神話の宿る男性的な山ー祖母山









神話の宿る祖母山は祖母・傾山山群の主峰で、深い原生林と美しい渓谷の男性的な山だ。
日本近代登山の父、W・ウェストンが登った頃は九州で一番高い山とされていた。今は宮之浦岳の1935mが最高。二番が九重山の1791m。
そして我らが祖母山は1756mで三番だ。



昔、天孫降臨の場所が霧島山の高千穂峰か日向の祖母山の南か論争されたこともあるらしい。

九州には深田百名山が6座あり、私は既に4座登っている。残るは祖母山と宮之浦岳だ。宮之浦には今年の11月中旬に登る予定だ。

9月14日、今回はサンケイ旅行会主催で、六甲アイランドからダイアモンドフェリーで大分港に向かう。
17時50分出港。風呂に浸かり、レストラントで夕食を食べた。生ジョッキ込みで2000円近くと高い。二段ベッドの寝台で8時過ぎには就寝。最近ハードスケジュールだったので良い休養になる。

11月15日朝6時に大分港に着く。総勢44名。やはり何時ものように女性が多い。
バスで神原・祖母山登山口に向かう。途中道の駅「あさじ」でトイレ休憩。「荒城の月」で有名な竹田の岡城址を素通りし登山口に向かう。
祖母山は日向・豊後・肥後の三国に跨って古来鎮西の名山と称せられた。二年前の秋、九重山の頂上から眺めた祖母山は黒々と男性的な様相を呈していた。登りたい山と思った。

神原キャンプ場から更に奥までバスで入る。8時過ぎにバスを降り、登山口まで林道を歩く。今日の現地ガイドは甲斐さん。添乗員は中原さん。
甲斐さんはゆっくりと歩くと言ったが、なかなかどうして、かなり速いピッチだ。登山口までの40分間はきつかった。汗がぽとぽとと落ちる。しんどくは無いが、これでは何人かの人がばてるのではと思った。
又、最近の私はスケジュール的に無理しているので、疲れが溜まって汗を多量にかくのかとも考えた。
無理をせずゆっくりと歩き、様子を見ることにする。
バスを降りた所の標高が515m。標高差1250m位の往復コースなので心配はしていない。
9時16分、五合目小屋に到着。付近は水がほとばしっている渓谷があり、まさしく深山の趣。
ガイドの甲斐さんが足の弱い人は前へ、体力に自信がある人は後ろへと言ったので、私は最後尾に付く。
かなりの急坂をゆっくりと同じ歩調で歩く。周りはスズタケの道で滑りやすい。モミジやブナの大木がある。
標高1486mの国観峠まで8人が私の後ろになった。私は追い抜いてはいない。彼らは非常にしんどそうだ。
国観峠に11時着。峠といっても開けた所で小さな石仏が立っていた。ここからは聳える祖母山が見えるらしいが、ガスの為見ることが出来ない。雨に降られていないだけましと観念する。



疲れている人もおり、ここからは頂上を目指すグループは前へとなる。
朝、歩き出す前にガイドも添乗員も「リーダーより前へ行かないように、最後に付く添乗員より後ろにならないように」との注意が当然のごとくあった。
山での団体行動の時、このことは大切である。先日のシリベシ登山のとき、守らない人が居てリーダーより前に行き、出発時点呼で二人居ないことが分かり、リーダーや添乗員が青くなって探したことがある。
その時は先行していた二人が見つかり、リーダーはかなり厳しく叱っていた。当然である。



頂上までもう少しだ。私は少しも疲れていない。リーダーの直ぐ後ろに付ける。
四〜五人の女性が付いてきたが後の人はかなり遅れだしたみたい。
40分ほどかかってやっと苦労して頂上に着いたら、なんと二〜三人の男性が既に頂上に居た。
勝手に登ったのか、又はリーダーが黙認したのか。いずれにしてもなんとなく不自然さを感じた。



弁当を食べ、頂上写真を撮り、周りを見るもガスがかって何も見えない。東側に傾山が見えるはずだがガスばかり。微かに南側に古祖母山が見えた。

下山は一本道で迷いにくいので、自由に降りて良いとのリーダーである甲斐さんの話。但し人数確認の為、国観峠で全員集合とのこと。



頂上の展望が利かず、私は早々に降りる。
国観峠に着くと、ここで待機していた人と数人が後続者を待っていた。私も座って待つ。
遅れた人達も最後の添乗員と降りてくる。人数を確認すれば又二人が先に下山している。彼らは一体どういう了見なのか。
リーダーの現地ガイドの甲斐さんは「あのような団体行動を出来ない人達は、今後ブラックリストに載せて置き、参加を申し込んでも拒否すべきだ」とかなり憤慨していた。

これまでの例でも現地ガイドはどうしても弱い立場みたいだ。やはりツアー会社の添乗員が厳しく注意せねばならないだろう。
午前中の状況を把握し、其の時点で注意しておけば、昼からはこんなこともなかったろう。



同室のHさんを初め参加者の大部分の人達も二人の身勝手を厳しく批判していた。私も同感である。

3時前にバスに戻った。本日の歩数は万歩計で22322歩だった。
又大分港に戻り同じダイヤモンドフェリーに乗った。上船後、まず風呂に入って汗を流した為、レストランに行ったら満員だった。
缶ビールとカップうどんを買い、部屋で食べた。

船が定刻になっても出港しない。岸壁に救急車とパトカー。船内放送で「先ほど落水者があり。今捜索中。」
又放送で「サンケイ旅行会の添乗員の方、至急案内所まで」とのこと。
詳しい内容は最後まで分からなかったが、何でも海に落ちて浮いてきたところを救急車に運ばれたとのこと。サンケイ旅行会は今回、登山以外に観光でもバスを2台出していた。
どうやらそちらのグループの誰かが、誤ってか自殺か、何かのトラブルに巻き込まれたか。酒を飲んで喧嘩していたとの未確認情報もあった。

9月16日朝、六甲アイランドに着いたとき、我が添乗員の中原さんは居なかった。多分船から降ろされて大分で事情聴取されているのだろう。
いずれにしても後味の悪い結末だった。



これで深田百名山も63座め。九州はあと宮之浦岳のみだ。今年中に登る予定の「荒島岳」を登頂すれば、西日本の百名山は完了となる。



祖母山登頂証明
 (2002.9・16) 

 


       終わり 








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