近寄り難い聖岳









7月29日(火)、今日は光小屋から三吉平・易老岳を越え、茶臼岳を登り、上河内岳を巻いて聖平小屋までの約18km9時間の大縦走だ。
普通なら私にとって得意とするコースだが、今回は50リットルのザックを担いでの縦走である為、多少の不安が残る。

仁田岳分岐で











光小屋で自炊の朝食を食べ、5時半に出発。易老岳までは昨日歩いたコースだ。2時間半かかってやっと着く。
昨日の疲れが残っているのか、ザックが重いのか今日は足取りが重い。
ガスに煙る稜線











仁田岳分岐(喜望峰)までの登りはきつかった。1時間45分で着いたが、仁田岳まで往復40分の空身での登山があったとしても、私は残ろうと決めていた。
茶臼岳











展望も良くない為か誰も登ることを希望しなかったみたいでほっとした。
茶臼岳での昼食風景











そこから1時間足らずで茶臼岳(標高2604m)に到着。ここで自炊の昼食。
私は小屋で入れてきた500mlのポットの湯で狐うどんを食べた。卵スープも飲み満足。

縦走中











そこから2時間ほど縦走して上河内岳分岐に着く。私は何時ものようにラストを歩いているが、足取りは重い。皆から遅れてはいないが疲れが蓄積していることは自分なりに感じた。明日の聖岳登山を優先する為、無理をしないでおこうと思った。
山並み











上河内岳往復は20分ぐらいであったが、数人は分岐に残った。待っている間に荷物の整理と暫しの休息を取る。
頂上から富士山が見えたらしいが、私は体力を温存する。

上河内岳への標識











そこから2時間かかって本日の宿「聖平小屋」に到着。午後3時37分だった。
ザックを担いで亀甲状土を歩く











部屋割りをして自分の寝床を確保して、ビールで乾杯。

上河内岳











夜中に起きて外のトイレに行くが、小雨が降っていた。トイレは小屋から離れた場所にあり、ガスの為ヘッドランプの光が遠くまで届かない。一瞬小屋に戻る方向感覚が妖しくなった。丁度一人の男性がトイレに行くべく歩いて来たので小屋の方向が確認出来た。
ウサギギクの花











小屋の周りでこの調子なので、縦走中にガスに巻かれたら大変だなと実感できた。

煙る上河内岳











7月30日(水)朝から雨が降っている。
幽霊草でなく?











今日は聖岳に登って、西沢渡から便ヶ島に降りる日程だ。
高山植物











雪渓











雪渓を横切る











上下のカッパとスパッツを身に着けての重装備での出発だ。小屋を5時半出発。薊畑分岐まで30分程歩く。荷物がずしりと重い。
分岐で荷物をデボする。私は小さなサブザックを背負って出発。
高山植物











空身で楽な筈だが、疲労が蓄積しているのが分る。
ウスユキソウ











6時50分に小聖岳(標高2738m)に着く。
黒ユリ











雨が本降りで何も見えない。砂礫の道を黙々と歩く。前聖岳は3000m級の本邦最南端に位置する。
ガスの合間に聖岳が











頂上は遠くに霞んで見える。足は吊ってはいないが重い。息は苦しくはないが全体にだるい。一歩一歩下を向いて歩く。
足が前に出るのが不思議な感じだ。
白骨化した木











「あと30分で頂上だ」との吉永リーダーの声。
林間での休憩











ちらっと上を向いて頂上の姿を確認し、あと500歩と思い、ゆっくりと歩数を勘定しながら下を向いて登る。
500歩が過ぎても頂上はまだ上のほうだ。
結局1100歩で前聖岳(聖岳・標高3013m)に着いた。やっと頂上を踏んだと言う喜びがじわっと湧いてきた。
展望が無く、寒い為頂上写真を撮って直ぐに下山を開始した。

豊かな自然











薊畑分岐で荷物を背負い、下りは楽に歩くことが出来た。
苔の原生林をとっととっとと下る。3時間半かかって西沢渡に着いた。雨の為川は増水していたが、簡単な板の橋が架かっていたので難なく渡れた。
小聖岳頂上写真"











ここで休憩かと思ったら、「一寸で便ヶ島!」というリーダーの指示で歩く。結局40分程歩いてやっと便ヶ島に到着。
バスが待っていてくれたのでほっとする。
聖岳頂上(真ん中はリーダーの吉永さん、右側は稲田さん)











近くの洗い場で上下の雨具やスパッツを洗っていると、女性の「キャアー」という叫び声。
小さな山蛭が雨具に付いているではないか。指で弾いても離れない。頭部の吸盤でしっかりと引っ付いている。
結局紙で無理やり掴んで取ってあげた。私のカッパのズボンにも付いていた。
樹林地帯











バスの中でも彼方此方から悲鳴がする。私の手にも二匹が。数日間手の平に蛭に噛まれた跡が残った。

西沢渡の激流











山の本には易老岳の山蛭が有名と書いてあったが、易老岳では会わなかった。結局天候の状況によって出てくるのかも知れない。
それにしても気持ちの良い話ではない。

バスで和田の「なかい」に戻る。早速「かぐらの湯」に浸かる。光岳から聖岳の難儀な縦走をこなして、皆の顔は満足。 夜は大宴会。

大宴会











7月31日(木)朝ご飯の後、大阪に向かって帰る。
吉永リーダー曰く。「この光岳・聖岳縦走をした者は、日本のどんな山でも登れる」
昼過ぎに我が家に帰ってきた。

この小型バスで











私の百名山はこの聖岳で丁度78座目だ。今回の山行は、苦しかったが重い荷物を背負っての縦走だっただけに自信がついた。

添乗員の稲田さんと親しくなる。彼もホームページを作っており、私とリンクし合う事を約束する。

この重たいザックを担いで(家の庭)











登頂証明











終わり 

(記述日:2003.8.8)
(掲載日:2003.8.8)






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