9月24日(水)、今日は皇海山登山だ。天気は雨模様。
皇海山はアプローチの長い山として有名だった。昔は足尾から庚申山を通って登っていたが、裏の不動沢の林道を利用して登れるようになった。
我々は楽なコースを行く。
8時出発。皇海橋を渡った所が皇海山登山口だった。



標識類が整備されている。標識の皇海山の下に深田久弥の名前があった。
最近の日本百名山ブームに乗っかって整備されたようだ。
今回のコースは不動沢に沿っている。




30分程の二股で休憩。


稜線手前の30分間は急登だった。



稜線に飛び出したら、ガスで煙っていたが鋸山がぼんやり見えた。


笹原を歩き、1時間足らずで皇海山頂上(標高2143m)に着いた。


私にとっては簡単なコースだった。体の調子、足の調子は良い。


展望は良くない。雨が降りそうなので頂上写真を撮って直ぐに下山する。
不動沢のコルで休むことなく、急な坂の下まで下る。簡単な昼食を取る。
午後1時にバスに戻ってきた。

この皇海山で百名山は87座目となる。

民宿「ロッジ高山」に戻り、内湯の温泉に浸かる。登山後の温泉は最高だ。
湯上りに食堂で生ビールを飲む。話が弾み2杯も飲んでしまった。
部屋に戻り左足の膝を見てびっくり。10日程前にスズメバチに刺された跡がひどく腫れているではないか。
生駒の家を出る時は殆ど治って腫れも引いていたのだが。
3日間の山行きで化膿したみたいだ。同室のTさんは田舎出身の為、スズメバチの怖さを良く知っており、直ぐに手当てをすべきと進言してくれた。
添乗員の川原井さん薬を貰いに行く。彼は傷口を見て、びっくりし「診療所へ行った方が良い」との判断。
明日の登る予定の「武尊山」は既に登っているので、明日は自重し明後日の「谷川岳」には挑戦したいと思った。
川原井さんの持っていた薬で応急手当をし、夕食にはビールを我慢して早く寝る。
9月25日(木)、朝起きて足を動かしてみたら左足の自由が利かない。本日の登山は諦めて近くの「診療所」へ行くことにする。
朝から雨が降っている。皆は完全装備で出発。
宿の御主人に「片品診療所」に連れてもらう。待合室にはお年寄りが一杯。9時から12時まで待たされた。私は仕方ないが、付き合ってくれている御主人には本当に迷惑をかけてしまった。
診察した医者は傷口を診て、「よくこれまでほって置いたな」と苦言。明日の谷川岳登山は「もってのほか」。奈良に帰ったら直ぐに病院へ行き手術だとのこと。
3時前に皆が戻ってくる。バスで本日の宿舎湯檜曽温泉の
「なかや旅館」に行く。

私は温泉も酒もダメ。退屈な日だった。


9月26日(金)、天気は快晴。バスで土合を通り、遭難慰霊碑の横を通ってロープウエイの乗り場へ行く。

私は天神平でパーティの帰るのを待つことにする。


皆を見送り、リフトに乗って展望台のある「天神峠」へ上る。




ガスがかかってあまり良く見えない。一時的にガスが切れ、武尊山や皇海山が確認出来た。
リフトから10人程がどやどやと降りてきた。
なんと撮影現場のようだ。武田鉄也と杉田かおるが谷川岳をバックに撮影されている。10m程歩いてガスの晴れるのを待つまでも無く降りてしまった。

1時間ほどであったが退屈しのぎに面白かった。杉田かおるは愛想を振りまいていたが、武田鉄也は何か威張っている感じだった。





展望台でコンニャクを食べ、弁当をつついた。
下の「ビューテラスてんじん」へ行って、「天婦羅うどん」を食べた。美味しかった。そこから谷川岳のトマの耳が良く見えた。


3時前にパーティが戻ってきた。


新幹線の「上毛高原駅」から東京へ出て、18時3分発のひかりで京都に20時46分着いた。
妻に「新田辺」まで迎えに来てもらう。何時ものことながら感謝感激。
明日病院へ行って、診察を受け、何とか直して貰おう。10月の山行きの計画は目白押しだ。

終わり
(記述日:2003.9.28)
(掲載日:2003.9.28)