一寸ソウルへ(2002.11.27〜11.29)








平成14年末、今朝鮮が注目されている。

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は国交回復と拉致問題。南朝鮮(韓国)は大統領選挙。
朝鮮は日本に最も近く、歴史的・文化的にその影響を強く受けているにも関わらず、近くて遠い国だった。
1910年日本は朝鮮を侵略し、むりやり併合した蛮行を私達は忘れてはならない。

今年の1月に私達はソウルへの旅を計画したが、日程の都合で行けなかった。代わりに「釜山周遊3日間」という旅行になった。
その時の紀行文は、妻が書いた 「お隣の国ー韓国へのたった3日間の旅」 を参考にして欲しい。

私の今シーズンの山は、屋久島の宮之浦岳登山で終わった。冬山には登らない(登れない?)私にとって、冬は海外旅行の季節だ。
先日カンボジアのアンコールワットとベトナムのホーチミン市を訪れ、今回のソウル行きはさほど内容を吟味することなく申し込んだ。
一度是非ソウルを訪れたかった。

11月27日、関西国際空港から13時10分発アシアナ航空機でソウルへ向かって飛び立った。
総勢8名。若い3名の女性グループ。親子と娘の友達のやはり3名の女性グループ。そして私達夫婦。男は私だけだ。添乗員は居ない。

ソウル市庁舎

午後3時に仁川国際空港に着いた。さすがに大きな空港だ。又良く整備されている感じ。手荷物も直ぐに出てきた。
現地ガイドは仁さんという女性。
早速小型マイクロバスに乗って、「ロッテ免税店」へ連れて行かれた。私達夫婦を除いた女性陣は、ブランド商品めざして突進して行った。私達はぶらぶら時間をつぶす。まあ1回ぐらいは仕方がないか。
続いて「新羅免税店」訪問となっては、買い物ツアーではないか。正しくその通りだった。
旅行内容を良く読んでから申し込みすべきと言う教訓か。

私達は店の付近のソウル市内の散策。超高層ビルが立ち並び、車がびゅんびゅん走り、若者たちはブランド物(コピー?)で身を飾り、街中が活気付いている。ソウルは東京と変わらない。それ以上かも知れない。
私の独善的な印象では、カンボジアは歩き、中国は自転車。ベトナムはモーターバイクでここソウルは車。

大阪で生まれ育った私は、中学・高校と鶴橋の生野区界隈に通った。日本で最も多くの朝鮮人が住んでいる所だ。
在日朝鮮人として色々の苦労もあっただろう。朝鮮人友人もいるが、本国での南北軋轢が日本でも反映されており、私達にはなかなか入りにくい世界でもあった。
明治維新後、日本人は西洋文明を取り入れることに必死で、欧米偏重になりすぎたきらいがある。白人が偉く、黄色人や黒人を見下す風潮が感じられる。

私はアジアが好きだ。これまでに中国・香港・マカオ・インド・タイ・インドネシア・ネパール・ウズベキスタンと旅したが、一番近い朝鮮には行ったことがない。身近にあるわりには遠い国だった。

今年1月の釜山と慶州(昔の新羅)は、私の目を開かせてくれた。釜山は超高層の建物群で、エネルギッシュな姿を見せ、新羅は日本の大和のような静かな落ち着いた佇まいを見せてくれた。朝鮮が好きになった。料理も美味しい。

輝くソウルタワー

夕食は骨付きカルビとチヂミ、美味しかったが量が少し足らない感じ。追加分として塩タンと霜降りロースを注文した。満足した。
追加料金としてビール中ビン1本含めて45000ウォン(日本円で4500円)請求された。物価の安い韓国では大金だ。
ここソウルは中国と同じように外国人単価があるのか。ひょっとすると日本人単価か。

展望台から見たソウル市街

夕食後真っ暗な中、南山丘陵に立つソウルタワーに行った。ソウルタワーは電飾で光り輝いていた。展望台からの眺めは、素晴らしかった。漢江川に架かるライトアップされた24の橋、宝石を散りばめた様なソウル市街。

今夜の宿は連泊の「ホテル東ソウル」だ。夜10時頃ホテルに着いたので、風呂に浸かり、さっぱりとして直ぐに寝てしまった。

宿泊した「ホテル東ソウル」

11月28日(木)、朝7時起床。ホテルの食堂でコンチネンタルの洋式朝食を食べ、ホテルの向かいの「セブンイレブン」を覗いた。
お菓子や雑貨が安い。妻と二人で両手で持ちきれないぐらい買い込んだ。

今日は一日中自由時間だが、オプションの「ソウル市内観光」が昼食付きで僅か900円だったので申しこんだ。結局参加者全員だ。

ロッテワールド

9時10分出発。まず最初は「ロッテワールド免税店」へ。買い物しない私達はその40分間をどう使おうかと外へ出て、ロッテホテルに隣接するディズニーランドのような「ロッテワールド」を外から見学。

昔の竈

元皇后の実家と言う古い民家を見学。オンドル等、寒く凍て付く朝鮮の暖房方法を学んだ。それからソウルで最も繁華街と言われる「南大門」を歩く。衣類や野菜、肉や魚。ソウル市民の胃袋を満たすべく、ありとあらゆる物が売られていた。活気ある雑踏。

昼食は石焼ビビンバ。辛い味噌を混ぜながらふうふういって食べた。美味しかった。これだけでも20000ウォンするだろう。

昼からは他の人たちは相変わらず、買い物とのこと。私達は折角ここまで来たので、世界遺産を見学したい旨提案。夕食がついて 世界遺産含んで一人6000円のツアーを申し込む。

「敦化門」に立つ衛視





行く途中の「東大門」市場で皮手袋を2足買った。
「仁政殿」前の石畳





世界遺産の「昌徳宮」は1405年に離宮として造営された宮殿だ。規模は15万坪もあるらしい。
「敦化門」





入り口では民族衣装を着た十数人の衛視が太鼓で迎えてくれた。
正門として創建された荘厳な「敦化門」。王の即位式や列国使節の接見等行われた「仁政殿」。王が日常政務を取った青い瓦の「宣政殿」。その他多くの宮殿を見学。途中に韓国の国鳥でもあり、めでたい鳥とされる「かささぎ」を見た。

宮殿の建物





最後に裏山の広大な「後苑」を歩いた。池は既に凍っていた。これらの世界遺産を見学できて私達は満足した。

凍った池の前の私








「昌徳宮」の塀








玉座








縁起の良い国鳥「かささぎ」








次に韓国大統領の住む青瓦台に行ったが、警備が神経質に厳重だった。途中には制服・私服の警官が立っている。ビデオも撮影すれば刑務所だ。大統領選挙が始まったのでよけいにそうであったかも知れない。

工事中のお願い看板





竜の形をしたビャクシン





ソウルの学生が愛する骨董品や焼き物・美術品のイーサードンに行く。ここは面白かった。日常雑貨の焼き物や土産物を買う。韓国紙幣ウォンはもちろん円も通用した。しかしここではアメリカの米ドルは通用しなかった。
最近の海外で米ドルが通用しなかったのはここだけだ。

青瓦台前の広場(青い瓦の青瓦台には近づけない)



夕食前に明洞をぶらつく。カウボーイハットを値切って14000ウォンで買う。安い買い物だ。

明洞の雑踏



夕食はブルコギ焼肉を食べた。チヂミも追加した。幾種類かのキムチがついて食が進んだ。

明洞の店



夕食後イーサードンまで車で送ってもらい、街をぶらついた。半分ほどの店は閉まっていた。鉄道関係のアンティックで飾った喫茶店で、飲んだジンジャーティーは甘く疲労回復に効き目があった。



帰りは地下鉄を苦労しながら乗り、間違うことも無くホテルに戻ってきた。

11月29日(金)朝4時起床。荷物を整理して5時出発。

ちょっと時間があったので、ホテルロビーのパソコンを触る。常時接続のインターネット環境にあり、私のホームページにアクセス出来た。これまでのホテルで初めての経験だ。韓国はことITに関する限り日本以上に進んでいると実感できた。

市内レストランで「田舎御膳」の朝食後、キムチ専門店で「王様キムチ」を買う。帰国後毎食に食べている。

田舎御膳

ソウル発10時のアシアナ航空機で帰国。

3日足らずのソウルだったが、面白く認識を新たにした。焼肉等本当に美味しかった。又訪れることになる予感。


(2002.12.4)







                                     終わり 








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