30年ぶりの伊吹山










私は今年の7月30日に黒部五郎岳にて、深田久弥の日本百名山を踏破することが出来た。
最初の百名山は1966年の槍ヶ岳。1966年から約40年間経過したことになる。
会社時代の35年間は殆ど山登りはしなかった。子育ては妻に任せきりで、仕事を第一に考え、夜は徹夜マージャン、休日はゴルフと典型的な仕事人間だった。
52歳の時、東京転勤となり単身赴任となった。一人暮らしは自由で伸び伸びとした楽しいキャンプ生活のようだった。
月に2回、新幹線で帰宅すればさほど寂しい思いはしなかった。又、本社が大阪の為けっこう大阪に帰る機会があった。
最初の1年間は東京が珍しく、おのぼりさんになったように名所旧跡を歩き、美術館巡りや自転車で浅草や吉原を見学した。
1年過ぎて東京での土・日の休日はする事が無くなってきた。ウィンドウ95が発表され、パソコンの勉強を始めたが、何かアウトドアーをしたかった。
その時、妻と娘が東京に来て、一緒に日光の旅をした。歩いた戦場ヶ原の雄大な自然が昔の山歩きを思い出させてくれた。
丁度その頃、深田久弥の日本百名山の本に出合い、チャレンジしてみようと思い始めた。 山登りの先輩である姉が東京に住んでおり、百名山のうち最初の山として何処が良いか尋ねると「霧ヶ峰」と言う返事。早速、再開の山登りを霧ヶ峰から始めた。
その後大阪本社に戻り、会社をリタイヤーしてから本格的に登りだした。
40年前に登った山は、槍ヶ岳・穂高岳・白馬岳・伊吹山の四つだけだったが、昨年は穂高岳・白馬岳を登り、今夏は槍ヶ岳を再度登ったので、あと伊吹山でこの10年間で百名山を登ったことになる。

姉夫婦や弟夫婦そして私達の息子と娘が、百名山踏破の山には一緒に登り祝ってあげると言っていたので、皆が登れる山として伊吹山を考えた。妻や身重の娘と孫はドライブウェーで頂上直下まで行けるというメリットがあった。
伊吹山の近くの関ヶ原や長浜・彦根で旅館を段取りして「祝う会」を開きたいと思った。

妻と私は1週間前に「伊吹登山の下見」を実行した。

10月9日(日)、三連休の真ん中。新幹線にて米原駅に東京から姉夫婦が9時51分に到着とのこと。
娘親子と息子は昨晩から我が家に来ている。弟夫婦が8時半に我が家に来て、2台の車で米原に向かう。枚方東から第二京阪道路に乗り、瀬田東で名神に、そして北陸自動車道に入って直ぐの米原ICで下車。

伊吹登山口横の三之宮神社











案内標識











登山口











総勢9名。大人8人と3歳の幼児1人だ。国道8号線から県道21号に入り、上野の登山口に向かう。
ここからゴンドラで3合目に行き、そこから1377mの伊吹山頂上を目指すのは、姉と弟夫婦そして私の4人だった。
私の車は妻が、弟の車は息子が運転して、伊吹ドライブウェイを頂上付近の駐車場まで行く。
そこから40分の緩やかなコースで頂上を目指し、私達登山組と合流する予定だ。

命水(ケカチの湧)











案内看板











登山口付近











ゴンドラ乗り場











前夜の嵐が嘘のような快晴。本当にラッキーだった。。
ゴンドラから伊吹山や琵琶湖が見渡せた。11時23分に3合目を出発。ここには「伊吹高原ホテル」があるが閉鎖中だった。
登山道は良く整備されており、1合目ごとの標識がはっきりしており歩きやすかった。
ゴンドラからの伊吹山











三合目











伊吹高原ホテル











三合目標識と私











3合目は標高715m。頂上まで約660mの標高差だ。
姉と私は山に良く登っており、弟の妻も毎日1時間歩いているとのこと。心配は肥満気味の弟だが、遅れることなく付いてきた。
リンドウやトリカブトが咲いていた。真っ青な空、伊吹山がくっきりと見える。
キキョウ











高山植物











標識











四合目











四合目











五合目











ゆっくりと休憩を取りながら2時間半で頂上に着いた。妻たちは既に頂上に着いており、昼食用のベンチを確保。
歩く











六合目











トリカブト











高山植物











九合目











日本武尊の像の前で頂上写真。妻が書いてくれた「百名山踏破」の記念のタオル。やっと10年間での日本百名山を達成。
今回は最も親しき家族・兄弟に祝ってもらっての登山だ。これまでの協力に感謝感謝。
伊吹山頂写真











伊吹山頂写真











売店でアイスクリームを買う。
3歳の孫娘は自分の足で登って得意そう。膝の悪い妻も大きなお腹の娘も40分のところを1時間半かかって登ったそうな。
帰りは皆で中央の最短コースを下山する。
伊吹山は薬草の宝庫。
伊吹薬草の里文化センターで「ジョイいぶき」の薬草風呂に浸かる。
伊吹山麓の名峰伊吹と旬の味覚のおもてなしが看板の「若いぶき」で百名山踏破の打ち上げパーティー。
先日の下見の時に予約しておいた。
日本百名山踏破記念品











姉と弟夫婦からの贈り物(馬)











全員での記念写真











大きな和室の部屋での宴会。姉夫婦と弟夫婦で私の干支にちなんで馬の像のプレゼント。又、東京の甥たちからの寄せ書き。
孫娘は私の顔と山の絵を描いてくれた。 私の顔は髭だらけ。 孫娘は私の顔と山の絵を描いてくれた











娘は「百名山 伊吹山頂」と書かれた湯飲み茶碗を買ってくれた。
妻と息子は私の百名山踏破に最も助けてくれた。毎回の登山に朝早くから送り迎えしてくれた妻。私の留守に泊りに帰ってきてくれた息子。
私の百名山踏破は家族や親しき兄弟・友のお陰で達成できたとも言える。皆さん本当に有難うございました。
記念品を前にしての全員の記念写真。
山菜料理を堪能しながらの和やかな雑談。楽しかった。

三連休の為、宿はどこも超満員。やっと南彦根駅付近のビジネスホテルだけが4室確保できた。
30分程でホテルに着いたが、やはり登山したためか皆疲れており、トランプをすることもなく寝てしまった。

10月10日(月)、今日は休日。
姉川古戦場











姉川の虎石











小谷城址











本丸跡











小谷山からの伊吹山











昼過ぎまで皆で付近の観光。まず姉川の合戦跡見学。織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の戦い。織田信長が勝利し天下人への道を切り開いた。姉の夫は大の水石愛好家。実はここ姉川には有名な虎石があるとのこと。
義兄と弟と息子は河原に降り、幾つかの虎石を探してきた。阪神タイガースの優勝の年。良い記念になるだろう。
次いで浅井長政が居城、小谷城址を見学。ここで浅井長政は自害、お市の方と茶々(後の淀君)等3人の娘は秀吉の軍門に下った。
この戦いで手柄を立てた秀吉は長浜城主となる。
最近長浜はガラスや街並み保存で有名だ。
途中で今年の阪神優勝を記念して、虎姫駅見学をした。実は姉夫婦と弟夫婦は虎キチガイ。私達夫婦も阪神ファンだがとても太刀打ち出来ない。
虎姫駅











虎神殿前でのVサイン











店屋もトラトラ











長浜での虎石











姉は虎姫駅と印刷してあるキップ等を買って子供たちへの土産。虎神殿でVサイン。
長浜市内に入る。黒壁スクェアーを散策。街中は超満員。のっぺいうどんを食べる。楽しかった。
3時半に姉夫婦を米原駅に送り、米原ICから高速に乗り、弟夫婦は生駒に帰った。
私達家族は久しぶりに妻の勤めていた会社の「嵐山寮」に宿泊。
湯豆腐の夕飯。家族そろっての団欒。可愛い孫娘。躾をしなくては成らない親でなく、無責任の為か本当に孫は可愛い。

嵐山寮の庭











10月11日(火)、大覚寺見学。何時来ても素晴らしい。大沢の池を散策。名古曾の滝跡が綺麗に整備されていた。昔は草ぼうぼうで探すのに苦労したものだったが。
名古曾の滝跡











息子を学研線の長尾駅に送り、娘親子と私達夫婦は生駒の家に戻った。

10月12日(水)、昼前に娘親子は夫の待つ藤井寺に帰る。孫娘は父親の誕生祝に「ケーキを買うの」と言っていた。 私の百名山踏破の記念登山だったが、久しぶりの家族と兄弟の楽しい近江の旅だった。



私の深田久弥「日本百名山」は終った。この10年間、100の山行きに同行してくれたのは、東京神田は「ニッピン」で買ったイタリア製の靴「ツーリスト」だった。底の張替えは一度したが良く持ってくれた。これからも現役で活躍してくれそうだ。



登山靴ツーリスト











終わり 













(記述日:2005.10.13)
(掲載日:2005.10.13)






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