大峰山登山






大峰山の八経ガ岳は標高1915mで近畿の最高峰である。
いつかはとは思っていたが、山が深く、手が出せず、車で登った大台が原から眺めるだけであった。
深田100名山30番目の山として挑戦することにした。念の為、弥山頂上付近の「弥山小屋」を確保して、1997・9・20午前6時、我が家を一人で出発する。
国道24号を南下し橿原で169号に入り大淀迄行き、吉野川にかかる千国橋を渡って国道309号笠木峠、川合を経て行者還トンネル西口に着く。途中弁当を買ったり、弥山川双門滝コースの登山禁止看板を読んだりしていた為、約3時間半かかった。
川合からの道は国道とはいえ一車線で絶えず待避所を確認しながらの気の折れる走行だった。

トンネル西口の駐車場で弁当を食べ、仮眠して疲れを癒そうとするが、早く山に浸かりたく10分程うとうとして、午前10時MILETの18l小型リュックを担ぐ。
西口は小坪谷の最奥で標高約1100m。橋の手前から沢沿いの山道に入り、少しして小沢を渡り尾根に取付く。
沢からいきなりの急登である。初めブナ林の中を行くが、やがてシャクナゲが目立つようになった。
久しぶりの山歩きの為か、最初、沢を登りすぎて渡る場所を間違えたり、目印を見失って原生のブナ林をさまよったりして、登山道に出るまで時間を無駄にしてしまった。勘はやはり磨いておかなくては。

しかしそれにしても、きつい登りだった。標高1500mの奥駆道出会に合流した時は、もう足が動かなかった。
約1時間の登りで汗がびっしょり。とりあえず弥山の山小屋まで行って横になろうと思った。
奥駆道は稜線で秋風が心地よく、汗がすっと引いて又ファイトが少し出てきた。

吉野または洞川から修験道の霊場、山上ガ岳に登り、表と裏の行場を済ませて弥山、釈迦ガ岳へと縦走し、前鬼へと下るコースを修験道では奥駆という。

穏やかな起状が続く奥駆道は主稜線を忠実に辿って、万休ノ宿跡を通り、標高1600mの三角点標識がある石休ノ宿跡で小休憩し、ここからブナ林の中を緩やかに下って、聖宝ノ宿跡に着く。
約1時間の尾根道だった。ここからトウヒやシラベの林の中の弥山北面を登っていく。これもかなりきつい登りで、約1時間かかって標高1895mの弥山山小屋に辿り着いた。行者還トンネル西口から約3時間かかったことになる。

小屋は準備中で誰もいなく、前のベンチにリュックを置いて、白木造りの弥山神社(坪ノ内天河弁財天の奥宮)が祭られている弥山山頂を往復した。まだ1時半なので今日中に八経ガ岳を踏むべく、小屋の前から急な坂道を鞍部へ下る。鞍部は古今宿跡でオオヤマレンゲの群棲地らしい。坂道を登りかえして、近畿の最高峰八経ガ岳の頂上に着く。
標高1915m。この山には八剣山・仏教ガ岳の別名もある。山頂には鉄の大きな錫杖が立っていた。

小屋に戻ってもまだ誰もいない。ベンチで腰掛けていると、二人連れの女性登山者が今から西口へ降りるという。まだ2時半だ。私も降りようと決意する。足もなんとかもつだろう。帰りは速いピッチで、暗くならないうちにと、西口出会迄約1時間、一気に西口まで30分、車には午後4時前に帰ってきた。

登り3時間の半分1時間半だ。私の足は下りには強いらしい。大峰山を日帰り登山とは思いもよらなかった。

朝早くから3時間のマイカー運転で仮眠もせず、6時間歩きづめの為、帰りは慎重にと自分に言い聞かせて、午後4時に帰路につく。
黒滝でうどん一杯食べただけで、休憩も無く運転したが、家に着いたのは丁度午後8時だった。4時間かかったことになる。橿原から郡山までの24号線の混みようには恐れいった。きんきらぎんのネオンでまるで心斎橋筋をゆっくり走っているようだった。もう2度と通らないぞ。

今回の大峰山登山は結局日帰り登山になってしまった。マイカー運転7時間、登山6時間の山行きだった。
疲れはしたが、原生林の山深い大峰山の一部を、車の助けを借りたとはいえ、初めて登ったことによる満足感がじわっと広がってきた。

(1997・9・22)

              終わり






「深田100名山」ページに戻る