南部富士ー岩手山









9月21日(土)4時起床。30分足らずで準備完了。4時26分休暇村岩手をバスで出発。5時2分馬返し着。広場で朝ごはんのおにぎりを食べ、ストレッチ体操をして、5時36分登山開始。
岩手山は噴火の兆しが見られ長らく入山禁止措置が取られていた。昨年解禁され登山に訪れる人も多いと言う。
南部富士とも呼ばれ、岩手県のシンボル的な存在の岩手山。
昨日東北自動車道から見た岩手山、八幡平から見た目の前に聳える岩手山。堂々たる姿だ。
コニーデ型火山特有の秀麗な姿を見せている。

本日の山登りは昨日とは違い本格登山だ。体が引き締まる。標高630mの馬返しから岩手山頂上2038mまで約1400mの標高差だ。
しかも頂上の山小屋等に泊るのでなく、登山口まで戻らねばならない。
私は10日程前「シリベシ山」で標高差1500mをクリアしたばかりなので心配はしていない。ただ23名のメンバーの中にはしんどい人もいるだろうなーとリーダーの気苦労を思う。
今日のコースは柳沢コースで新道(旧道でなく)を行く。
ミズナラやブナの樹間をゆっくりと進む。リーダーの田中さんはまるでカタツムリのように小股でゆっくりゆっくり歩く。
6時15分約40分歩いて最初の休憩。ここは新旧道の分岐点だ。標高840m。40分で標高差200mは1時間で標高差300mとなり、理想的なペースだ。「この調子なら全員頂上を極めるかも」とリーダーの登山技術に感服する。

6時40分1合目(標高950m)の広場を過ぎ、6時56分2合目(1040m)を通過すると赤茶色の火山礫斜面の階段の道となる。
ウメバチソウの小さな白い花が疲れを癒してくれる。
7時3分2.5合目(1075m)、7時19分3合目(1155m)で約1時間歩いて休憩だ。やはり1時間標高差300mのペースだ。皆の足取りは軽い。
7時48分4合目(1265m)、この付近からダケカンバやミヤマハンノキの低木林帯となる。
8時14分5合目(1415m)で立ち休憩。8時52分6合目(1595m)でハイマツ帯に飛び出すも、ガスの為展望はダメ。

9時21分一気に展望が開ける7合目(1765m)に出る。苦しい登りはここまでだ。10分間の休憩。皆元気そうだ。私の前を歩くT嬢も後ろを歩くI嬢もすこぶる健脚だ。9時30分出発。
あとはハイマツやミネカエデのゆるやかな道を8合目(1777m)の「岩手山8合目避難小屋」に10分間程で着く。ここには御成清水があって水を補給する。トイレがあり、無料だった。只では悪いと思い、岩手山のバッチを買う。

10時に8.5合目、10時6分に不動平(1820m)を過ぎ、10時11分に3分間の立ち休憩。
不動平から山頂へはお鉢と言われる外輪山まで砂礫の道を登る。10時27分に外輪山(1850m)到着。少し休憩し外輪稜線を辿って最高峰の薬師岳に11時5分到着。ここは標高2038m。

少々残念なのは外輪稜線を辿る時隊列が乱れたことだ。2班のベテランM氏が一班の私達を追い抜いて登っていったことだ。
又それを班長副班長が注意しなかったことに少し幻滅を感じた。



登山のパーティーではリーダーの指示は絶対だ。時々リーダーの歩いたコースを「こちらが歩きやすい」といって別の道を歩くベテランがいるがそれは間違っている。リーダーはパーティー全員の能力を把握した上で、最も足の弱い人に合わせてコースを選択している。
リーダーの歩いた道を全員が辿ることで隊列の統制がとれる。
もしベテランが「こちらが歩きやすい」といって別のコースを選択すれば、後に続く人はそのコースはリーダーが歩いた道と判断し盲目的に続く。ベテランにとってその道が歩きやすいと感じるのは良いが、初心者にとっては困難な道であったかも知れない。このことは特に岩の場合危険だ。
10日程前のシリベシ山登山の時もそういう事があり、強風とガスの為視界が利かず、先行した二人がいたことが分からず点呼で人数が合わずリーダーが蒼くなったことがあった。その二人のベテランに後でリーダーはかなりきつく叱っていた。当然である。



正味4時間半で標高差1400mを登ったことだから、時間300mの理想的なペースだ。
全員の登頂記念写真を撮る。相変わらずガスの為展望は良くないが、岩手山を全員無事に登ったことに満足。

11時28分下山開始。お鉢をめぐり30分ほどで8合目小屋に到着。ここで昼食となる。



今回は同じ道を戻る往復コースの為油断があったかも知れない。
8合目から少し降りた時、二班の方から「写真を撮るため遅れている人(例のM氏他3名)がいる」との連絡。
リーダーは「ベテランのM氏がいるから大丈夫」と歩き続ける。再度の連絡があり、待機するもM氏ら4人は現れない。
リーダーは4人を探す為、副責任者の楠原さんと空身で引き返す。「連れ戻して同じ道を降りてくるので先行しておいて」とのリーダーの指示。新しいパーティーは副責任者の園田さんを先頭に降りる。


リーダーのザックは私が担ぎ、楠原さんのザックは副班長の森田さんが担ぎ、森田さんのそれはO嬢が担いで降りた。
私のより大きなリーダーのザックを背中に、自分のは左肩に担ぎ、慎重に下山する。ザックの重さは降りのためさほど気にならなかったが、左手が自由にならず三点支持が取れなかったことが危険だった。これで滑ったりケガすれば笑い者になると一歩一歩丁寧に降った。
途中で旧道を降りている4人を谷向うの尾根筋に見つけ、戻るように手振りで示す。4人は方向を変え登りだす。
私たちは園田さんを先頭に降り続ける。時々待つもリーダー達は追ってこない。楠原さんは直ぐに戻ってきたがリーダーは戻ってこなかった。


やっと2合目で休憩中、リーダーは例の4人と別コースの旧道を通って降りてきた。
初参加の女性が二人いたので、登り返すのは疲れるので旧道を慎重に降りてきたとのこと。
山で道を間違えた時は、もう一度元来た道を登り返し、間違った場所を確認し、正規の道を降ることが鉄則ではなかったか。
そうすれば少しはしんどいが、事故の危険性が無くなる。又ベテランや初心者に山歩きの原則を教える良いチャンスだったのでは。



2合目から降ったところで、男性のMさんが足が吊って歩けなくなる。サロンパスを持っている人がおり貼ることになる。私はエアーサロンパスを持参していたので足にかけてあげる。
最後尾の岡山さんの前をMさんの後ろから様子を見ながら付いて降りる。Mさんは時々ぐらっと倒れそうになる。其の都度私は後ろから支えた。
パーティーからかなり遅れてバスが待つ馬返に戻ってきた。
色々なことがあり3時間の予定が4時間かかった。皆無事で下山出来て本当に良かった。

4時8分バス出発。本日の宿である早池峰山に近い「レストハウス峰南荘」に向かう。
バスの中でリーダーと楠原さんから本日の行動に対し注意があったが、本人達からは何の反省の言葉も無かった。

夕食後宴会となる。今回の件でリーダーが一番心配して神経をすり減らしたことは間違いない。リーダーの酒の量が増える。



食後、楠原さんと風呂に浸かっていると、例のMさんと足を吊ったMさんが入ってきた。二人のMさんは私の故郷河内小阪の近くに住んでいるとのこと。話が弾む。長老の園田さんが余りに遅い私達を心配して風呂場まで覗きに来て頂いた。申し訳ございません。

リーダーは心配の為の精神的疲れか、酒の飲みすぎか服を着たまま寝込んでしまっていた。

睡眠中リーダーの大きな寝言で数回目を覚まされたが、何時ものように直ぐに寝てしまった。寝言の中身は秘密。

今日の登山で私は登りは「記録係」を勤めたが、下りは例の出来事でザックを余分に背負って「装備係」、Mさんの介添えで「遭難対策係」を勤めたことのなるのだろうか。(下りの記録は殆ど無い)。


印象に残った深田百名山65座目だった。


(2002.9・26) 

 


       終わり 








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