大雪山縦走と紅葉の高原沼
9月28日(土)早朝5時50分、朝に弱い妻に文句を言われながら妻の運転する車で生駒駅に送ってもらう。
北海道の大雪山登山と紅葉の高原沼散策だ。
大雪山は北海道のど真ん中を占め、文字通り北海道の屋根をなしている。
サンケイ旅行会主催のツアーだ。総勢7名。男性は5名、女性2名。57歳のM夫妻、?歳のS嬢、57歳のKさん、59歳のNさん、58歳のOさんそれに私と、添乗員の岡本さん。
関西空港を8時50分、JAS721便で飛び立ち、10時45分帯広空港に着いた。今日はここから中富良野のホテル泊まりだ。
中型バスでゆったりと座る。空港から富良野へ出発。途中美味しい蕎麦屋で昼食。天気は良く、道中幌尻岳・トムラウシ・十勝岳そして今回登る予定の大雪の山々が見えた。早くあの山々の頂上を極めたいものと思った。
今年で21年間続いた連続テレビドラマ「北の国から」が終わった。感動しながら毎回涙なくして見られなかった。最終回で五郎さんの遺言は胸にじーんと響いた。その舞台の富良野。あのドラマのシーンそのものの広い台地。緑に覆われた丘。タマネギを収穫した箱の群。
草を食む牛たち。トウモロコシの畑。大きな牧場や農園に建つ色とりどり屋根を持った館。
バスの窓から飽きることなくそれらの風景を見つめ続けた。

バスの運転手さんの好意でラベンダーを見ることも出来た。
今回は7名の登山者だが、道中の情報収集の結果、驚いたことに二人の百名山完登者が居たことだ。一人は元校長のKさん。もう一人はなんと目の大きなS嬢。二人とも昨年中に達成したらしい。Nさんも達成まで後10座らしい。
彼らの話を聞いていると私はまだまだ[ひよっこ」だなと思った。

本日の宿「ホテルラテール」は新しいホテルだ。駐車場を作るべく整地していたら湯が湧き出したらしい。中富良野温泉となる。
温泉に浸かり、品書き付きの美味しい郷土料理を頂き、満足して寝た。
9月29日(日)朝5時起床。残念なことに小雨が降っている。朝弁当を持って6時15分出発。バスの中で弁当を食べる。
旭岳ロープウエイ駅に着くも、「強風の為、運行中止、再開のメドは未定」。
最悪3時間かけて停止しているロープウエイの横を歩いて登らねばならないと覚悟する。

幸運なことに7時45分運転再開。7分で頂上駅到着。ここは標高既に1615m。旭岳の頂上は2290mなので、標高差650m足らずの登山だ。
その頂上から黒岳への縦走が今回のメインだ。
20分足らずで標高1665mの「姿見の池」に着く。青緑の水を湛えた美しい池だ。ここは既に樹林帯を通り越し、ハイマツが生える砂礫地帯になっている。北海道の場合、標高に1000m足した標高が内地のそれに匹敵するらしい。
観光客はここまで。これから先の登山客は、環境省のレンジャー達と、数人の登山客パーティだけだ。

ゆっくりと歩く。リーダーの岡本さんを先頭に私はKさんと一緒にラストから2番目だ。
正面の大爆裂火口は荒々しい岸壁となり、そこから流れ出た地獄谷には随所に白い噴煙が上がっていた。ごーと地響きを立てている。
9時14分に7合目、10時に「ニセ金庫岩」に着く。足元は砂礫で歩きにくい。
ガスがかかり、霧雨が降る。一時的にガスが無くなり、太陽が顔を出すが直ぐに隠れる。
10時18分、北海道の最高峰でもある大雪山旭岳(標高2290m)の頂上に立つ。
展望は無く、記念写真を撮って直ちに黒岳目指しての縦走に入る。
縦走路は砂礫の道で、ガスの為視界の利かない道をロープに沿って歩む。シーズン中なら大お花畑だが今はもう花も無い。
11時20分、北海岳への分岐がある間宮岳(標高2185m)頂上に出る。だだびっろい草原でどこが頂上か分からない。
左回りのコースを取る。12時7分に中岳(標高2113m)の頂上を踏む。ゆるやかな登りや下りを繰り返しながら縦走する。
北鎮岳への分岐にザックを置き、空身で北鎮岳(標高2244m)に登る。12時47分に頂上に着くも展望は無し。
ただただ歩くだけだ。お鉢平展望台を過ぎ、黒岳へ向かう。途中に可愛いシマリスがいた。あまり人を怖がらないみたいだ。
黒岳に近づいた時、笹薮の処にキタキツネがいた。丸々肥えており、大雪の自然の豊かさを身を持って示しているようだった。

2時18分黒岳石室(標高1984m)に到着。寒くなってきており、早く下山して温泉に浸かり、ビールをぐっと飲みたい。
砂礫の道を登り2時50分やっと黒岳(標高1984m)に到着。登りはこれで終いだ。ほっとする。
この縦走中誰にもどのパーティーにも出会わなかった。大雪山は9月24日に初冠雪とのニュースがあったけ。
3時下山開始。階段状のしっかりした道を降る。50分程で、7合目の黒岳ペアーリフト乗り場に到着。5合目でロープウエイに乗り換え、バスの待つ層雲峡に着く。3万歩足らず歩いた。約18kmか。
Kさんはこれまで2回大雪山に来たが、2回とも雨とガスの為、旭岳と黒岳の頂上を踏んだだけとのこと。今回初めて縦走出来たと喜んでいた。
ガスの為展望は良くなかったが、初めての挑戦で幾つかの頂上と縦走出来た私はラッキーだったと言えるだろう。

Mさん夫妻はお互いに労わり合いながら歩き続けていた。金剛山登頂2700回というS嬢は、今日は体の調子が悪いと、大きなザックを同じ金剛山登頂仲間のNさんに持ってもらっていた。
山中独身の私は、二組のペアーの行動が羨ましくもあった。私も妻と一緒に山登りが出来れば良いのに思った。
妻は若い頃回転レシーブのバレーボールと、スキーの為、膝を酷使し、かなり前から膝に水が溜まるようになっていた。
一緒に登った山は、磐梯山と大台ケ原・四国の剣山ぐらいか。大山は途中でリタイア。石鎚山は旅館で待機。結局最近は私のみの登山となっている。
今回の大雪山登山は、二人の百名山登頂者と一緒ということもあり、色々の事を教わったように思う。
Kさんは殆ど単独行で数年間かけて登ったらしい。S嬢は3年間で集中的に登ったと言っていた。最初の年は私以上に中日無しに、帰った次の日に又山に登ったとのこと。
70前のNさんは、胃と腸を2回づつ手術し、胃は全部切り取ったとのこと。数年前のその病気から山登りを初め、薬でなく自分の力で病気に打ち勝っているとのこと。
「血糖値が高ければ、3日間ほど絶食すれば間違いなく値は下がる」との一言は、薬に頼っている私にショックを与えた。
本当は私もそのように思っているのだが、思うだけで実行出来ない自分に腹が立つ。
Kさんは全部登ったから言うのではないがと断りながら、「自分はやはり百名山登頂の為、ピークハントになっていたように思う、もっと時間をかけて楽しみながら登るべきだった」。
確かにその通りだと思う。これからは出来るだけその山の歴史や自然を学びながら登ることにしょう。
層雲峡からバスで大雪高原温泉に向かう。バスの中で、登頂を祝ってビールで乾杯。色々のつまみが主として女性陣から回ってくる。

本日の宿「大雪高原山荘」は温泉での唯一の宿舎だ。ここは大雪山に囲まれた秘湯そのものだ。Kさんは憧れの秘湯と言っていた。
露天風呂に浸かり、垣根から見える黄色く紅葉した葉っぱと、真っ赤なナナカマド、そして白樺の白い幹とトドマツの緑の葉っぱの鑑賞。
登頂を果たし
た満足感と心地よい疲れ。
こんな幸せと贅沢をしていて本当に良いのかと、Kさんと湯船の中で語り合った。
山に登るには暇と金は必要だが、それだけでは登れない。何よりも登りたいという気力とそれを実行に移しえる体力が無ければだめである。
今の私には暇はある。金は無いが(収入は僅かな部分年金のみ)、「金は天下のまわりもの」と割り切った。
しかし嬉しいことに私は今が一番気力と体力が充実しているように思う。

60歳の還暦を向かえ、この9月に百名山10座を登ることが出来た。北海道はシリベシと今回の大雪山。東北は吾妻山・安達太良山・蔵王・八幡平・岩手山・早池峰山。九州は祖母山そして南アルプスの塩見岳。
顎を出すことも足を吊ることも無く、又疲れも無く喜んで連日の登山を消化している。山登りそのものだけでなく、友を得ることが嬉しい。又、毎回ホームページに下手なエッセイを綴る(記録というより私の気持ち)ことも喜びになりつつある。
冬山は怖くていけない私のシーズンは10月一杯か。
畑や果樹園は雑草地となりつつある。「かわせみ農園」を立ち上げる為にも、そろそろそちらにも力を注がねばと考えている。
夕食は地元の山菜と岩魚の塩焼き、ヤマメのアライ、猪の肉等食べ切れなかった。
寝る前にもう一度露天風呂に浸かる。
9月30日は快晴。朝露天風呂に浸かり、朝食を食べる。今日は宿から歩いての「高原沼めぐり」だ。ヒグマの生息地でもある。「ヒグマ情報センター」で最近のヒグマ出没記録を見る。頻繁に足跡・糞が確認されている。最近5mの至近距離で出くわした人も居た。
立ち上がったヒグマのくん製は度肝を抜く大きさだった。
ヒグマ除けの鈴を付けて歩く。

大雪からトムラウシへの縦走路の尾根を背景に全山紅葉している景色は、魂を奪われるようなこの世とも思えない美しさだった。
幾つかの静かな美しい沼を巡り、黄色と赤、白と緑のコントラスで描かれた紅葉最前線を満悦した。
山荘に戻り、またまた4回目の露天風呂に浸かり、旅の疲れを洗い流す。
帰りは旭川空港から伊丹空港だ。夕方5時過ぎに大阪に帰還。
百名山67座目の大雪山登山は非常に実り多い登山と旅だった。
(2002.10.1)
終わり
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