深田百名山は東北地方に14座ある。
朝日連峰の主峰である大朝日岳にはまだ登っていない。結構しんどい山と聞いていた。
9月5日から毎日旅行で二泊三日の計画があると聞き、直ぐに申し込んだ。
登山日の9月6日は天気予報では雨模様だが、行って見なければ分らない。
9月5日(金)朝10時過ぎに関西空港に行くも誰もいない。全日空カウンターで搭乗券をもらいザックを預け出発口に行く。
カウンターでの話しでは9人とのこと。待っている間に旧知の男性Aさんと女性のYさん・Sさん。男5名女4名のパーティーだ。
庄内空港に12時半に着くと、リーダーの吉永さんが待っていた。
吉永さんとは、聖岳・光岳と北アルプスで一緒だった。

月山湖の側を通り、朝日鉱泉のナチュラリストの家に着いた。直ぐに鉱泉に入って汗を流す。湯はこげ茶で温泉らしい。木造の家だが、古い趣がある。御主人の中澤さんは優しく迎えてくれた。




9月6日(土)朝3時半起床。今日は朝弁当と昼弁当の2食を持って出発とのこと。朝弁当のおにぎりを一つ食べる。
出来るだけ荷物を軽くする。
雨模様の為、雨具の上下からスパッツをつけ、ザックカバーもして完全装備で4時半出発。
未だ暗くヘッドランプをつけゆっくりと歩く。吊橋を渡り中ツル尾根コースをとる。
雨が本降りになってきた。視界は暗く殆どない。皆もくもくと歩く。2時間足らずで二股の出合に着く。ここまではどちらかいうと平坦な道だった。
二股からは急な登りだった。吉永さん曰く45度の急登が続いた。一人の男性が遅れだしたが、私は何とも無かった。
30分ほどで尾根筋に出た。長命水まで二股から1時間一寸かかった。
ここから大朝日岳までは地図の標準時間は3時間だ。中ツル尾根へ出たら、風が強く暴風雨だった。吉永リーダーの話では前の台風の時よりひどいらしい。
私は風と格闘しながら、リーダーの撤退の声が出ないかが心配だった。折角ここまで登ってきて引き返すのは口惜しい。
皆の足は流石に健脚だった。


10時過ぎに大朝日岳(標高1870m)に登頂。何も見えない。1等三角点があった。
頂上写真を撮って直ぐに下山開始。
予定では小朝日岳から鳥原山を下る予定だったが、非常時のため来た道を引き返すピストンとなった。多分周遊コースは谷の増水で渡れないらしい。
帰りの樹林帯まで降りて昼食となる。
下るに連れてガスが無くなってきた。少しではあるが太陽が顔を覗かす。小朝日岳や鳥原山がはっきりと見える。
しかし大朝日岳は姿を見せてくれなかった。朝日鉱泉ナチュラリストの家の白い屋根が下山途中に何時もはっきりと確認できた。
見印がある下りは歩く張り合いが出来る。
登る途中は雨と風のため必死だったが、余裕の出来た下りは、周りのブナ林や高山植物を楽しんだ。



ハクサンイチゲやタカネマツムシソウ。



ブナの実とトチの実を拾った。




家に帰ったら、裏の里山に植えることとしょう。




帰りは5時間ほどで朝日鉱泉に帰ってきた。まず温泉に浸かり、汗を流し下着までびしょ濡れになった衣服を着替える。
生き返った気持ち。






ナチュラリストの家のテラスで雲に殆ど隠れてはいるが、大朝日岳を正面にビールで乾杯。



夕食の後、リーダーの部屋で又宴会。女性のYさんは今回が百名山99座で、来週の皇海山で達成とのこと。女性のYさん、男性のKさんは90台。他の人たちも皆百名山達成までもう少しの人達だった。

9名の内二人はこの前の幌尻岳の台風による登山道決壊の為、ヘリコプターで脱出した人だった。
私を入れて3名はこの前北アルプスの心臓部を縦走した人だった。
今回のメンバーは粒が揃っていた。女性陣の頑張りは敬服に値する。







9月7日(日)、今日の帰りは夕方の飛行機の為、山形県の観光となる。
松尾芭蕉の最上川舟下り、羽黒山の参拝と昨年私は経験していたが、皆と付き合う。

今日登った大朝日岳岳で深田100名山は85座目だ。
今の予定では、今年はあと9座行こうと思っている。シーズンは11月初めまでだ。
幌尻岳の登山道が復旧整備されたら、来年中には深田百名山は達成しそうだ。
そんなに急いで登らなくてもと言う意見はあるが、一つの目安として取り合えず完成させておきたいものと思う。
終わったからと言って、目標が無くなる訳でなく、まだまだしたいことが一杯ある。


終わり
(記述日:2003.9.8)
(掲載日:2003.9.8)