深田百名山踏破ー黒部五郎岳










深田百名山の最後の山は北アルプスの黒部五郎岳になった。
一昨年の北アルプス登山は、折立から登り太郎平から薬師岳を往復し、黒部川源流の薬師沢小屋に泊り、雲ノ平から黒岳へ行き、水晶小屋に泊り翌日は鷲羽岳から双六岳を越え笠岳に登り、笠小屋に泊って次の日に笠新道を降って新穂高に降りた。
黒部五郎岳は行けなかった。昨年は黒部五郎に登る為やはり折立から登り太郎平小屋で台風の為2日間停滞し、結局黒部五郎岳を目の前にして諦め、後ろ髪を引かれるおもいで折立に撤退した。
本来、北海道日高山脈の幌尻岳登山が最後になる筈が、結局先週幌尻岳を登ったため、黒部五郎岳が残ってしまった。
毎日新聞旅行社の8月6日からの黒部五郎岳登山を申し込んでいたが、そのツアーは黒部五郎だけでなく既に登っている鷲羽岳や黒岳が含まれておりあまり気乗りしなかった。
インターネットで黒部五郎岳を調べていると、「双六山楽共和国」という団体が「花の山旅 のんびり黒部五郎まで」という企画を発表していた。
その「双六山楽共和国」と言う団体は写真家の小池潜が代表であり、大統領はあの花の百名山である田中澄江ではないか。
小池さんは双六小屋のオーナーだけでなく、わさび平小屋、鏡平小屋、黒部五郎小屋のオーナーでもある。
この企画はその4っの小屋に泊りながら、のんびりと黒部五郎のカールを散策しょうとしていたみたいだ。
3日目の計画で「午後カール散策or黒部五郎岳登山」と書いてあったので申し込んだ。私も最後ぐらいのんびりと黒部を楽しみたい願望があった。
実は私の会社時代の先輩であるI氏が小池さんと親しく、一緒に黒部に登ろうとなっていたが調整が出来なかった経緯もあった。

7月28日(木)、難波のOCATバスターミナルで濃飛バス8:20発の高山行高速バスに乗り込む。高山濃飛バスセンターに13:31着。
濃飛バスの乗り合いバスで13:35発のバスに飛び乗り、15:17に新穂高温泉バスターミナルに着いた。
新穂高温泉











左俣谷











ここから本日の集合場所である「わさび平小屋」まで一人で行かなくてはならない。
橋を渡り、左俣谷沿いにゆっくりと歩く。
今回は50リットルのザックを止め、半分の25リットルにしてきた。4泊5日の山登りであるが、全て山小屋泊りであり、同じ経営者であるから便利が良いだろうとの一人合点だった。
ゆっくりと景色を楽しみながら歩くが、暑さのため汗がびっしょりと出る。
一昨年降りてきた笠新道の分岐まで1時間かかり、それから15分で「わさび平小屋」だった。
わらび平小屋(緑の服の人が小野木大臣)











受付で着いたことを知らせると、緑の服に覆われた人物を紹介された。その人が今回の企画の責任者で小野木大臣だった。
小屋の前のベンチで数人の男女が談笑していた。
私は汗だくだったので、風呂があると聞き、飛び込み汗を流した。
夕食時に分ったことは、今回のリーダーは自然文化大臣小野木三郎と自然観察大臣成瀬亮司の二人であり、隊員は80歳の大西さん、65歳の藤森さん、女性の小林さんそして私であった。もう一人男性がいたが次の朝天候が悪いと言ってキャンセルしていた。
私達山屋にとって山登りは半分が雨天であり、雨が嫌で登山中止とは聞いたことがない。
ここの山小屋の運営は小池氏の息子さんが任されていた。
メンバーと先生である大臣とは雑談したが、誰も私がカールの散策か黒部五郎岳登山か聞いてくれなかった。
聞くまでもなく今回の企画はカール散策で、無理して頂上を極めると言う考えはなかったみたいだ。
私も敢えて言わず、成り行きに任せることにした。

7月29日(金)、わさび平小屋を6時30分出発。標高は1410m。ゆっくりと林道を歩く。周りはブナ林だ。小野木三郎大臣のブナや自然に関する講義が続く。ダジャレを交えたユニークな「サブちゃん節」だ。
ブナの幹に付けられた古いクマの爪痕。雪崩による樹木の様子の違い。道路上に点々と置き去りにされた転石。
ブナの木につけられた古いクマの爪痕











高山植物











高山植物











高山植物











石に書かれた標識(穂高は新穂高とすべき?)











高山植物











高山植物











1時間半歩いて秩父沢の橋に着く。休憩。水が豊富だ。美味しかった。標高は1740m。
ここから雪渓が見える「シシウドガ原」までが急な登りと言われる。
トップは成瀬大臣、私は今回は成瀬大臣にぴったりと付いて歩く。三番手は80歳の大西さん。この順序は最後まで変わらなかった。
秩父沢の橋を渡る成瀬大臣











高山植物











キバナシャクナゲ











ゴゼンタチバナ











高山植物の花盛りだった。9時にイタドリヶ原、9時37分にシシウドヶ原に到着。30分程歩けば成瀬大臣と私が先行し、少し遅れて大西さん、大分約5分遅れて小林さんと小野木大臣、さらに送れて藤森さんというペースだ。藤森さんは山登りよりも写真を撮りに来ているみたいだ。
高山植物











高山植物











高山植物











雪渓











シシウドの芽は真っ赤だった。
シシウドの赤い芽











高山植物











途中の登山道の石の上に真っ黒な柔らかい大きな糞があった。ツキノワグマの新しい糞だという。この時期クマはシシウドや筍等山菜をよく食べていると言う。
ツキノワグマの糞(新しいもの?)











小野木大臣と成瀬大臣は生物の先生だったらしい。先輩後輩の仲で40年来の付き合いそうな。二人とも花の名前は大変詳しかった。
オオヒョウタンボク、コケモモ、センジュガンピ、クルマユリ、キヌガサソウ。クロユリも沢山咲いており、オシベノのみの花とオシベとメシベがある花のあることを教えてもらった。
オオヒョウタンボク











コケモモ











センジュガンピ











クルマユリ











キヌガサソウ











看板











クロユリ











10時半に「クマの踊り場」という場所に着いた。お花畑だった。皆写真を撮ったり、花を愛でたりと何時もの登山とは趣が違った。
私だけが登山という気分だったのかも知れない。
お花畑











鏡平小屋に11時5分に到着。弁当を食べて休憩。共和国の大臣が二人も同伴している為か、従業員のサービスが非常に良い。
畳の部屋で昼食。お茶もサービス。昼食後ごろっと横になり休憩する。
鏡平山荘看板(絵は小野木大臣作)











小野木大臣(服装は緑色に統一)











渓流











山並み











クロユリ











シナノキンバイ











高山植物











タカネシオガマ











渓流











オオヒョウタンボク











オオイワカガミ











高山植物











12時10分に鏡平小屋出発。弓折岳中断に12時半、分岐の稜線に13時25分に着いた。稜線に飛び出せば風が心地よい。
休憩











稜線を歩く











山並み











花見平に1時55分、コバケイソウの大群落。かってこの稜線は笠岳に向かって歩いたことがある。
ウサギギク











コバケイソウ











花見平











お花畑











成瀬大臣を囲んで(左から藤森さん、大臣、私、大西さん、小林さん)











あれが黒部五郎岳か?











途中で黒部五郎岳らしきものが見えた。
又時々槍ヶ岳が姿を現し、皆はカメラを構えて大休憩。
ミネウスユキソウ











ミネウスユキソウ











エーデルワイスの一種である「ミネウスユキソウ」も稜線のすぐ側で咲いていた。
普通は見落とすが小野木大臣が覚えていた。やはり共和国大臣はどの場所に今の時期何が咲いているか知っているみたいだ。
谷側の花











槍が岳が雲に隠れている











稜線











くろゆりベンチ











高山植物











クルマユリ











トリカブト











ハクサンシャクナゲ











3時30分に本日の宿である「双六小屋」に着いた。双六小屋は込んでいた。しかし我々6人には一室を与えられた。
双六小屋が見えた











ハクサンシャクナゲ











北アルプス双六小屋診療所











部屋で酒盛りをしていると小野木さんや成瀬さんと旧知な荒牧さんが訪れた。彼は写真家であったが今はコンピューターでグラフィックデザインをしているという。
成瀬さんや小林さんが作品を買っていた。小野木大臣も彼から大作を買い、個人的に応援しているようだった。
私は「黒部五郎岳のグラフィック写真はないか」と尋ねた。槍や他の山はあるがどうかと聞くので私は黒部が欲しいと答えた。
何故黒部に拘るのかと質問され、初めて深田百名山を登っており、今回の黒部五郎岳で念願が叶い、丁度百座目で踏破完了だと答える。
明日はここ双六小屋から黒部五郎小屋に行き、昼からカールに散策という段取りと、今日の登山道中で皆が言っていたので、ここらで私の意志を伝えておく必要もあった。
皆は正直言ってびっくりしたみたいだ。
成瀬大臣はそれなら自分がどうしても私を頂上に連れて行かなくてはと覚悟を決めたみたいだ。小野木大臣はじめ皆さん方は最初から苦労して黒部五郎岳の頂上に立つ積もりはなかったみたいだ。
双六小屋看板











荒牧さん











途中から小池潜オーナーも顔を覗かせ、話に加わった。小池さんの話では「黒部五郎岳で百名山達成した人は過去に記憶が無い。笠岳はよく聞くが」ということだった。
小野木大臣、成瀬大臣も共和国が建国して17年経ったが多分溝川さんが初めてでは無いかと言う。
責任重大になってきた。明日はしんどくても登らねばならないと覚悟を改めた。
皆で乾杯











又、今日29日は成瀬さんの64歳の誕生日でもあったので、誕生会と私の前途を祝しての乾杯となった。

7月30日(土)、今日の予定は双六小屋から双六岳・三又蓮華岳を越えて黒部五郎小屋に入り、昼からカール散策か黒部五郎岳登山のどちらかだ。
小屋を6時20分に出発。直ぐに急登があり中道を三又蓮華岳へ向かう。今回は双六岳頂上は巻いて中道を歩いた。途中はお花畑の連続だった。
中道を行く











コバケイソウの群落











お花畑











山並み











雪渓











双六小屋の取水設備もあった。
イワカガミ











双六小屋の取水設備











ツガザクラ











地図ゴケ











タカネマツムシソウ











槍ヶ岳や穂高連峰が良く見えたが、槍ヶ岳の三角形の頂上は雲の為なかなか姿を現さない。皆はカメラを構えて大休止。
雪渓やコバケイソウの群落、青い空と白い雲、地上の楽園だ。
標識











石に書かれた道標











雪渓を見ながら歩く小林さん











雪渓











タカネシオガマ











三叉蓮華岳の頂上で











標識











標識











丸山を通過し、三又蓮華岳を越えて10時45分に黒部五郎小屋に着いた。
昼からの天気予報は雷雨。皆は雨が降らなければカールで遊ぼうと言う感じ。昼食はおにぎりの弁当を食べる気がせず、持参したミニきつねうどんを食べた。
黒部五郎小屋











お花畑











成瀬大臣はグループを二つに分けるように提案し、私は成瀬大臣に引率され11時に黒部五郎岳に向かった。
ここ黒部五郎小屋から黒部五郎岳頂上は、標準時間で2時間半だった。
私達はゆっくりとしかし休み無く歩いた。途中から雨が降り出した。私は25リットルのザックを背負ていく。中味は殆ど宿に置いているので空身のようだった。カールに着いたが成瀬さんは休まない。雷岩を見、取り付きに到着したのは小屋から1時間10分だった。かなり早いペースでここまで来たことになる。
お花畑











岩がごろごろ











カールの底











カール内の流れ











成瀬大臣はなんとか私を頂上に立たせるべく決意しているようだ。私も期待に答えなくてはならない。
登りだし稜線近くになって私の足は遅れだした。成瀬大臣が稜線まであと15分と言ったのに、私は降りてくる人に「あと何分?」と尋ね、「稜線まで40分」との答えにガックリときてしまった。安易に慰めを求めた私が悪く、成瀬大臣に悪いことをしてしまった。
大臣に再度叱咤激励され又ゆっくりと歩き出した。直ぐに稜線に着いた。ここまで来たなら這ってでも登らなくてはと言う気持ちになった。
稜線は岩だらけだった。五郎とは石がごろごろしているから名付けられたそうな。
直ぐに頂上直下の肩についた。ここでも成瀬大臣は休もうとは言わない。ゆっくりと一歩一歩歩く。
だんだん頂上が近づいてきた。成瀬大臣は私にトップを譲り、貴方が先に行けという。私に名誉を与えてくれたようだ。大臣の配慮に感激した。ヤット黒部五郎岳の頂上に立つことが出来た。時間は12時50分。なんと私達は標準時間2時間半のところを1時間50分で登ったことになる。
やっと黒部五郎岳の頂上











頂上











成瀬大臣と私(日本百名山踏破)











黒部五郎岳三角点











頂上の祠











成瀬大臣はこれまで何回も登っているが、こんなに早いのは初めてと言う。多分新記録だと言っていた。
頂上はガスがかかっており展望は良くなかった。
しかし深田百名山を踏破出来た喜びがじわっと広がってきた。成瀬大臣のお陰と感謝の気持ちが一杯だ。
妻の作ってくれた「日本百名山踏破 2005・7・30 北アルプス 黒部五郎岳」という布を手に頂上記念写真を撮ってもらった。
今回の頂上写真は日本百名山達成の記念写真でもあった。
ガスが晴れてきた。成瀬大臣がカールに向かって「やっほうー」と叫べば、カールの底から「やっほうー」と返事があった。
別働隊がカールに着いたようだ。
ガスが薄くなるに従ってカールの雄大さと雪渓の白、お花畑の緑のコントラスが鮮やかに美しく目に飛び込んできた。
そろそろ雷様が来られる前に退散となった。頂上の祠に百名山踏破のお礼を言って頂上を後にした。
Vサイン











山並み











仲間と共に











黒部五郎岳の頂上











昨晩の夕食後のスライド上映会で、小野木大臣が百名山の私を紹介していたものだから、降る途中で数人の登山者から「百名山達成おめでとう!」と祝福された。
カールを眺める











雪渓











雪渓と頂上











雪渓











カールに降りてきたら、小野木大臣、大西さん、小林さんが迎えに来てくれた。皆喜んで、記念に一緒に写真を撮った。
カール











カールの流れ











黒部五郎岳











雪渓











雷鳥











カール











山並み











カールで暫し遊ぶ。雷鳥の親子も私を祝福しに現れてくれた。
黒部五郎小屋に戻って生ビールで乾杯。じわっと達成感と何とも言われない感激が押し寄せてきた。
その時、太郎平方面から黒部五郎岳を越えてきたツアーが到着。リーダーは既知の前田さんだった。又ツアーには山仲間の井川さんも居た。
彼も百名山達成まであと三つと言っていた。
夕食もビールで乾杯してもらった。

山並み











黒部五郎小屋とコバケイソウ











小屋の看板











夕食











小野木大臣の説明会











7月31日(日)、今日は黒部五郎小屋から三又蓮華岳・双六岳を越え、双六小屋で昼食そして鏡平小屋で泊りだ。
6時前に出発。昨日通った道を帰るので気分的に楽だ。黒部五郎岳を登り、百名山を踏破出来たことで私はルンルン気分だった。
花を愛で、山の風景を堪能しながら三又蓮華岳を登り、丸山を登り降りし、双六岳の頂上を踏んだ。頂上は広く、ここから槍ヶ岳が良く見えた。皆カメラのシャッターを切りまくっていた。
笠ヶ岳が見える











黒部五郎岳











黒部五郎岳とカール











黒部五郎岳とカール











笠ヶ岳











山並み











黒部五郎岳











三叉蓮華岳頂上











藤森さん











高山植物











双六小屋への降りはきつかった。双六小屋での昼食はカレーで最高に美味しかった。藤森さんはお替りしてもらっていた。
チシマギキョウ











クロユリの雌しべと雄しべ











黒部五郎岳











イワギキョウ











コバケイソウと雪渓











コバケイソウと雪渓











双六岳頂上











双六岳頂上の三角点











双六岳頂上からの槍ヶ岳











双六岳頂上を歩く











トリカブト











槍ヶ岳











山並み











小池潜さんも顔を覗かされ、百名山達成を祝ってくれた。サインも頂、私と先輩のI氏に土産をくれた。
2時間足らずで鏡平小屋に帰ってきた。小屋に着く寸前に雷がごろごろ鳴り出し、雨が降り出した。
今日も宴会になった
。 夕方裏の鏡池で槍ヶ岳が池面に逆さに映るとのことで見に行った。
針葉樹や雲は映っていたが、槍は確認出来なかった。

鏡平小屋の鏡池で











槍ヶ岳が池に映るのだが











池に映る空と雲











8月1日(月)、今日は小池新道を降りるだけだ。6時に出発し、ゆっくりと降りて10時前にわさび平小屋に帰ってきた。まず生ビールで乾杯し、昼食のカレーを食べた。
ここで解散の予定だったが、成瀬大臣が自家用車でここまで来ており、高山市に小野木大臣と小林さんを送り、そのあと名古屋近くまで乗せていくとのこと。大いに助かる。
新穂高温泉で、小池潜さんのお姉さんが「双六荘」を開いており、そこの露天風呂に浸からせてもらった。
汗を流し着替えて気分は爽快。風呂から上がって又ビールまで頂いた。
名古屋駅から新幹線ののぞみで京都に帰り、近鉄線で新田辺に予定よりずいぶん早く戻ってきた。
何時ものように妻に車で迎えに来てもらった。
私が深田百名山を無事踏破出来た背景には妻の絶大なる応援があったことは言うまでも無い。
低血圧で朝の苦手な妻に朝早く車で送ってもらったことは申し訳なかった。
改めて妻に心から感謝する。

今回初めて「双六山楽共和国」という存在を知った。
成瀬大臣、小野木大臣の話を聞き、森の大切さ、水や木の役割、動物や植物のことを学び、私の理想としているかわせみ農園の考え方とも非常に似通っていることを感じた。
私はこの百名山が終っても、これは新たな出発と考えようと思った。
今後シルクロードの旅は続けるとして、山関係では、近くの山を登りたいと思う。そして京阪奈丘陵の自然や文化・歴史を学び、出来れば「京阪奈共和国」を建国しても面白いではないか。
私の住んでいる生駒市高山にも拘り、最後は「かわせみ農園」を通して、地球の環境を守る為に少しでも力を尽くしたいと考えている。

雑草取りや野菜・果樹の世話もこれからは力を入れよう。椎茸つくりや竹炭・竹酢液作りにももっと熱心になろう。裏山や果樹園、森には落葉広葉樹を植え、動物たちが戻ってくるようにしょう。
夢は限りなく広がっていく。まだまだすることが一杯で気分的には「今から始まりだ」と言う感じ。


終わり 













(記述日:2005.8.6)
(掲載日:2005.8.6)






「深田100名山登山記録」ページに戻る