38年ぶりの奥穂高岳登山
大阪の河内平野に生まれ育った私にとって、山との縁は六甲や生駒・金剛のハイキング、仁川や私市のボート遊びだった。
ワンゲル部で比良山に重たい荷物を担いで登ったのが山らしい山だった。
「こまくさ」という山岳会に入っていた姉に連れられて、有馬道場の「百丈岩」をロープで懸垂して降りたのが只1回の岩との接点だった。
会社に入って先輩に連れられて登った北アルプスの表銀座縦走コースが初めての登山らしい山登りだった。
中房温泉から燕岳に登り、燕山荘に泊まり、朝早く出て大天井岳から喜作新道を通って槍ヶ岳に登り、槍ヶ岳山荘で一泊、次の日は大喰岳・中岳・南岳の難コースを経て北穂高小屋に泊まった。北穂高岳に登り奥穂高岳に登って精力を使い果たし、穂高岳山荘に泊まり次の日は前穂高や西穂高に行く元気は無く、白出沢コースを下った。その日は焼岳麓の中尾温泉に泊まり、会社にもう一日休みを申請し、一日中岩魚を釣るべくボケッと遊んだ。
百名山完登が近づくにつれ、40年前に登った山に登り返すことにし、先日は白馬岳に登ってきた。
今回はアミューズトラベル会社による「奥穂高岳から前穂高岳縦走」コースを申し込んだ。
8月19日(木)、新大阪駅に7時半集合。「のぞみ」に乗って名古屋駅で降り、名古屋空港で九州からの参加者と合流。総勢34名の内殆どが九州勢だった。人数が多いので二班に分け、私は福岡県以外の九州勢グループで16名だった。リーダーは菊川さん、添乗員は安部さん、そしてサブリーダーとして中川さん。
私はアミューズトラベル会社に参加するのは初めてだったが、Iさんという山仲間がいて安心した。
小牧ICから東海北陸自動車道に入り、飛騨清美ICで降り、平湯まで行く。そこでシャトルバスに乗り換え上高地に入った。
自然保護の為公害を出さぬように配慮した処置で私は賛成だ。


上高地は標高1500m。準備体操をして梓川沿いに明神に向かって歩き出す。先日常念岳へ登った時と全く同じだ。


明神池まで約1時間。岩陰にオコジョの姿を見たり、森の中の猿を確認したり結構楽しい道中だった。
明神から本日の宿「徳澤園」までも約1時間の森の中の散歩だった。途中徳本峠への道を右に見た。昔は上高地へは島々からこの峠を越えてきたそうな。

「徳澤園」は井上靖の小説「氷壁」の舞台で、宿の看板に「氷壁の宿徳澤園」と書いてあった。
バスでお隣に座った長崎から来られた大先輩の渋谷さんと親しくなった。先輩は山に関しては私より大ベテランだ。楽しく山談義をする。
ここ徳澤園には風呂があり、ゆっくり浸かり疲れをとる。
実は3日前に白馬岳を下って蓮華温泉で生ビールのつまみに食べた「どて焼き」が当たったのかこの二三日腹の調子が悪かった。
夕食に何時もは飲むビールも欲しくなかった。今日は早く寝て、明日の朝の調子では無理はしないでおこうと決めた。



8月20日(金)、5時半起床。充分睡眠を取ったせいか体調は良い。腹具合はもうひとつだが何とか歩けそうだ。
体操をして7時6分出発。屏風の頭ヘ行くパノラマコースの「新村橋」を過ぎ、横尾までゆっくりと歩く。梓川は前日の雨のせい水の量が多い。新田次郎の小説の舞台である「横尾」や「梓川」を楽しむ。梓川沿いのこの道は最高の散策道だった。
横尾山荘でトイレを借りる。途中の山小屋で用を足したのは初めてだ。


私はかの有名な「涸沢」を知らない。どのような場所なのか。そこから眺める穂高は。涸沢族と呼ばれる登山者はどのようなテント生活をしているのだろう。
何とか涸沢までは付いていき、どうしても無理なら涸沢で沈没してもいいではないかと腹を決めた。
本谷橋が近づくにつれ、山岳小説で有名な屏風の岩が迫ってきた。梓林太郎の「穂高屏風岩」という小説もある。




高山植物を愛でながらゆっくりと歩く。何時ものようにパーティのラストを歩く。
本谷橋を超えてやっと登山道らしくなり、高度を稼ぐ。常念や蝶ヶ岳の姿が見えてきた。
横尾山荘から3時間で涸沢の分岐に着いた。天気は回復してきており、展望は良い。
屏風の頭ヘ行くパノラマコースを左に見て、涸沢ヒュッテを通過し、涸沢小屋で休憩。ここでもトイレを借りた。腹の調子は良くなってきているみたいだ。奥穂高を目指すことにする。
小屋のテラスから青空をバックにした北穂高の山々やあの有名な大キレットもすっきりと見えた。
40年前私は何も分らずにあの大キレットを歩いたのかと思うと感無量だった。








涸沢のテント群は思っていた程無かった。最近はこんなものかどうかは知らない。青空と穂高の山をバックにした青や黄色や赤のテントは
カールにマッチしていた。こんどはゆっくりとここにテントを張りたいものと思った。





ここから見た奥穂高岳から前穂高岳への吊尾根は見事だった。明日私はあそこを歩くのかと思って身震いした。











涸沢は標高2300m。ここからサイテングラードを登った。岩場というよりザラザラした道だった。猿の家族がのんびりと日向ぼっこをしていた。
穂高山荘は中々現れなかった。最後はごつごつした岩場を登ってやっと山荘に着いた。午後2時半だった。今日はここ泊まりだ。











夕食前に涸沢岳への往復があったが、私は40年前に登っており、無理をしないためにパスした。
談話室で渋谷さんとビールで乾杯。
今日の夕食にもビールは飲まず。直ぐに寝る。

8月21日(土)、雨は降ってはいないが防寒の為雨具を着ける。今日は奥穂高岳から吊尾根を通って前穂高岳を目指す。

6時10分に山荘を出発。小屋から直ぐに鎖や梯子の難所だ。きつい登りが続いたが40分程で奥穂高岳(標高3190m)頂上を踏む。
40年ぶりの頂上だ。ガスがかかっていて展望は良くない。
記念写真を撮ってすぐに前穂に向かう。








吊尾根は結構きつい岩場だった。私はこのような岩場が好きだ。鎖やロープは怖くない。パーティーの女性は鎖やロープにしがみつこうとしていた。
本当は登りは補助的に使い、下りは軽く持ち、足を岩に垂直に立てなるだけ体を岩から離して岩を蹴るような感じで降りればと思う。

3時間ほどかかって紀美子平に着いた。穂高を開発した重太郎さんの若くして亡くなった娘さんの名前らしい。
ここに荷物をデボして、前穂高頂上をピストンした。


ここから重太郎新道を通って、岳沢ヒュッテを目指す。



上高地が良く見えた。岳沢ヒュッテの赤い屋根も近くに見えたが中々近づかない。
この下りはかなりきつい岩場の連続だった。高山植物が美しい。




カモシカ立場まではきつく、それ以後は楽だった。2時間ほどで本日の宿「岳沢ヒュッテ」に着いた。







8月22日(日)、岳沢ヒュッテを6時45分に出発。下りの道は整備され歩きやすい。
ホタルブクロや様々の高山植物を愛でながら2時間ほどで上高地に着いた。
梓川の清流が素晴らしい。岩魚の姿が彼方此方に確認。












河童橋で1時間ほど休憩。ここから吊尾根や西穂高のジャンダルムが見えた。明神岳も人を寄せ付けないような感じで屹立していた。




平湯温泉で汗を流しほうとう弁当を食べる。

平湯にはちょっとした思い出があり、平湯神社にお参りした。


名古屋から新幹線で京都まで帰り、新田辺まで妻に車で迎えに来てもらう。
楽しかった40年ぶりの穂高だった。
終わり
(記述日:2004.8.24)
(掲載日:2004.8.24)
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