屋久島は南海に浮かぶ小さな孤島で、雨が多く、縄文杉に代表される自然の宝庫と考えていた。
40年前の学生時代に訪れた沖縄の「西表島」と同じようにロマンを感じる島だった。
東北の白神山地と同じく「世界遺産」に登録され、その思いを益々募らせる。
しかし遠すぎた。行く暇が無かった。そう簡単に行けるとは思わなかった。
数年前、深田百名山に屋久島の宮之浦岳が入っていることを知り、行く為の計画を模索するようになった。
今年、サンケイ旅行会で「世界自然遺産登録・宮之浦岳登山」があった。早速申し込んだ。
11月16日(土)、午後4時半大阪南港フェリーターミナル待合所集合。総勢73名、「縄文杉登山」グループを入れると150名程。
大阪南港から宮崎に寄って沖縄に行く船が、150名の為、5分間だけ「宮之浦港」に泊ってくれるという。6500トンの船名「ニューあかつき」。
リーダーは9月末に「大雪山」に連れてもらった岡本さん。サブは田中さん。
2等ベッドの同室者は「北岳」を一緒に登り、後日E−Mailをやり取りしているNさん。偶然だった。
17時45分出港。明日の午後2時半に宮之浦港に着くという。21時間一寸の船旅。ほぼ丸1日かかると言うことだ。

太平洋の海原から出てくる朝日は、山のそれとは趣が違い荘厳だった。
同室の68才のYさんとも親しくなる。NさんYさんと山談義。畑や植木等四方や話。船の中は、晩飯・朝飯・昼飯と食っては寝る単調な時間。

11月17日(日)午後宮之浦港に着。バスで早速「屋久杉自然館」に行く。屋久島のこと、屋久杉について、世界遺産とは、自然保護・環境保全について数多く学ぶことが出来た。詳しくはインターネットで。
「屋久杉自然館」・
「インターネット自然研究所」。
宿泊先は連泊で「宮之浦・田代別館」。風呂に浸かり、夕食はトビウオのさつま揚げ等大変なご馳走。明日はいよいよ待望の「宮之浦岳登山」。朝の4時起床。5時出発予定。早く寝る。

11月18日(月)快晴。良かった。ついている。「浮雲」をここで執筆した林芙美子は「屋久島は1ヶ月に35日も雨が降る」と言ったそうな。
宮之浦岳への登山道は幾つかあるが、小屋に泊ることなく日帰りする為には、今回我々が登る「淀川登山口」からの道のみらしい。
安房から淀川登山口(標高1350m)まで林道がある。

6時50分歩き出す。73名の大所帯だ。やはり女性が多い。先頭グループの後方を付いて行く。
宮之浦岳は標高1936mなので、標高差は600m程だ。しかし5時間掛かるという。多分アップダウンがかなりあるのだろうと推定
歩き出して直ぐに、屋久杉にぶつかる。それも半端な数ではない。

杉の寿命は普通500年らしいが、屋久杉は数千年も生きる。1000年生以上を「屋久杉」と言うらしい。それ以下は「小杉」だ。
屋久島は花崗岩で出来た島。養分の少ない岩に根を張った杉は500年経っても直径数十センチにしか成長しない。成長出来ないのだ。
しかし若いとき苦労して生き残った杉は、緻密な丈夫な木として力強い生命力を授けられるらしい。人間と同じだ。
それに一日に1000mmも降る雨。
自然界では、日の光を好む杉は、それが少なくても育つブナに取って代わられるのが普通だが、ブナは大隈半島まで南下したがここ屋久島までは来れなかった。それが幸いしたと言う。

薩摩藩の領地となった屋久島は、屋久杉で矩形型の屋根材を作り、年貢として収めたそうな。平木と言う。
真っ直ぐな屋久杉を倒し、その場で加工して、人の背で海岸まで下ろしたらしい。
加工に不適な曲がった巨木が「屋久杉」として現在に生き残っているとも言える。

暗い鬱蒼とした苔だらけの森に、シイやカシ等の照葉樹林、ツガやモミ等の針葉樹が混在して生えている。
道の両側は正しくこの自然林本来の姿だ。ここ数年多くの山を歩いているが、これほどの森は見当たらない。人の手の加わったことのない原生林でもない。500年前から杉は伐採され、利用されてきたが、切り株更新で大きな「小杉」が成長している。復元力が凄い。
「もののけ姫」の舞台になる筈だ。

45分歩いて「淀川小屋」に着いた。登ったり下ったりした為か、標高は殆ど変わらなかった。時間がかかる筈だ。
1時間ちょっと歩いて「花之江河」(標高1655m)に着いた。尾瀬ヶ原と同じような高層湿原だ。奇形化した屋久杉が佇む風景は日本庭園みたいだった。
寒くなってきた。防寒着としてゴアテックスの雨具の上着を身につける。
屋久島は海岸付近は亜熱帯だが、宮之浦岳等奥岳は北海道の気候だ。つまり小さな島だが、日本の北海道から沖縄までの気候が垂直分布している。10日程前には宮之浦岳頂上付近は40cmの雪が積もったらしい。

標高1831mの「黒味岳」への分岐を過ぎ、1時間程で「投石岳」(標高1830m)の頂上へ着いた時は、風が強く暴風雨の様相を呈していた。
手袋をしているが手がかじかんでしまっている。岩陰に逃避する。10分間休憩。
安房岳(標高1847m)・翁岳(標高1860m)の裾を巻き、栗生岳(標高1867m)を通り、宮之浦岳の頂上に着いたのは、11時45分だった。やはり5時間かかった。しんどくは無かったが、やはり足にはかなりの負担がかかったみたいだ。
ガスの為展望はゼロ。風が強く寒い。雨が降っていないだけ幸せ。頂上写真を撮って直ぐに退散。

下りは休憩無しに一気に降りる。早く降りたグループのみが1台目のバスで「紀元杉」を見れるとのこと。
3時間半でバスに戻った。
「紀元杉」は樹高19.5m、胸高周囲8.1m、樹齢3000年。つやのある幹は神々しく、大きさと力強さは私を圧倒した。
今回「縄文杉」は見れないが、今度は妻を連れて長期滞在し、屋久杉を見て回りたいものだと思った。
宿に戻り、風呂に浸かり、サウナで汗を流した。宮之浦岳に登れたことで皆も大満足。晩飯は舞台で踊りもあり、宴会だ。
11月19日(火)朝食を宿で取り、麦生の千尋滝を見学。目の前の「モッチョム岳」は存在感があった。
土産物屋で名物の芋焼酎を買い、記念に屋久杉の花台を求めた。
出港時間が1時間程遅れたので、「屋久島環境文化センター」に寄り、大型映像ホールでダイナミックな屋久島自然紹介の映像を見た。

昼の12時半出港。昼と夜の弁当を食べ、朝は非常食を整理する。11月20日(水)朝8時半南港に到着。地下鉄で生駒に9時半着。
迎えの妻の運転で高山の我が家に帰る。5日間の留守なので愛犬ダンが飛び掛って喜びを表す。
今回の「宮之浦岳」で百名山は72座だ。今シーズンで25座登った。9月1ヶ月で10座登ったことといい、今年は山に狂った年とも言える。シルクロードの旅も、世界遺産の旅もしたいし、タイのスコタイやカンボジアのアンコールワットでロングステイも経験したい。
畑を耕し、果樹園の手入れもして、「かわせみ農園」も「ほんまもん」にしたい。
したい事・すべき事が一杯あることは幸せな事と言えるだろう。
私の今シーズンの山はこれでお終いだ。来シーズンはまず難しい山と言われている「幌尻岳」・「トムラウシ」・「朝日岳」・「聖岳と光岳」を登りたいものだ。
終わり
(記述日:2002.11.20)
(掲載日:2002.11.20)