深田百名山完登まで残りは五山。幌尻岳・黒部五郎岳・空木岳・常念岳・瑞牆山。
常念は今月半ばに毎日登山会で予定している。空木は8月末、幌尻岳・黒部五郎岳は9月に予定。ただ瑞牆山は11月に毎日登山会で予定しているが、既に登った金峰山・甲武信岳と一緒なので日にちが多く、又登山費用も高い。
今回は久しぶりに車による単独行を考えた。山梨県の奥秩父なので自分ひとりで運転して行けば、数時間はかかるだろう。
疲れて登れば危険なので、瑞牆山麓の「瑞牆山荘」に予約を入れた。
6月29日(火)、真夜中の2時に我が家を出発。車は昨年の夏、クーラーが利かないクラウンに見切りを付け、買った中古車のホンダ四輪駆動車CRV。初めての遠出。調子が分らない。長時間の運転と久しぶりの単独行に心配する妻。
「無理はしないから、場合によっては車で仮眠する」と家を飛び出した。普段の山道具とは別に車にクーラーと毛布を積み込んだ。
家から10分で京奈自動車道の田辺西ICから高速に入る。大久保で地道に降り、巨椋ICで京滋バイパスに再び入る。名神高速に瀬田東ICで合流し、3時に多賀SAで15分間の休憩とガソリン補給。今回の旅行で82リットル(3回給油、合計約9千円)使った。全工程約900kmなので、燃費は11km/リットル。悪くは無い。費用は10円/km。
朝早いためか車は空いている。殆どが営業用の大型車。日本の動脈を走って、経済を支えている真夜中の運転手。次々と追い越しを掛けて抜いていく。
恵那峡SAで30分間の休憩と牛丼を食べて馬力を付ける。久しぶりの牛丼は美味しかった。小牧JCTで中央道に入り、諏訪湖SAで40分程仮眠する。
須玉ICで高速を降りたのは、7時12分だった。家からここまで約380km。高速375kmを217分で約100km/時間で飛ばしたことになる。
この須玉ICから国道141号線を北に向かい4っ目の信号を右折して、増富ラジウムラインに入り、塩川ダムのあるみずがき湖の横を通って、「通仙峡」を東に向かい、金峰山登山の帰りに寄った「増富ラジウム温泉郷」の温泉街を通り抜けた。





ここから本谷川渓谷が始まり、美しい渓谷美だった。鯨石・恐滝・雁音滝等を見て、右手に「みずがき山リーゼンヒュッテ」の看板を確認し、クリスタルラインを北上し、金山平を通って「瑞牆山荘」に8時10分に着いた。金山平でやっと瑞牆山の頂上がちらっと確認できた。約1時間かかったことになる。
深田は言っている。「この山は岩峰の集合体とでも言うべきか。岩峰群を持った山は他にもあるが、瑞牆山のユニークな点は、その岩峰が樹林帯と混合しているところである。まるで針葉樹の大森林から、ニョキニョキと岩が生えているような趣である。」
「瑞牆山荘」に到着を告げ、駐車場で山支度をする。30分程の仮眠があったとしても約6時間の運転後なので当初はここで2〜3時間ほどの睡眠を取ろうと思っていたが、20名ぐらいの団体の登山客が体操を始めたので、私も一緒に登ろうと気が変わった。

午前9時にスタートする。この登山口は標高1520 m。瑞牆山は標高2230mなので標高差は約700m。最近登っている百名山からすれば約半分の標高差だ。軽い気持ちで登山開始する。



樹林の道をゆっくりと登り、急登になって林道に出た。林道を横切り、再び急斜面を登って尾根上に出、富士見平に着いた。ここに富士見平小屋があり、前後して登っていた横浜の登山者と世間話をする。普通の標準タイム45分のところを35分で登った。



小屋から右への道は金峰山へ。私は左への道を行く。緩やかに上下しながら、小川山への道を右に分け、急斜面を下って天鳥川の源流地帯に出た。ここまでは標準30分のところを25分で歩いた。かなりの早いペースで、このことが睡眠不足と重なって後半苦労することになった。





川を渡り木の梯子を登る。岩や木の露出した急斜面を攀じ登り、倒木を跨いだり、岩の間を通ったりしながら、時々道を見失い、戻ったりしながら進んだので汗がびっしょり。かなり疲労困ぱいしてきたのが自分なりに分った。

大ヤスリ岩と呼ばれる岩頭の基部に着く。そこから尾根に出て、黒森からの道を合わせ、樹林を抜けると瑞牆山頂上(標高2230m)だった。11時6分。天鳥川から約1時間15分もかかった。標準は1時間なので、かなりばてていたことになる。



ここで先行していた横浜氏から「最初飛ばしすぎたから」と慰められた。
ミニ天ぷらうどんをお湯を注いで食べる。途中のSAで買ったメロンパンも一つ食べた。
ここの展望は360度。まず目の前に大きな金峰山。五丈岩もはっきりと確認できた。
金峰山の右側には富士山も見える筈だが霞がかって見えなかった。八ヶ岳や南アルプスの甲斐駒ヶ岳もぼんやりとではあるが確認出来た。







高山植物も彼方此方にあった。ホンシャクナゲの薄いピンクがかった花は素晴らしかった。


12時頃に頂上と横浜氏に別れを告げ下山開始。早く風呂に浸かり、生ビールを飲んで眠りたかった。
帰りは快調に飛ばした。2時間以上かかるところを、休憩無しに1時間半で下山した。

午後1時半に瑞牆山荘に戻ってきたが、風呂は2時からとのこと。部屋は個室でゆっくり出来た。二食付きで8300円だった。

風呂に浸かり、汗を流しテラスで焼き餃子とおろし茸を肴にビールを飲んだ。
前の席にシロツメグサで冠を作っている女性が居たので話しかける。
私と同じ9時ごろ登りだしたが、自分はしんどくなって天鳥川で引き返したとのこと。同伴登山者をここで待っているという。
同伴者は男性二人。一人は旦那と分る。私が下山途中で会ったかなり疲れた二人組みと見当をつける。あれから登って降りてくるのは多分あのペースなら下山は午後4時ごろと教える。
4時過ぎに二人組の姿が見えるまで、彼女と山の話や人生(?)の話を屈託無くしゃべる。少しアルコールが入っていたからかもしれない。
5時半から夕食。登山の団体客以外は私と50台の夫婦連れだけだった。夫婦は自営業で明日瑞牆山に登るという。これから深田百名山に挑戦したいというので、いろいろとアドバイスする。
8時前にもう一度風呂に浸かり、ぐっすりと眠る。夜中に一度も起きなかった。


6月30日(水)、朝5時半朝食。
6時出発。折角ここまで来たので、深田久弥が急逝した場所として有名な「茅ヶ岳」に登ろうと思った。登山支度で出発。
途中に金山平があり、奥秩父の草分けとも言うべき木暮理太郎氏は、この金山の高原が好きだったらしい。そこに木暮さんの胸像があると深田久弥は「日本百名山」で書いている。





金山平で車を降り、彼方此方探したが結局分らなかった。金山荘や有井館等を覗いたが、誰一人居なく聞くことも出来なかった。
ただこの辺は昔の金山だったらしく、金を精製するための石臼を見つけることが出来た。又天然のイワナを飼っている水槽もあった。
木暮さんの胸像は又の機会にすることにして、茅ヶ岳登山口に向かう。
増富ラジウムラインの孫女トンネルを左折し、大穴トンネルを越えた穂坂で左折してまっすぐ行けば登山口に着いた。
駐車場から直ぐに「深田記念公園」があった。深田の言葉「百の頂に百の喜びがある」が石に刻まれていた。
又深田久弥と茅ヶ岳という看板もあり、読んでみたら深田は頂上直下で登る途中で脳出血で倒れたそうな。
台風の影響か空はどんよりと曇っている。一雨あるかも知れない。公園からは茅ヶ岳の雄姿が良く見えた。あの辺で深田久弥は亡くなったのかと思うに感無量だった。









私は「日本百名山」の著者としての深田に興味もあるが、彼の晩年心血を注いだ中央アジア史、中でもシルクロードの著作に興味がある。
彼はシルクロードを歩き回り幾多の著書がある。もっと調べたかったろうと氏の無念を思った。
あれこれ考えている内に、深田も登っていない(頂上を極めていない)茅ヶ岳に登ろうとする意欲が無くなっていた。
平日でもあり誰一人居ない公園で、仲間のいない単独行を危惧する妻の声が蘇った。
本当は昨日の早朝からの無理がたたり、体調がもう一つはっきりとしなかったことが原因と思う。
山は逃げないし、百名山達成後にゆっくりと登ったら良いと考えた。

駐車場に戻る道に桑の実がたくさん落ちていた。わが「かわせみ農園」にも桑を着かそう。昔、私の先祖は大江山で蚕を飼って絹を作っていた。
シルクロードとは「絹の道」であり、昔は彼方此方に蚕の餌となる桑畑があったそうな。
中央道の韮崎ICから高速に9時50分に乗った。八ヶ岳PAでガソリンを補給し、中央道原PAでアイスクリームを食べ、長野県の最南端の阿智PAで「かきあげうどん」を食べた。養老SAで仮眠しょうと思ったが、あと1時間半で家に戻れると思ったら、早く帰って家でゆっくりと寝たいものと考えが変わった。

高速は空いており、気持ちよく運転出来た。
高山の自宅に着いたのは丁度1時半だった。約3時間で帰ったことになる。
高速代は往復約17,000円。ガソリン代は約9,000円。宿泊代は8,300円。雑費は約4,000円。合計で38,300円。11月予定の毎日登山会の費用が雑費を除いて69,800円なので約半分の費用で登山出来たことになる。
今回の瑞牆山登山は山登りそのものより、車を使っての初めての登山経験ということで非常に有意義だった。
百名山もこれで96座となった。
今年中に幌尻岳の登山道が回復すれば、私の百名山も完成するだろう。
しかしこればかりは人任せの為、よしんば道が回復せず来年になってもそれもまた良いではないか。
終わり
(記述日:2004.6.30)
(掲載日:2004.7.1)