難関の幌尻岳









2年間待たされた北海道ー幌尻岳の登山が可能になった。
一昨年の台風で登山口へのアプローチの林道がズタズタにされた。35kmの林道修復に1年以上かかり、昨年は登山禁止。
毎日旅行社での今年最初の幌尻岳登山計画。早速申し込む。

2005年7月21日、伊丹空港に集合したのは、男性11名、女性6名だった。リーダーは周知の川村さん。添乗員は銭谷さん。
男性一人と女性の一人は知り合いだった。
10時50分発の全日空で新千歳空港へ。日高町の「日高高原荘」で本日は宿泊。2名同室の洋室だった。知り合いのXさんだったので気が楽だ。

国定公園看板











7月22日(金)、天気は最高に良い。いよいよ待ちに待った幌尻岳登山だ。気持ちがワクワクする。
林道











林道を空身で歩く











小型バスで額平川沿いの登山口まで行く。毎日旅行社の顔で、さらにゲート奥まで車で入る。ここから北海道電力の取水施設まで約1時間30分の林道歩きだ。荷物は車で運搬してもらった。空身ではあるが汗がびっしょり。
取水設備











取水設備











額平川











10時36分に取水施設到着。ここは標高770m。ここから50リットルのザックを背負っての登山だ。ザックが背中にずしりと喰い込む。
額平川右岸の岩場だ。岩に手を掛け、崖をへつる。下は額平川の激流だ。背中のザックが岩に当たって振り落とされそうになる。
緊張する。この1時間が一番辛かった。
右岸の岩場











休憩











渡渉開始地点に着く。私はニッカズボンなので、靴下を脱いでズボンの裾を捲り上げる。渓流用の地下足袋のワラジを履く。ワラジの効果は抜群だった。
渓流の水量は膝ぐらい。水の勢いは想像以上だ。ザックが重いので足を取られる。
額平川の渡渉











地下足袋にワラジ(背中には50リットルのザック)











渡渉











渡渉











渡渉











青空











しかし川の中は涼しく、二三度激流に足を取られて、濡れることが平気になった。むしろ渡渉が楽しくなった。
左岸から右岸、右岸から左岸の完全渡渉が18回あった。それ以外にも川の激流に入ったのが数回。
額平川











幌尻山荘が見えた











額平川











休憩を挟み2時間足らずで渡渉が終った。そこは今晩の宿である「幌尻山荘」。1時半だったので自炊の夕食まで自由時間。
する事がなくビールを飲む。
山荘前で











宴会が始まる











自炊用の米やカップラーメン、味噌汁の袋等は前日のホテルで分配済み。
今晩は羊のジンギスカン料理だ。タマネギやキャベツと一緒にぐつぐつと煮る。
美味しかった。皆でつついて肉は直ぐに無くなった。
明日の登山に備えて早く寝る。寝るしかする事が無い。

7月23日(土)、午前3時半起床。4時20分山荘を出発。ここの標高は約1000m。幌尻岳は標高2052.4m。約1050mの標高差を往復し、それから額平川を渡渉し林道を1時間以上ザックを背負って歩かねばならない。今日はきつそうだ。
針葉樹林











針葉樹林











瘤だらけの木











山荘前からいきなり針葉樹林の急斜面をジグザグに登る。2時間足らずで命の水という水場に着く。私は水を2リットル持ってきているので、かなり下にある水場まで汲みに行かなかった。
高山植物











樹林帯を歩く











高山植物











高山植物











高山植物











命の水











急なダケカンバ林を抜けると正面に三角形の戸蔦別岳が聳えていた。そこからはカールを巻いてのお花畑だった。色とりどりの高山植物。 カールには点々と雪渓がある。川村さんの話ではこのカールにはニ三頭の羆が生存しているとのこと。
山並みと青空











尾根











高山植物











高山植物











カールの向うに幌尻山頂が











山並み











カールと雪渓











高山植物











高山植物











高山植物











高山植物











カールの上を頂上目指して歩く











三角形の山が戸蔦別岳











雪渓と高山植物











山並み











カール











山並み











山並み











8時20分にやっと頂上に辿り着く。苦しかったが直ぐに元気になった。遂に待ちに待った幌尻岳に登れた。感激が湧き上がる。
頂上記念写真はバンザイ写真となってしまった。
私はこれで深田百名山99座めだ。同行の女性登山家山口さんも99座めとのこと。お互いに良くやったと握手する。
彼女は富士山が最終とのこと。私は北アルプスの黒部五郎岳だ。来週28日から挑戦するつもりだ。
妻に携帯で登頂を知らせる。喜んでくれた。
やっと頂上に着いた











カールと雪渓











カールと雪渓











8時40分に頂上を後にして、来た道をピストンする。
帰り道はルンルン気分だ。高山植物を愛でながら気持ちよく下る。
11時23分に山荘に帰ってきた。
昼ごはんを食べ、12時10分に出発。2時間ほどで渡渉と岩場歩きを完了。
しかし疲れているためか、数人の人が、激流に足を取られたり、岩場で水の中に滑り落ちたりしていた。皆大事には到らなかった。
私も膝下を岩にぶつけて擦り剥いた。
重いザックを背負っての林道歩きは正直言ってえらかった。歩けど歩けどバスは見えなかった。バスに乗って昨日の「日高高原荘」までの2時間は疲れで眠りこけていた。
夕飯は豪華料理。山談義に話が弾んだ。

幌尻山荘に戻った(昼食)











日高高原荘の前で(山口さんと私、共に99座達成)











7月24日(日)、今日は帰るだけだが、飛行機の時間が夕方の5時45分。
鉄道記念館











鉄道記念館











鉄道記念館











列車内











振内駅看板











幌尻岳展望所











バスで日高町の観光となる。鉄道記念館で遊んだり、二風谷のアイヌ文化博物館を見学した。ここは非常にためになった。
日本の先住民族のアイヌ。今は言葉さえ失われつつある。私の崇拝するC・W・ニコルさんと対談していた萱野茂さんはここ二風谷を拠点に活動している。
C・W・ニコルは英国ウェールズから来たケルト系日本人。萱野さんは北海道二風谷で生まれたアイヌ民族の「日本人」。
萱野さんの暮らす「ニブタニ」とはアイヌの言葉で「森」。そして「アイヌ」とは「良い人間という意味だ」。
この二人の対談は、森とか熊とか鮭という本来の人間が大事にせねばならないことが語られていた。国が森を破壊し、子孫に何を残すと言うのか。
私はささやかでも良いが、森を守り、熊や動物が暮らせる大地を地球の子供達に残してやりたいと思う。
黒姫山麓の森はその為の拠点だ。

二風谷アイヌ文化博物館











マキリ(小刀、ベニマキの鞘、伝統的な彫刻)











マキリ(小刀、ベニマキの鞘、伝統的な彫刻)











二風谷アイヌ文化博物館











博物館で昔のアイヌが使っていたマキリ(小刀)を何本も見た。各国の古いナイフを集めている私としてどうしても1本手に入れたかった。
私は日本のナイフ(小刀)は一本も持っていない。私の趣味の小刀は森で山で里で生活のために働くナイフだ。出来るだけ古くから使われているものだ。新品の上等のナイフ、武士が使ったり軍事が人を傷つける為に使う刀には興味がない。

博物館の係員に尋ねると、「北の工房 つとむ」にはあるかも知れないという。
川村さんに了解をとって、探しに行った。 店先にはマキリは置いていなかった。店番の上品な奥さんに聞くと、古いマキリは博物館にしかないという。
飾り棚に一本の新しい彫刻したマキリがあった。丁度帰ってきた主人に聞くと、展覧会に出品するために自分が作ったというではないか。 自分は二風谷の古いアイヌの民具を大切に保存しょうとしたスコットランド人のマルローに感銘し、先日スコットランドのエジンバラに修行に行ってきたとのこと。私も先日エジンバラに行ったと話すと色々説明してくれた。
この作品はマルローの図鑑に載っているこの作品の模倣だとのこと。刃はかなり古いものだから良いものだ。鞘はベニマキ(マユミ科)で作っており固くて良い。彫刻は当然私がした。この飾りは鹿の角だ。
私がどうしても譲って欲しいというと、幾らならと値を言った。私はお金を持っていなかったのでカードで支払った。
彼の名は「貝澤 徹」。後にインターネットで調べると、アイヌ文化の継承者として中心になって活躍しているとのこと。
私は外国で何本ものナイフを買ったが、今回の買い物が一番高かった。しかし私はここ二風谷でマキリを手に入れたことを、幌尻岳に登り、深田百名山の99座めとしての記念として私の宝物となると思った。

牧場











サイロでなく袋に詰めた飼料











昼ご飯は「ノーザンホースパーク」でラーメンを食べた。ここは牧場もあり、様々の競走馬も成育していた。「北の零年」という映画で吉永小百合が乗った馬(オネストジョン)も居た。
私は引き馬ではあったが乗馬も経験した。オーストラリアでは馬で山や森を散策したが、ここではそうもいかない。
5時45分発の全日空で新千歳空港を飛び立ち、7時35分に伊丹に着いた。
ノーザンホースパークで乗馬











厩舎内











オネストジョン











オネストジョンの看板











いつものように妻に生駒駅まで迎えに来てもらった。
やっと日高山脈の最高峰「幌尻岳」を登れた。充実感と満足感がじわっと押し寄せてきた。



登頂証明書

















終わり 

(記述日:2005.8.3)
(掲載日:2005.8.3)






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