急坂をくだる。12:10福ちゃん荘に着く。絵ハガキを買う。12:30上日川峠(長兵衛山荘)着。車道から離れて山道を下る。この道はブナ林,栗の大木,斜面に巨岩と深山の趣きあり。しかし余りの急坂の為,また足が笑い出した。ゆっくり歩いて13:50に仙石橋に着く。高度1100m。14:00に足をかばいながら車道を歩く。14:35裂石着。手前に雲峰寺の石段があった。1450バス発。次ぎは17時台とのこと。15:25 塩山着。
なんと列車事故の為大月迄不通とのこと。困った,困った。
しかたなく塩山温泉に泊まることにする。歩いて15分,甲州塩山温泉元湯廣友館の玄関に立つ。満員とのこと,若奥さんに事情を話し6畳一間を明けて貰う。
夕飯まで時間があるので武田信玄ゆかりの恵林寺に行く。織田信長に攻められて焼き打ちに会い,「減却心頭火自涼」の快川和尚のあの寺だ。夢窓国師の庭が良かった。
宿に戻って,信玄の隠し湯と言われる温泉に浸かる。先週の大台ケ原麓の人の波温泉と違って,透明でサラサラした感じである。しかし湯の中で背中に触ると,温泉特有の粘りがある。外に出るとそのような感じがない。美人を作る湯として有名だそうだ。京を目指しながら私と同じ53才で亡くなった信玄を思い,ゆっくりと秘湯に浸かる。
夕飯は鮎の塩焼き等豪華なものだった。ビールが旨い。
気掛かりの事は,妻との連絡だ。娘はバリ島,息子は徳島,肝心の妻は夢千代日記へ旅行中。家へ留守電を入れる。息子Jに事情を伝える。夜は祭りを少し覗いて早く寝る。10日の朝Jに電話する。妻より連絡なしとのこと。9:00時に宿を出る。向岳寺に寄って,9:43塩山発の急行に乗る。11:07新宿着。12:00家に着く。
妻からの留守電はなし。     素晴らしい大菩薩嶺への旅だった。

                                 終わり








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