男体山登山






平成8年10月11日、東京にて営業部門長会議が開催された。
今回はセレモニーを少なくして、実質的な討議の時間を取るべく、官庁・民間に分かれての分科会に時間を割いた。
5時間の官庁部門の司会を仰せ付かった。社長・副社長・専務等役員及び各店の官庁担当部門長20数名の会議は気の使う骨の折れた会議だった。終わってほっとした。

O営業総本部長専務とY常務の3人で銀座へ飲みに行った。へたな歌を3曲ばかり歌った。
12日、二日酔いで11時ごろまで寝ていた。

今日は男体山登山の日、12時半秋葉原集合ではないか。跳びおきて山の用意をする。慣れたもの、10分程で準備完了。
12時南千住出発。12時25分バスに着く。池袋経由で東北自動車道を宇都宮に向かう。中禅寺湖畔の中禅寺ホテルに午後4時ごろ入る。

昨年妻と娘の3人で中禅寺に泊まり、華厳の滝、戦場ケ原を散策した為、懐かしい思いがした。

同室者は同年輩のKさん、二人で6畳とは豪勢なものだ。取りとめも無い山の雑談をして、温泉に浸かる。
夕食は一人前の豪華版だった。ビール2本を二人で飲んだ。殆ど私が飲んだのに割り勘とは悪い気がした。
総勢31名、3分の2は女性だ。さすがAクラスに挑戦するだけあって、女の人といえども皆きりっと引き締まったいい顔をしていた。
天気は崩れて来ている。明日登れるかどうかは五分五分だ。心配しても始まらない。午後8時に寝ることにして電気を消す。
うつらうつらしていたら、ぐらぐらときた。地震だ。跳びおきようとしたが、お隣りさんを起こしてはとじっとしていた。

朝、目を覚ませば快晴。目の前に中禅寺湖がはっきりと見え、今日登る予定の男体山が頂上まで遮るものもなく前景をあますことなくさらけだしてるではないか。
頂上は手の届きそうな所にある。標高差1200mもあるとは、とても思えない。
二荒山神社の境内から登りだす。今日の添乗員は近田さん。

8時出発。急な階段を5分ほど登る。石の鳥居が現れ一合目と書いてある。ここから樹林の中の急斜面を登っていく。30分ほど休みなく登る。かなりきつい登りだ。汗が身体中から吹き出す。皆もくもくとよじ登る。落伍者はいない。さすがAクラス。
三合目から4合目はアスファルトの自動車道で楽をさせてくれた。4合目から又急な登り。5合目に9時25分着いた。標高1800m。600mも登ったことになる。約半分だ。

8合目標高2220m、10時45分通過。9合目手前、標高2300m、10時55分休憩。
皆かなりしんどそうだ。私はちっとも疲れてない。
あと頂上まで200m足らず。近田さんを先頭に登りだす。パーテイの中頃から歩きだすが、殆どの人が添乗員に付いて行けづ、追い越していく。ただ一人の女性がしっかりと付いているので、その女性に敬意をはらって二番手で頂上に着く。
11時25分、休憩を入れて3時間半だ。

三人で握手する。1200mの高低差を一気に登って来た感激はなにものにもかえがたがった。
二荒山神社奥社にお参りし、頂上の大岩まで行き、断崖上の太郎山神社から、この前に登ったひうち岳を拝み、目の前の雄大な太郎山に目を奪われた。
大真名子山・小真名子山の向こうに見えないが女峰山がある。これらは男体山を主とした家族の山のようだ。
昨年家族で歩いた戦場ケ原がはっきりと確認でき、湯の湖も見え、側の湯元の町並みも見えた。
何といっても日光白根山の姿が抜きんでていた。来年はぜひとも挑戦したいものだ。100名山の皇海山もその特異な姿を見せている。
眼下の中禅寺湖の美しさ。今日の展望は最高だ。

貰った昼食を米屋さんと二人で食べて、12時15分下山する。
登りと違う女性がすごい速さで下っていく。足元に気をつけながら、軽快に付いていく。その女性に敬意をはらって二番手で下り降りた。

登り3時間、下り1時間半が私のペースかなと思った。足の達者な自分に自信がつく。
昨日泊まった中禅寺ホテルで温泉をもらい、それほどの渋滞にも遭わず、8時過ぎに南千住に帰って来た。
100名山のうち26番目の山だった。
紅葉が素晴らしく、展望に恵まれた日光男体山登山だった。

(1996.10.14)

終わり






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