沢歩きの「斜里岳」









7月7日(日)、今日は知床半島の付け根に裾野を広げて聳える「斜里岳」に登る。
斜里はアイヌ語で「湿原に生えた葦」を意味し、昔アイヌの人々は斜里岳を大きな山という「オンネプリ」と呼んでいたそうな。
一昨日にバスの窓から眺めた「斜里岳」は、ゆったりとした稜線を左右に引いた素晴らしき山だった。

バスで登山口の「清岳荘」に着く。今日は雨。皆は上下のカッパを着て完全武装だが、私は上だけにする。上下ともゴアテックスで通気性が良い筈だがやはり着ていれば蒸せる。特に下は着たり脱いだりするのが面倒だ。
ここの標高は660m。今日は約900mの高低差だ。昨日の1400mと比べて楽勝だ。8時に出発。
一の沢を飛び石伝いに右岸左岸と渡り歩いて遡る。微妙なバランスを要求されるが、このような沢渡りは大好きだ。
特にストックが大いに役立った。数人の女性陣は苦手らしく、リーダーに足の置き場を指示されながらへっぴり腰で渡っていた。71歳のOさんもバランスを崩して幾度か足を水に浸けていた。
8時55分に「下二股」に着く。ここから帰路利用する新道を右手に分けて一の沢の核心部に入っていく。
リーダーの荒木さんは、皆に体の調子を尋ねる。引き返すならここで判断して欲しいと。Oさんは付いて行くという。
ここから沢の斜度がぐんと増して、滝が次々と現れてきた。素晴らしい景観だ。


白糸の滝・羽衣の滝・七重の滝等々。スリルに富んだ川遡行だ。病み付きになりそうな予感もする。
新道が合流する上二股まで続く。途中からOさんは角崎さんにロープで引っ張ってもらっていた。我々は先行する。
10時49分「上二股」に着く。標高1310m。アイヌ人はこの沢を「チェサクエトンビ川」(魚の居ない川)と呼んでいた。まさしくあの滝の連続なら魚は遡上出来まいと納得した。
上二股付近が源頭部で殆ど水流が見られなくなった。低いミヤマハンノキやダケカンバのトンネル状の沢筋を登る。
11時31分馬の背に着く。標高1495m。直そこが頂上だ。展望がまったく利かない。
リュックを置いて空身で頂上往復する。11時53分「斜里岳」(標高1545m)の頂上に立つ。視界はゼロ。寒い。デジカメは雨と霧の湿気で調子が悪い。直に馬の背まで降りて、昼食のおにぎりを食べる。12時17分。
Oさんは上二股で新道を一人で引き返したそうな。大丈夫かな。特に沢渡りで滑ったら大変だ。
さすがにリーダーの荒木さんはOさんを追って先に下っていった。
角崎さんを先頭に上二股まで降りる。午後1時13分。ここから新道を辿る。 熊見峠から見た「斜里岳」は素晴らしく、よくぞあそこまで登ったものだという気にさせてくれた。
午後4時30分に登山口の「清岳荘」に戻ってくる。記念にバッジを買う。本日の歩いた歩数は21314歩だった。
今日の登山は変化に富んだ楽しい山登りだった。
私にとって、深田百名山の丁度半分50座目だ。この調子で遅くとも3年後には百名山を完登したいものだ。

バスで阿寒湖半の 「ホテル阿寒湖荘」に行く。
温泉に浸かり、今晩が最後と大宴会となる。荒木さんや角崎さんと遅くまで山の話等をする。
夫婦連れの旦那Tさんと親しくなる。神戸のOさんと3人でホテルのスナックを探検する。私も歌ったらしいが良く覚えていない。
部屋に戻ったら京都のOさんとTさんが碁をしていた。Oさんは自称5段と言っていた。
私もOさんとTさんと打ってみたが、どちらも大石を殺されて投げてしまった。3段の免許が泣いている。まあ仕方が無いか。
まだ碁を続ける二人をおいて寝てしまった。

(2002.7.10)                                終わり 






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