「知られざるW・ウェストン」






表題の本が田畑真一著で信濃毎日新聞社より昨年9月発刊された。
「近代登山の父」といわれ、私の好きな上高地を世間に紹介し、上高地でのウェストン祭の主人公であるウォルター・ウェストン。
登山家ウォルター・ウェストンは明治・大正時代を見つめた証人だ。
近代化を急ぐあまり忘れたり捨ててしまった「良き日本、日本人」の姿を、訪れた地方の農山村で見出している。
同時代の英国人で日本を愛し理解した人物がいる。「怪談」の作家、ラフカディオ・ハーン=小泉八雲だ。
二人とも縁あって日本に来て、日本文化・民俗に関心高かった。
そして不思議なことに二人とも隻眼だった。

ウェストンは宣教師として来日したが、登山家として名を残した。制覇した日本の山はなんと59を数える。
私が登ったこの焼岳には明治27年に登った記録がある。

この梓川沿いのレリーフには隠されてきた秘話がある。太平洋戦争のさなか、敵国人肖像に軍部から圧力がかかり、「金属供出運動」に提出せよと。
ところがいつのまにかレリーフは消えていた。
私の生まれた年昭和17年(1942)12月に実行された命がけのエピソードである。
大先輩の山男たちの勇気ある行動に心から敬意を表したい。
密かにはずされたレリーフは、東京の日本山岳会に保管されていたらしいが、20年5月の空襲で一部分が溶け、ゆがんでしまったらしい。
その傷ついたレリーフが修復され、上高地の梓川河畔の岸壁に戻されたのは22年の6月だった。
このときのセレモニーが、後になって「ウェストン祭」と名付けられた。

26年6月には、レリーフの右下に英文の顕彰プレートが付け加えられた。ところがこのプレートには間違った箇所があり密かに取り替えられたらしい。なんと本人の名前の綴りが違っていた。 WalterのところがWaltarとなっていたそうな。どの時代にも「あわてんぼう」は要るみたいだ。


(2002.7.2)       







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