八海山、中ノ岳、駒ヶ岳は、越後三山と呼ばれ、古くから修験の場だった。そのうち越後駒ヶ岳は魚沼駒ヶ岳とも呼ばれ、岸壁に囲まれたアルペン的な山容を持つ。
このところ「日光白根山」・「皇海山」を登り、先週は「会津駒ヶ岳」の頂上に立ち、今回は「越後駒ヶ岳」と「平ヶ岳」に挑戦しょうとする。
17日から「雨飾山」へ行き、23日から「苗場山」・「巻機山」を計画している。
私の場合、一箇所に集中的に登る傾向があるみたいだ。昨年は南アルプスだった。
今シーズンに計画通りいけば、那須・常陸・尾瀬・日光方面と上信越国境付近の百名山は全部登ることになる。
10月10日(金)、毎日新聞旅行で「平ヶ岳と越後駒ヶ岳」のツアーに参加する。
何時ものように妻に「新田辺」まで送ってもらい、京都駅でJR[サンダバード7号」に乗った。
総勢31名、男性13名に女性18名だった。男女の割合は標準的(女性6割)だった。
リーダーはこの前一緒だった川原井さん。添乗員は新入社員の可愛い女の子。
男性のTさんを始め数名の知り合いが居た。

金沢駅で乗り換え、「はくたか9号」で「越後湯沢駅」に着く。ここからバスで奥只見湖畔の銀山平にある旅館
「湖山荘」に向かう。
ここで連泊して「越後駒ヶ岳」と「平ヶ岳」に登る予定。
銀山平は昔、銀が発見されて賑ったらしいが、今は奥只見湖の湖底だ。山と釣専門の温泉となっている。
ログハウスの2階が宿舎だった。数件の旅館が共同で建てたやはりログハウスの温泉に浸かる。
豪華な食事と生ビールがあった。山談義が弾む。


10月11日(土)、朝4時起床。朝昼2食の弁当を持って5時旅館出発。枝折峠を5時25分出発。多少明るくなっており、ヘッドランプは付けず。ここの標高は1065m。今日は越後駒ヶ岳(標高2003m)登山。約1000mの標高差だ。
明神峠(標高1236m)まで30分。明神の社の扉はしまっていた。


私は何時ものようにラストを歩こうとすると、一人の女性が「是非ラストを歩きたい」と言うので、ラストを譲る。私は別段それ程拘っていない。Nさん(女性の名前)とは今回の山行きはラストとブービーの関係が続く。なかなか足の運びが軽い。かなりのベテランだろう。

1時間ほどで道行山(標高1298m)に着く。朝焼けが幻想的だった。
又、1時間ほどで小倉山(標高1378m)に到着。ここは灰の又からの小倉尾根コースの分岐点だ。ここまではなだらかな道だった。


紅葉や黄葉があるが、ちじれたような感じで艶やかさが少ない。今年の紅葉は不順な気候で紅葉もぱっとしないのかも知れない。
やっと越後駒ヶ岳が見えてきた。



そこからは急登だった。百草の池についてほっとした。池は小さく、一時は無くなっていたがここまで復元したそうな。


そこから駒の小屋までは尾根筋の草原上を歩く。山全体が色づいていた。今回は三連休のため登山客が多い。



赤や黄色の紅葉の間を大勢の登山客が歩く。大渋滞だ。

雪渓を見て、10時に駒の小屋に着いた。
10時25分に越後駒ヶ岳(標高2003m)の頂上に立つ。天気は快晴。
展望は最高に良い。燧ヶ岳・男体山・日光白根山等最近登った山々が確認できる。
これで深田100名山は89座目だ。





頂上は狭く、渋滞の為駒の小屋で昼食。何時ものように「きつねうどん」をお湯をかけて食べる。
11時半に小屋を出発。
帰り道は長かった。4時間近くもかかった。
ただ全山が紅葉していて目を楽しませてくれた。




旅館に戻り、温泉に浸かり、夜は宴会となった。
宴会後一人内湯の露天風呂に入り、ゆっくりと浸かっていると、隣で女性陣が数人入ってきた。ここは簾で仕切っているとはいえ混浴だった。




風呂場を出ようとしたら、Mさんが入ってきてタオルを忘れたと言ったので私のを貸してあげた。
同室のIさんが私の帰りが余りにも遅いので探しに来てくれた。一言食事の後に露天風呂へ行くと言っておけば良かった。
申し訳ない。
夜はぐっすりと眠った。



終わり
(記述日:2003.10.14)
(掲載日:2003.10.14)