東京一番高い山ー雲取山
東京に来て初めて雲取山の名を知った。東京都の最高峰(2018m)だと云う。山梨・埼玉・東京の県境でもあり,原生林に覆われた,この雲取山は東京都民の水源地でもある。
荒川の分流隅田川のほとりに住む私にとって,源流地帯の雲取山は,一度は尋ねたい山だった。まして毎日の水の恩恵を蒙っていたとは知らなかった。
山への憧れを云った私に,東京の友M氏は,登るべき山として,富士山・北岳・雲取山・大菩薩嶺を挙げた。
平成7年12月23日,この忙しい師走に山登りとは,大阪では考えられない。単身赴任の特権と割り切って,雪の状態だけを気にしていた。
池袋7時15分発に乗って,9時21分に三峰口着。バスで大輪に行き,ロープウエイの大輪駅まで歩き,10時15分始発に乗って8分程で山頂駅に着いた。10時30分出発,三峰神社の参道を直進し,登山口で郵便箱の様な箱にあるノートに記帳する。
美林の中の登りは森林浴気分で快適だった。一ノ鳥居は奥宮のある妙法ガ岳への分岐だった。ゆっくり一歩一歩登る。太陽寺への分岐地蔵峠を越え,奥地蔵に着く。
同じ歩調の同年配のカメラをぶら下げた人が絶えず先行する。ゆっくり遅れないようについて行く。
12時10分,やっと霧藻ガ峰に着いた。池袋で買った『鮭弁当』を食べる。カメラ氏は先行する。30分程休憩して出発する。
ゆるく下ってお清平に着く。ここから前白岩山まで,このコースで最も急な登りが続く。たしかにえらくしんどい。50m歩いては立ち止まって息を入れる。特に見返地蔵までがしんどかった。やっと着いたと思えば,前白岩ノ肩だった。前白岩山を越え,白岩山との鞍部にある白岩小屋に着いた。午後2時だった。
4時半には暗くなるとして,まだ2時間半ある。2時間あれば雲取山荘に着くと判断して前進する。
小屋から少しの所で,例のカメラ氏に追いつく。しんどそうだ。山荘まで4時間かけてゆっくり行くと云う。
『お先に』と云って先に行く。急に元気が出てきた。昔のワンゲル時代には,誰か一人バテればホットしたものだ。浅ましくも同じようだ。
白岩山では,2人の若い女の子に会った。山荘に泊まると云う。芋ノ木ドッケの右を巻き,大ダワを過ぎ,コメツガの原生林の中を快調に飛ばした。
午後3時半に雲取山荘に着いた。ほぼ同時に女の子も着いたが,ついにカメラ氏は現れなかった。白岩小屋に引っ返したものと思われる。
缶ビール1本飲み,炬燵に足を突っ込んで,夕飯までうつらうつらした。
5時頃暗い部屋でランプの光で食事した。30人ぐらいだったろうか。午後6時には,敷き布団,掛け布団,毛布それぞれ2枚つつ敷いて寝た。朝6時前まで,12時間程ぐっすり眠れた。
朝6時に朝食,6時半に出発。まだ暗く,頭にヘッドランプを着け,尾根道をゆっくり登る。30分で雲取山頂に着く。
ガスがかかって展望が悪い。写真1枚取って貰って,直ぐに鴨沢に向かう。小雲取山に着くころ,ガスが晴れてきた。
周りの景色をゆっくり見る事もなく,快調に歩く。出来れば鴨沢10時33分発のバスに乗りたいものと思う。雲取奥多摩小屋の脇を通り,ブナ坂を下り,七ツ石山の南面を巻いて行く。方倉谷源流帯を横切り,どんどん下る。堂所を知らないうちに過ぎ,車道を歩いて,10時に小袖川のバス停に着いた。鴨沢の一つて前だ。
朝の奥多摩湖は大変きれいだった。10時38分のバスで奥多摩へ行き,11時19分発の電車で東京に向かう。
午後1時頃,南千住に帰り,掃除,洗濯,買い物をする。山道具の手入れもして,風呂に入る。
年賀ハガキを書き,野菜スープを作り,タラと鰯の缶ずめで晩飯とする。
食後このワープロを打つ。
今回の雲取山で100名山18番目だ。今年の夏から14山登った事になる。
山の楽しさが分かって来たようだ。来年は20ぐらいはいけそうだ。
38000歩も歩いたことが良かったのか,夕方計った血糖値は115だった。
終わり
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